唯一無二の場所

 オフェンスではセンター、ディフェンスでは3枚目、そしてコートを離れては組織をまとめる主将。今年度の男子ハンドボール部の中心には、いつも山﨑純平(社=岩手・不来方)がいた。伝統校、強豪校で務める主将だからこそ、感じたであろう責任や重圧。あるべき姿を守りつつ、結果を出し続けることは決して容易ではないはずだ。しかし、山﨑がそれ以上に語ってくれたのは、『早稲田のキャプテン』という経験の楽しさとかけがえのなさだった。

 地元・岩手で開催されていた日本リーグの観戦が、ハンドボールを始めたきっかけだという山﨑。近所にジュニアクラブもあり、比較的馴染みやすい環境だったが、もともと競技生活は高校までと考えていた。そんな中、競技継続の決め手となったのが、不来方高校直属の先輩にあたる森田啓亮(平27スポ卒)や齊藤凌(平29スポ卒)の存在だ。早大でも第一線で活躍する二人からの誘いが山﨑にとって大きな後押しとなった。これを機に早大に進学したが、入部当初は組織力の高さを目の当たりにする。主体的に考えて練習に取り組む先輩たちを見て、ハンドボールの実力だけではない強さを肌で感じ取ったのだ。高校との違いに少し驚きながらも、洗練された環境に飛び込んだことで、山﨑の自主性にも磨きがかかった。

 山﨑はその実力を買われ、下級生の頃から公式戦の出場を重ねる。チームが重視するフィジカルを鍛え、プレーの幅を広げていった。無論、入部直後から周りの意識の高さに負けないように練習に励んでいたが、やはり四年時での思い入れがより大きい。コーチの来られる日が少ない分、平日は最上級生として自分たちで練習メニューを考えるようになった。その山﨑が主将を担うことになったのは、同期からの推薦によるものだ。「新人監督もやったし、ひょっとしたら自分かなと思っていた」と笑った。同期全員の話し合いでは、『日本一』という目標も明確に設定。その後下級生にも伝え、やるべきことを部全体で意識付けした。「全員を同じ方へ向かわせるのは一番難しいが、それでも一つの目標に向かってやるのが早稲田。」主将として、早大のスタイルを後輩に見せる番になった。


センターから指示を出す山﨑

 良くも悪くも個が強い。多くの同期が形容するこの代の特徴を、四年時の山﨑も自覚していた。しかし山﨑は、みんなが芯の太い意見を持っていることこそが、今年度の早大の長所だと語る。誰かが強く言うのではなく、思ったことは誰でも言える環境が、チームに一体感をもたらすからだ。昨年の関東学生秋季リーグでは、開幕4試合未勝利に終わった後、長めのミーティングを決行。勝てない状況に全員が意見をぶつけることで、普段は気づきにくいことも共有された。そして集大成の全日本学生選手権。記憶に新しい筑波大戦の逆転勝利からわかるように、チーム力は見事に花開いた。強い個が一人一人考え、散らばることなく結束する。目標へ一心同体にひた走る早大のスピリットを、山﨑は確かに引き継いでいた。

 「各学年に1人しかいない上に、早稲田となれば滅多に経験できるポジションじゃない」。山﨑は主将としての一年間をこう振り返り胸を張った。部員の考え方の多様さは、チームを取り仕切る難しさと表裏一体でもある。しかし山﨑は、その難しさを感じつつも、部をまとめ上げることを心から楽しんでいた。先頭に立つ分、自分だけは折れずに気を落とさない。誰にでもできる役割じゃないからこそ、あらゆる状況を前向きに捉えた。そして山﨑は、次期主将・清原秀介(商3=東京・早実)にも、主将のおもしろさを伝えたという。出場経験が少なく、より一層チーム力が求められる代だからこそ、「まとめることを最終的には楽しんでほしい」。主将として一番に心掛けたことを、後輩に託した。


山﨑は主将という役割を楽しみ続けた

 卒業後は、実業団でハンドボールを続ける山﨑。「人間的にも成長させてくれたし、ここまでの熱い思いは早稲田でないと出てこなかった」と早大での四年間を思い返し目を細めた。プレーヤーとしてだけでなく、OBとして、人として責任感のある選手。技術的以外も培ったからこそ言える、山﨑の新たな抱負だ。「早稲田で学んだ基礎を社会人として生かしていきたい」。唯一無二の場所で過ごした時間が、今後も山﨑を支え続ける。

(記事 小松純也、写真 宅森咲子 林大貴)