W杯出場へ。「世界で戦う」をキーワードに語る~竹内譲次 編~折茂武彦編はこちら>> 男子バスケのワールドカップ出場をかけた最終決戦は目前。2月21日にはイラン、24日にはカタールとのアウェー戦が行なわれる。2連勝すれば同組のフィリピンを…

W杯出場へ。「世界で戦う」をキーワードに語る~竹内譲次 編~

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 男子バスケのワールドカップ出場をかけた最終決戦は目前。2月21日にはイラン、24日にはカタールとのアウェー戦が行なわれる。2連勝すれば同組のフィリピンを上回り、出場権獲得となるグループ3位内が確定。もし1勝1敗か2連敗でグループ4位になっても、逆組のヨルダンとレバノンの勝敗によっては、総合順位で7位に滑り込んで、残り1枠の出場権を獲得できる。逆組の戦況を考えると、日本が出場権を獲得する可能性は高いが、激戦は必至だ。

『世界で戦う』をキーワードに、3人の選手にワールドカップへの思い、今後の日本のバスケを語ってもらうインタビューの第2弾は竹内譲次(アルバルク東京)。207cmのインサイドプレーヤーである竹内は、双子の兄の公輔(栃木ブレックス)とともに、2006年のワールドカップ出場経験を持つ唯一の現役代表選手。そんな竹内はこの予選を通じて、34歳の今も競技力向上を見せている。2006年を知る竹内譲次が当時の経験を踏まえながら、世界の舞台に出る重要性を説く。



4連敗からの6連勝と快進撃の男子バスケをベテランとして支える竹内譲次

――竹内譲次選手は2006年のワールドカップ(当時:世界選手権)を経験した選手。当時を振り返り、世界舞台に出て得たものや感じたことを聞かせてください。

 個人的には、後悔がいちばん最初に来る大会でした。2006年の世界選手権(当時は「世界選手権」の名称のため、インタビュー中の答えは世界選手権で表記)は、自国開催だったので大会に向けてとても強化をして臨んだのですが、自動的に出られたことで出場権を勝ち取る意識は乏しかった。当時はアジアで3位までが世界選手権に出られたのですが、2005年のアジア予選は3決のカタール対韓国戦がいちばん盛り上がった記憶があります。日本は5位だったのですが、3決を外から見ていて(日本が)自力で出場権を得るレベルにいないことを感じました。それでも、自動的に出られるチャンスがあったのに、そのチャンスをしっかりと生かせなかった後悔が強いです。

――どういうところで後悔が残ったのですか?

 もっといろんなことにチャレンジすればよかったという後悔です。当時HC(ヘッドコーチ)だったジェリコ(・パブリセヴィッチ)はチームの協調性を大事にする人だったんですが、その中でチームの決まり事を守りながら、失敗してもいいから、チャレンジして自分のよさを出せばよかった。もし今の自分が当時の自分に言えることがあるとすれば、「もっと我を出していけ」と言いたいです。

――当時、竹内選手は大学4年生でしたが、我を出すことは難しかったですか?

 大学4年生で世界選手権に出させてもらいましたが、あの頃は世界と戦うことの重さや、日本を代表することに対し、なかなか強い気持ちを持てなかったのが正直なところです。それでも、もっと上のレベルの選手へ成長したいという気持ちはあったのですが、上に行くにはどうすればいいのか、という漠然とした思いがあって、自分の中で突き詰めて考えられなかった。実際に戦ってみて、世界とはすごく差がありました。

――世界の舞台で感じた差とは?

 大会のために海外遠征もたくさんしましたし、練習もしましたけど、実際の大会はNBA選手もいたり、フィジカルの激しさは別世界の人間と戦っているようでした。そういった選手が目の前にいたときに、どうアプローチをすればいいかまでは考えられていなかったです。

――当時は選手だけでなく、日本のバスケ界全体が世界と戦う経験に乏しかったので、その苦い経験は伝えていかなければなりません。竹内選手から今の若手に言えることがあるとすれば?

 先ほど「我」を出す話をしましたけど、日本が勝つためにも個人のレベルアップは必要だと思います。今は昔と違って個人を鍛えるために若いときから海外でプレーする選手も増えたし、意識の高い選手が大勢います。サッカーを見てもワールドカップや国際大会で活躍することで、世界のビッグクラブと契約したりするじゃないですか。今の若い選手はそういうことができる可能性がある。アルバルクの後輩の馬場(雄大)や(シェーファー)アヴィ(幸樹)、また下の世代の選手には、日本代表ではいい意味で我を出して、自分を売る場として意識したほうがいいと伝えたいです。

