謙虚に野球に向き合うこと

 2014年春、東京・小山台高が21世紀枠で、都立高校として初めてセンバツに出場した。その時、9番・中堅手として出場したのが諏訪健太(スポ=東京・小山台)である。福嶋正伸監督からは「今までで一番弱い代」だと言われていたが、同学年でプロ注目のエースだった伊藤優輔(中大)が評価され、出場が決まった。「やっと甲子園だ」。そう多くの人が喜び、同校OBをはじめとした関係者や普段関わりのない人までもが支援をしてくれた。多くの支えを感じながら野球ができたことはいい経験になったという。こうしてたくさんの期待を背に憧れの甲子園に足を踏み入れたが、強豪・履正社高を前に0-11と惨敗してしまう。「都立はこんなものか」。そんな心ない言葉も耳に入り、申し訳ない思いでいっぱいになったという。「調子に乗ってはいけないなと思いました」。大舞台を経験し諏訪が学んだのは、謙虚に野球と向き合うことの大切さだった。『謙虚さ』。それこそが今の諏訪の野球の中心にあるものである。

 準硬式野球部での四年間で、諏訪が最も輝いたのは最後の一年だろう。この年、主将の森田達貴(スポ=埼玉・県浦和)の意向もあり、試合時に池田訓久監督(昭60教卒=静岡・浜松商)と戦略を話し合う学生を置くことが決定。そこで選ばれたのが他ならぬ諏訪だった。それまではなかなか池田監督と選手とのコミュニケーションがうまく図れておらず、その状態を打開するために取られた方法だった。戦略を練るため、今年度は主将の森田、副将の池上倫平(政経=東京・早実)、中村大輔(商=東京・早大学院)と日頃から何度も話し合いを重ね、「もし失敗してしまっても仕方ないと思えるくらいには突き詰めてやった」と語るまでに野球と、そしてチームと真摯(しんし)に向き合った。学生の中で考え、池田監督に思いを伝える。そのことを徹底した結果、今年度は関東地区大学選手権3位、清瀬杯全日本大学選抜大会で11年ぶりの全国大会優勝、東京六大学秋季リーグ戦では9季ぶりのリーグ制覇を果たすなど、諏訪が入学して以来最高の成績を収めることに成功。共に歩んできた池田監督も「学生主体の野球ができている」と評価した。


諏訪(写真中央)は池田監督(写真右)と強固な信頼関係を築いた

  諏訪には忘れられない言葉がある。池田監督の補佐として活動を始め、いろんなことを池田監督に話していく中で、「こんなことまで言って生意気だとは思われないだろうか」と感じ、尋ねた時のことだ。池田監督は早大が最後に全日本大学選手権で優勝した時の主将であり、監督就任後も優勝こそ達成できていなかったが毎シーズン上位で終えるなど監督としても実績のある人である。それでも池田監督は「もっと遠慮せずに言ってきてほしい、ありがたいよ」と温かく受け入れてくれたという。時間を重ね、信頼関係ができ上がり、夏ごろには池田監督と森田、池上、中村大、そして諏訪の五人で池田監督が練習に訪れるたびに熱く話し合うようになる。チームが4年ぶりに主要タイトルを獲得したのもこの頃だった。監督と学生が一つになれた成果だろう。

 今年度、諏訪が果たした役割は大きかった。試合中の戦略から普段の練習までを幹部学生と共に考え、池田監督らとチームを再興へと導いてきた。その人柄からチームメイトからも慕われており、大きな信頼を寄せられている。また、戦略担当としての実績も評価されており、チームメイトの中には諏訪のおかげだという人もいたが、諏訪は決して自分の功績だとは言わなかった。「僕たちは最終的な責任を背負ってはいなくて。どんなに戦略を提示しても、最終的な判断を下したのは監督です」。どんなに学生が関わろうと、最終決定権は池田監督にあり、全ての責任を負うのも池田監督だ。試合中、その決断を下すことがどんなに難しく、どんなに重いものであるのか、諏訪は知っていた。そのため、自分が、といったようなことは絶対に言えなかったという。「3年生のころまでは、正直スタンドにいる自分たちでもいい采配ができるのではないかと思っていた」。そう感じていた諏訪だったが、実際に池田監督の代わりを務めた日から考えは変わった。監督という仕事が、決断するということが、どんなに重く難しいことであるかを痛感したからだった。そんな諏訪が今年度池田監督と関わる上で最も大切にしたのは、敬意を忘れないことだったという。

 「選手だけが一つになっていてもそれはチームワークがいいとは言えないと思っていて。いつも来てくれるOBとか、監督とか、マネジャーも含めて一体となって初めて一つになれると思う」。諏訪はその思いのもと、周りの様々な意見に耳を傾けるようにした。初めから反抗するのではなく、謙虚な気持ちで相手の言葉を一度受け入れること。そして自身で考え、うまく吸収すること。これは、簡単なようで、誰にでもできることなどではない。他人を、そして野球を尊敬し、謙虚に取り組んできた諏訪だからこそできたことだろう。野球人生を振り返り最後に諏訪は、「(今後)野球ほど夢中になれるものが見つかるか…」と言って笑った。もちろん、野球や仲間と共に駆け抜けたこの四年間に代わるものなどない。しかし、謙虚で真っすぐな諏訪であれば、同じくらい夢中になれるものはきっと見つかるはずだ。桜が咲き誇るころには、また新しい生活が待っている。バットを置いても、持ち前の誠実さと野球生活で学んだ大切なことを胸に諏訪は新たな一歩を踏み出していく。その先には笑顔溢れる明るい未来が待っているはずだ。

(記事 金澤麻由、写真 石崎開)