『誰にでもできることを 誰よりも全力で』

 泣き虫で、人前に出るのが恥ずかしかった少年は、いつしか応援に魅了され、自らも応援で人を魅了するリーダー部員になっていた。「誰にでもできることを誰よりも全力でやるからこそ、体育各部を応援させて頂く資格がある」という強い信念を持って渡邊友希(政経=静岡・沼津東)は主将としての一年間を駆け抜けた。学ランを脱いだ背中は、現役時代と変わらずいつでもしゃんと伸びている。渡邊の応援に捧げたこれまでを振り返る。
 高校1年生の時、伝統校の沼津東高校で、同級生に推薦されて応援団に入部した。練習は厳しくても、団員として活動を続けるうちに応援にのめりこんでいく。主役である選手をサポートする応援の魅力を強く感じるようになったという。

 大学に入学して、新歓期間にチアリーダーズや吹奏楽団と協力してステージを作りあげるリーダーに興味を持った。高校時代は応援団員であったことから、激しい練習や厳格な上下関係に慣れている自負もあり、入部を決めた。だが、いざ入部してみるとその自信は砕けることとなる。想像を絶する肉体的な負担や部活の規則が新入生を待ち受けており、やがて限界を感じた渡邊は「部活についていけない、辞めたい」と同期にも相談するようになった。当時、思い悩む自分を引っ張ってくれた同期らは、今も「1.5年分上級生のような気がした」という。リーダー同期の話題では常に楽しそうな笑顔をのぞかせた。


夏合宿で『新人哀歌』の練習後 同期らと

  2年生に進学すると、新しく入部してきた下級生の存在を強く意識するようになる。肉体的にきびしい練習でも、慣れない下級生には、上級生である自分たちが苦しそうな表情や弱音を見せるわけにはいかない。応援部の上級生にとって、下級生の存在は大きいという。渡邊にとっても、彼らの頑張りを見ることは自分自身を奮起させるきっかけになることが多かった。そして3年生時、代交代後初めての披露である箱根駅伝の応援は、下級生時代の応援の中で最も思い出に残っている。それまでは先輩の作った応援に「のっかって」演舞をしていたのが、今度は応援企画担当として、自分たちで一から応援を考えなくてはいけない。以前よりもひとつひとつの応援にかける想いは強く深くなり、見事成功に終わったときは大きな達成感を得ることが出来た。

 部の主将という役職については、1年生時は2、3年生時とは異なる印象を持っていたという。主将と関わる機会が少なかった1年生時は、ステージ上で見かける存在として憧れをいだくだけだった。だが上級生の人となりを知った2、3年生時は、他の役職の幹部が下級生に指導する中、言葉少なに部員を奮い立たせる主将の背中にロマンを感じ、役職決定の際にも第一希望として出した。晴れて主将に任命されてから、渡邊はある覚悟を固めた。他のどの部活とも異なり戦績を持たない応援部において、下級生からの信頼を勝ち得るためには上級生の活動に対する姿勢が重要だという考えに基づき、自分が率先して「応援部らしく」規律を守ることを決めたのだ。また、大所帯であるリーダーをまとめ上げるために、「人数が多いことにかまけるのではなく、メリットにする」という目標を立てた。そのために、下級生時代に見てきて憧れた主将像ではなく、自分がベストだと思うやり方を貫く。下級生への指導は主将自らも行い、言葉で伝えなくてはいけないところははっきり口に出した。自分の決めた覚悟、目標は「達成できたと思います」と渡邊は微笑みながら話す。リーダー4年生が引退式で話しているとき、多くの下級生が泣いてくれたことを喜ばしく感じる中で、自分も様々な感情がこみあげ、涙があふれて止まらなかったという。下級生の育成には特に力を入れてきたので、下級生が自分たちを慕い、引退を惜しんでくれたことは嬉しかった。渡邊らは、学年ごとに仲が良く協力し合う関係性や、後輩に対して心を開いて向き合う姿勢、応援への真摯な態度を下級生に受け継いだ。


神宮球場でセンターパートとしてテクをふる

 四年間を振り返って、活動を通して出来た部内の仲間との絆や、応援を通じて知り合うことのできた人々とのつながりはかけがえのない「一生の財産」だと感じている。引退して社会人となっても、胸に早稲田の応援歌を高らかに響かせて、渡邊は躍進していくだろう。

(記事 馬塲貴子、写真 平松史帆氏、今山和々子)