――では、34歳になった自分が日本代表でやるべきこと、世界の舞台でアプローチすることは何でしょうか。

 自分自身、ワールドカップに出られるかもという状況で、次はどうしたいかというと、「日本のバスケが強くなっていく一端を担いたい」という気持ちがあります。それは世界との差を詰めることだったり、日本のバスケを盛り上げることだったり、そういった自分のやれる役割を果たしたい。こういったことはベテランだからというのではなく、代表選手各々が考えることですが、ひとつ言えるのは、今までは世界に出るチャンスが本当に少なかったということ。僕も全部が全部、今までのチャンスを無駄にしてきたわけではないですけど、今度はもっと悔いの残らないように、このワールドカップに出られるチャンスを無駄にしたくないです。



2006年世界選手権の経験を、今の選手に伝える役割を担っている

――ワールドカップ予選は4連敗からの6連勝。竹内選手は、役割をこなしながらも意欲的で技量が向上しています。以前その理由を聞いた時に「八村塁(ゴンザガ大)にいい刺激をもらった」と答えていますが、どのような部分で八村選手に影響されたのですか?

 Window3のオーストラリア戦の前に塁がはじめて代表に加入したんですが、それまではアンダーカテゴリーの大会で得点王(U17ワールドカップ得点王、U19ワールドカップ得点2位)になったことは聞いていたので、もう完全に抜かれているだろうなと思ったんですけど、いざ一緒に練習をしてみたら、抜かれているどころではない差を感じたのが正直なところでした。彼は大学3年生で、そんな若い選手に圧倒的な差をつけられていたかと思うと、アメリカに行って鍛えているのだからしょうがないなと思う一方で、やっぱり、どこか悔しい気持ちもあったんですね。差はあると思いつつも、コイツに負けたくないという気持ちと、その差を埋めたいという気持ちが芽生えたので、そこは自分にとっていいスパイスになりました。

――八村選手はチームプレーの中で「我」を出して積極的に攻める。竹内選手もこれまでだったら、パスしていたところを自分で攻めたり、あと一歩を踏み込むプレーが出せています。これも八村選手の影響ですか?

 自分は塁とは同じようなプレーはできないですけど、自分にとってはいいライバルというか、いい目標ができたと思っています。塁に対抗できるだけの術を探したい思いで彼と一緒に練習をする中で、考えてやる過程そのものがプラスになって、積極的なプレーになったのだと思います。また、アルバルクのルカ(・パビチェビッチ)や日本代表のフリオ・ラマスのような指導者に恵まれたことも、そういう姿勢になれました。当然、試合が始まれば負けたくないけれど、試合に持って行く過程において、自分がどういうモチベーションで練習に臨めるのかがすごく大事なのであって、塁の存在が自分にとっていいモチベーションになっていると思います。

――1年以上かけた予選をとおして、日本が成長している点は。

 4連敗していた時は先が見えず、真っ暗なトンネルの中にいるようでした。ただ、オーストラリアに歴史的な1勝をあげたことから6連勝につながり、自力で出場権を勝ち取れるところまできました。一番の要因は渡邊雄太や八村塁の若い力、すばらしい選手であるニック・ファジーカスの加入が間違いなくあります。彼らは個で打開できる力があり、僕らに刺激を与えてくれました。また、時間をかけて日本代表のディフェンスシステムを構築できていることが、チームの成長につながったと感じます。

――イラン、カタールとはアウェーでどのように戦いますか。

 彼らはホームで負けられないので大勢のファンで埋まるだろうし、日本も総戦力で戦います。前回勝ったことに慢心せず、新しいチームと対戦すると思って臨みたい。カタールはWindow5(11月に日本ホーム)で戦ったときは前半に苦しめられました。後半に突き離せたけど、アウェーだと前半のつまずきは命取りになるので前半から積極的にいきたい。中東での試合なので、食事やコンディションの面で管理することが大切になります。

――竹内選手は以前、「ワールドカップに出場できるかどうかが、日本のバスケット界の分岐点になる」と言っていました。最終決戦への決意を聞かせてください。

 ワールドカップの出場権を自力で獲得することで、オリンピックの開催国枠(※)につながるとも耳にしています。オリンピックに出る、出ないの差は誰が見ても大きい。今は日本の未来と、海外に出ている頼もしい若い選手の未来が日本のバスケットボール界のモチベーションになっているのではないかと思います。そういう意味でも、絶対に出場権を取って未来につなげることが大事です。ラマスHCには「重要な戦いであると同時に、後悔しない戦いをしよう」と言われて、自分もそうだと思っています。自力でつかめるこのチャンスを生かし、悔いの残らない2試合にしてきます。

※東京五輪の開催国枠はまだ保障されておらず、国際バスケットボール連盟からは世界で戦える力を示すことを求められている状況