強くあり続けた主将

 2018年11月12日。早大女子ハンドボール部は、全日本学生選手権(インカレ)準々決勝で東海大に敗れ、一年間追いかけ続けた日本一の夢がついえた。しかしその瞬間、確かに高田紗妃(スポ=福岡・西南学院)はコートに立っていた。ディフェンスの要の選手として。チームを率いる主将として――。そんな光景を、あの日の高田は想像できただろうか。

 今から4年前の6月。高田にとって、早大入学後初めて出場した大会で悲劇は起こった。空中で相手と接触した後、着地に失敗。右膝の前十字靭帯と内側側副靱帯断裂、さらに半月板を損傷する大ケガを負った。6時間半にも及ぶ大手術と35日間の入院を経て、懸命にリハビリを続けていたが一向に良くなる気配がない。半年経っても痛みは取れず、別の病院に向かった。そこで、医師から告げられたのは衝撃の事実だった。「大腿骨の一部が壊死している。治るかどうかわからない」。手術で骨に穴を空けたことで栄養が届かなくなったことが原因だと考えられた。今後は競技はもちろん、歩けるようになるかすらもわからなかった。中学でハンドボールと出会い、すぐにその魅力に取りつかれて夢中になった高田。高校では3年時に学校として初めて総体に出場し、全国を知った。「次は全国優勝を経験したい」。そんな思いを抱いて福岡から上京してきた。しかし、もう選手は諦めざるを得なかった。大学でほとんどプレーすることがないまま、1年時の12月、学生トレーナーに転向した。

  「とりあえず、元の体に戻したい」。高田はその一心で、一人で東京中の病院を歩き回った。どこに行っても「治るかどうかわからない」と言われた。しかし、紹介状を片手に病院を転々とする日々の中で、たった一つだけ「治るよ」と言ってくれる病院に出会うことができた。そこで、骨と軟骨を移植する大手術を行い、3カ月間松葉杖生活を送った。そして、学生トレーナーの仕事をこなしながら、元の体に戻すためのリハビリに励んだ。だがこの時、選手に戻ることは全く考えていなかったという。「もう痛い思いはしたくない」。高田はハンドボールをするのが怖くなっていた。それでも、同期は自分の復帰を待ってくれていた。帯同してくれた馬越博久トレーナーも、選手に復帰するためのプログラムを組んでくれていた。「ハンドボールをするために早稲田に来たのに…」。みんなが必死に練習する姿を見ていたら、入学した時の気持ちを思い出していた。そして苦しいリハビリを乗り越え、3年時の12月の早慶定期戦で選手に復帰。気づけば、ケガをしてから2年半もの月日が流れていた。


右膝に厚く巻かれたテーピングが、ケガの深刻さを物語っていた

  復帰してすぐ、高田は主将に就任した。後輩を指導する新人監督の役割を務めていたこともあり、先輩と監督が任命したのだ。「長い間戦線を離れていた自分にキャプテンが務まるのか」。そんな不安の中で、選手として、主将として、高田の最後の一年がスタートした。目標として掲げたのは『日本一』。見ている人たちから応援されるようなチームづくりを目指した。だが、この一年も苦悩の連続だった。「最後の最後まで、本当にきつかったですね」。ケガ明けの自分が思うようにプレーできない状況の中、チームの先頭に立たないといけない。チームを勝たせなければいけないのに、なかなか勝つことができない。結果が出ずに何度も落ち込み、「自分が主将をやっていていいのかな」。そんな考えも頭をよぎった。しかし、その中でも「どうすればこの状況を打破できるか」、「どうすれば勝てるか」ということを常に追求し続けた。どんなに結果が出なくても、チームの最高目標である『日本一』を取り下げることはなかった。「自分は嫌われ者でもいいから」。チームのために、厳しい言葉も口にした。ハンドボールに真剣に向き合い、前だけを見て突き進んだ。そして迎えた集大成のインカレ。早大は1回戦、2回戦と駒を進め、準々決勝で東海大と対戦した。前半までは「過去最高」の試合展開でリードしていたものの、後半逆転を許し敗戦。日本一への挑戦は突如終わりを告げられた。創部史上最高成績に並ぶベスト8という結果を残したが、試合直後の高田には「悔しい」という感情しかなかった。だがその感情は、本気でハンドボールに打ち込み、本気で日本一を目指せるチームをつくりあげて来れたことの証明であろう。試合後、選手だけでなく、スタッフや保護者の方々が涙を流していた。「チームが大きく一つになっていたんだな」。『日本一』の目標は達成できなかったが、高田が目指したチームが、そこにはあった。


早大は選手主体のチームであるため、常に高田が先頭に立ち一つにまとめた

 本当は、膝はボロボロだった。決して全力でプレーできるような状態ではなかったのだ。復帰したとはいえ、何重にも巻くテーピングは欠かせない。この一年も、痛みと闘い続けた。ヒアルロン酸注射、湿布、痛み止めの飲み薬も効かない。最後のインカレには、最終手段の痛み止めの注射を打って出場した。だが、痛みを抱えていたことはチームに隠し続けた。「この組織が崩れてしまわないように」。自分の弱いところは見せられなかった。最後の最後まで自分に厳しく、強い主将であり続けた。引退した後、高田は三度目の膝の手術をした。2月現在も松葉杖生活を送っている。これからはどうか、膝に負担の少ない生活を送ってほしい。これは筆者の願いである。

 「本当に、本当に内容の濃い四年間でしたね」。選手、ケガ人、学生トレーナー、新人監督、そして主将。この四年間で様々な立場を経験した。「いろいろなことがあって、楽しいことより、辛いことの方が多かったです。でもそのぶん成長できて、たくさんの人と出会うことができて、今まで生きてきた人生の中で一番良い四年間でした」。高田は激動の大学生活を、そう振り返った。

 どんな困難に直面しても戦い続ける強さを教えてくれた、記憶に残る主将の卒業である。

(記事 宅森咲子、写真 林大貴、小松純也)