【連載】チームを変えるコーチの言葉~吉井理人(5) ロッテ投手コーチの吉井理人は、現役時代、今はなき近鉄で野球人生を…

【連載】チームを変えるコーチの言葉~吉井理人(5)

 ロッテ投手コーチの吉井理人は、現役時代、今はなき近鉄で野球人生をスタートさせた。1983年、和歌山・箕島高のエースとして夏の甲子園で活躍した後、同年のドラフト2位で入団。プロ2年目には一軍初登板を果たし、4年目に初勝利を挙げるのだが、当時、若かりし頃、「コーチは選手のためになっていない。プレーの邪魔になっている」と感じていた。吉井がその時の思いを語る。



現役時代に影響を受けた指導者として、権藤博氏と野村克也氏の名前を挙げた吉井コーチ

「僕は今でこそ、モチベーション高くコーチをしてますけど、初めは、『最低な職業やな』と思いながらコーチになったんです(笑)。なぜかというと、自分が選手だった時のコーチの存在がすごく嫌だったから。現役を終わって、野球に携わる仕事がほかになかったこともあって、とりあえずやってみよう、という感じで引き受けたんですね。だから、その時のモチベーションはめっちゃ低かったですし、初めはもう、どちらかといえば仕方なしにやってたんです」

 2007年シーズン限りで現役を引退した吉井は、その年のオフ、日本ハムの投手コーチに就任した。初めに球団から要請があったのではなく、エージェントが各球団に売り込んだ結果、日本ハム球団から連絡が入った。まして、吉井本人の意向でエージェントが動いたわけではなかったから、「とりあえず」という感覚になるのも仕方なかっただろう。

 その当時、早速、秋季キャンプからチームに合流し、コーチとして初仕事を終えたばかりの吉井に、話を聞く機会があった。コーチの存在が嫌だった理由は、その時点で語られていた。

「このままでは、自分が選手の時に『へぼコーチ』と思っていた人のようになってしまう可能性があります。”へぼ”って言い方は悪いですけど、要は、経験でものを言う人。『オレはこうやったからお前もこうやれ。絶対こっちのほうがいいから』とは言うものの、なんでやらないといけないのか、納得のいく説明をしてくれない。それも頭ごなしに言われるから腹が立つんです」

 一方で、「名コーチ」といわれる指導者に巡り合ったことも明かされ、「あくまでも選手がベストパフォーマンスをするために助けてあげる、そんな人間関係を保てるコーチを目指したい」と語られていた。

 それから10年、コーチ経験を積んだ今、あらためて振り返って、その教えが参考になっている指導者は、近鉄時代の投手コーチだった権藤博、ヤクルト時代の監督だった野村克也だという。とくに権藤は1988年から2年間在任。吉井が抑えとして活躍し始めた時期と重なっている。

「権藤さんは結構、お手本にしているところがあります。迷ったときに聞いたり、権藤さんの本が何冊かあるので読ましてもらったりしてますね。ただ、選手の時に直接言われたことって、とくにないんです。もう『向かっていけ!』しか言われてなかったんで(笑)。技術的なことは一切、言われなかった。『どんどんいけ。向かっていけ。あとはオレが責任取るから』って。本当に、それだけだったんです」

 にわかには信じがたい話だが、抑えを務めるレベルの投手には、細かい技術指導の言葉は必要なかった、ということなのか。とはいえ、吉井は87年まで計17試合登板にすぎず、翌88年になって、一気に50試合登板を果たした投手だ。年齢的にもまだ23歳と若く、完全な主力とは言えない。ならば指摘されることも少なくなさそうだが、あるいは、起用法で気づかせるなど、”無言の教え”があったのだろうか。

「起用法は野村さんですよね。ヤクルトでは先発ピッチャーだったので、交替の時期などによって『すごく信頼されてるな』と感じていました。もうこの回で交代か、と思っていたら続投だったり。本当に信頼されていたかどうかはわからないですけど、モチベーションはすごく高まりましたね。その点、権藤さんはコーチでしたから、起用法は最終的に監督が決めることですし、提案もどこまでできていたか……。だから『向かっていけ』と。『マウンドではいつでもバッターに挑戦的な態度でいろ。その代わり、逃げる時はもうサーッと逃げろ』と。つまり、中途半端なことは言わなかったですね」

 とすると、現在の吉井が選手たちをサポートしているなか、その場で出てくる言葉は何なのか。言い換えれば、吉井が選手に対して「向かっていけ」だけで終わっているはずがない。

 ここで想起されるのが、吉井がとくに大事にする振り返りという作業だ。選手が試合での投球を振り返り、疑問、問題が出たときにコーチは答えを言わず、ヒントを与える程度にして、選手自身で解決する力を身につけてもらう。理想は「選手から話が始まり、選手同士だけで話が進んでいくこと」で、そこにコーチはいない。

 権藤と吉井の関係性は、その理想の状態に近かったのではないか。実は吉井が気づかないうちに権藤が巧みにサポートし、技術を向上させていた。が、吉井自身は「自分で成長できた」と思っている。ゆえに言葉としては「向かっていけ」しか覚えていない。「名コーチ」とは、選手の記憶に残りづらいコーチなのか。

「それはそうだと思いますよ。大学院のとき、コーチングの授業の中に<いいコーチに育てられた選手はいいコーチになる>というような回があったんですけども、僕はそうじゃないと思ったんですよ。やっぱり、選手は自分のことしか考えてなくて、いいコーチングされたことなんか覚えてないし、いいコーチはそれを気づかせちゃダメだ、というふうに思ってたので……。だから、その授業ではすごい議論になって面白かったんですけども」

 今はロッテ投手陣に専心の吉井だが、現役時代は自分のことしか考えていなかった。権藤に限らず、ほかの指導者からも、そうとは気づかずに成長させられていた可能性はあるだろうか。

「あるかもしれないです。でも、本当のところはわからないです。自分で気づいてやっているように感じているけれども、実は気づかされていることがあると思うので。僕はまさにそこがポイントだと思うんですよ。『自分でやったんだ』っていう感じ、難しい言葉で自己効力感っていうんですかね。『自分はできるぞ』というような、そんな感じを選手が持てれば、モチベーションが上がったり、自信がついたりしていくので。自分でできた、自分でやった、という感覚に持っていくのが、コーチのいちばんの役目だと思っています」

 逆説的だが、いいコーチほど、選手から見てその存在は消える――。実際にはいるのに、いない。そんなことがひとつ言えそうだ。

「そうであってほしいですよね。だから僕自身、あんまり『名コーチ』って言われるのは嫌です。まずは今、チームのためにやっていることを極めたいな、と思っているだけで、自分もまだ駆け出しですから」

つづく

(=敬称略)