『覚悟』を胸に開いた未来へ 昨年7月の全日本種目別選手権つり輪決勝。高橋一矢(スポ=岐阜・中京)は着地までピタリと止めた完璧な演技を披露した。何度も何度も大きなガッツポーズをし、会場は大きな歓声と拍手に包まれた――。入学時は4年間体操が続け…

『覚悟』を胸に開いた未来へ

 昨年7月の全日本種目別選手権つり輪決勝。高橋一矢(スポ=岐阜・中京)は着地までピタリと止めた完璧な演技を披露した。何度も何度も大きなガッツポーズをし、会場は大きな歓声と拍手に包まれた――。入学時は4年間体操が続けられないと思っていた。実力をつけても尚、自分には卒業後も体操が続けられるほどの才能はないと考え3年の冬には就活もした。それでも日本一の称号の下に輝けたのは、馬場亮輔前監督(平18人卒=埼玉栄)から送られた『覚悟』という言葉があったからだった。

 もともと姉が体操を習っていたのを見て楽しそう、自分もやりたいと5歳のときに始め、小学3年生頃から選手としてクラブで練習を重ねた。それでも高校に入った時は大した選手ではなかったという高橋。当時在学していた中京高校は第67回国民体育大会(ぎふ清流国体)に向けて強化を進めている状況で実力者が多く集っていた。激しい部内競争が展開される中、高橋は高校1年次には怪我もあり半年から1年という長い時間を費やして、基礎をやり直した。なんとかしてチームに入れたら、と努力を積み重ねた。その結果、世界選手権代表を複数擁すタレント揃いのこの世代の中で、高橋は高校3年次にインターハイ(全国高等学校体育大会)のつり輪で優勝を果たす。


つり輪の演技をする高橋

  高校卒業後、高橋は何よりも怪我を抱える身体のことを考えて早稲田大学へ進学した。少数精鋭の早稲田ならば部内の選考争いは少なく、実力があれば怪我をしていても試合に出られるかもしれない。そんな計算もあった。何より4年間ずっと体操ができるとは思っていなかったため、試合に出られるかどうかは重要なことだった。それでも悲観していたほど怪我の状態は悪化せず、試合に出続けることができた。2年次にはアンダー21で日本代表にも選ばれ、順風満帆な選手生活を送っているかに見えた。しかし3年次、ナショナルチーム入りを目指す中で思い描くような成績が収められなくなってしまった。4月の全日本選手権個人総合でミスを連発、インカレでもチームの流れを断ち切るような失敗をしてしまい自身にとって「何も良いところがない」試合となった。今まで積み上げてきたものが全て崩れてしまったような感覚を味わい、心がすっかり折れてしまった。体操を続けていくのも実力的に厳しいと感じ、冬には就職活動を始めた。

 それでも再び体操の道に進もうと思えたのは馬場前監督に声をかけられたからだった。就活をやっている場合じゃないだろうと呼び出され、叱咤激励を受けたという。それでもどうしても自分の可能性を信じきることができなかった高橋は馬場前監督にこう尋ねた。「自分はナショナルチームに入れるような選手だと思いますか。」「お前はナショナルに入れると思う。あとはどれだけ本気になれるか、覚悟の差だ。」先生にかけられた力強い言葉、それだけ言ってくれるのなら自分はもっとやれるのだろう。改めて歩みだした高橋にとって『覚悟』はその時以来大事な言葉となった。

 そして『覚悟』を胸に戦った大学ラストシーズン。得意のつり輪で全日本個人総合選手権3位、NHK杯6位と安定した成績を残し迎えた全日本種目別選手権。上位8人が進む決勝へ、上位と少し点差のある6位で進んだ。一本勝負の決勝では次々と技を実施し、余裕をも感じさせるような出来で最後の着地までまとめあげた。14.766と自己最高得点をマーク、悲願の日本一の座を射止め日本代表入りを果たした。また翌月行われたインカレの団体でも好演技を披露。チームとして仲間同士で好演技を喜びあい、ミスは励まし合う雰囲気の良い戦いぶりを示し、前年度7位で惜しくも届かなかった最終班への復帰を果たした。「早稲田の体操部は上下関係が強すぎなくて、一緒にいるだけでも楽しい。本当に人に恵まれている環境だと思う」と高橋。そんなチームを主将として自ら率い、100点満点と評せるような形で学生生活を締めくくった。


全日本種目別選手権にてつり輪で優勝を決め、ガッツポーズをする高橋

 今『日本一』を掴むのが最も難しい競技の一つであろう体操。リオデジャネイロ五輪で団体金メダルを獲得するなど、五輪での競技別歴代メダル獲得数は水泳や柔道をも上回る98個と最多を誇る。メディアからはお家芸とも称され、東京五輪での活躍も広く期待されるこの種目で、高橋も種目別つり輪での五輪代表権、そしてもちろんメダルも狙って努力を続けていく。日本代表の強化合宿にも参加するようになってから、世界トップクラスの選手たちの気持ちの入れ方やオンとオフの使い分け、一本一本に対する集中の仕方等の違いを肌で感じ、刺激を受けている。その中で自身が理想とするような美しい体操にどれだけ近づいていけるだろうか。東京五輪まであと1年半。何度も諦めかけた夢に向かって、挑戦する覚悟を胸に。

(記事 青柳香穂、写真 脇田真悠子)