ケガに悩まされ、「オリンピックに縁のない人間なのか」と思ったこともあった。しかし、30歳で初めて五輪への切符を手に入れた。リオデジャネイロ五輪陸上短距離200mで日本代表に選ばれた藤光謙司選手。最初に五輪を意識した2008年は日本選手権決勝…
ケガに悩まされ、「オリンピックに縁のない人間なのか」と思ったこともあった。しかし、30歳で初めて五輪への切符を手に入れた。
リオデジャネイロ五輪陸上短距離200mで日本代表に選ばれた藤光謙司選手。
最初に五輪を意識した2008年は日本選手権決勝で故障、2012年は同選手権前に足を痛めた。国内での大一番で結果を残せず涙を飲んだ。
そして2016年。6月26日に名古屋市のパロマ瑞穂スタジアムで行われた日本選手権は記念すべき第100回大会。男子200m決勝の第4レーンに藤光選手は立った。すでに派遣標準記録は突破していたが、優勝してリオデジャネイロ五輪への切符をつかみとろうと走った。しかし、最終コーナーを抜けると左足に異変を感じた。結果は6位に終わった。
左太ももを負傷したが、リオデジャネイロ五輪までに回復の見込みのある軽度のものだったため、日本代表として内定を受けた。藤光選手は内定当日にツイッターで、「本来ならもっと誰もが納得していただける形で選ばれたかったので悔しい思いはあります」と報告している。
だが、ようやく手に入れた夢の舞台への挑戦権。7月12日に味の素ナショナルトレーニングセンター陸上トレーニング場で練習する藤光選手を訪ね、当時の心境や現在の状態、五輪への想いを聞いた。
---:リオデジャネイロ五輪の日本代表内定おめでとうございます。
藤光謙司選手(以下、敬称略):ありがとうございます。
---:まず、日本選手権で左太ももを痛めてしまいましたが、当時の状況を振り返ってどんな気持ちだったでしょうか?
藤光:レース中、残り50m~70mのところで足に違和感が出て、最後まで走り切ったのですが、何かしら足に異変が起きたとわかった。終わった直後に医務室に運んでもらい触診で診察をして、検査をしないとわからない状況。とりあえず検査をして、現状を把握して、というのがレース直後の状況でした。
オリンピックのかかったレースで自分の今の状況と結果と、全部を受け止めきれないところもあったので、その時に何を考えていたかと言われるとちょっと整理できない。複雑な思いもあったので、なんとも言えない気持ちでした。
---:頭によぎったものはありましたか?
藤光:選考がどのようにされるのかわからなかった。しっかり勝って決めたいというのが一番だったので、それがまずできなかったことが悔しかったですし、僕は今までオリンピックに巡り合わせがよくない競技人生を歩んできている。前回(2012年ロンドン大会)、前々回(2008年北京大会)の両方ともケガでダメだったので「またか」という気持ちが正直、頭をよぎったかな…。
---:足の状況を教えてください。
藤光:順調に回復しています。幸いそこまでひどいケガではなく軽いものだったので、最初の1週間は安静に。また再発しないように修復しなければいけない期間は回復に努めて、しっかり練習を積んでいければ…という段階。ケガ自体はかなり修復して練習も始めています。今は慎重にならなければいけない時期なので様子を見ながら、できる範囲のトレーニング。十分、リオまでには間に合うペースで来ているのかなと思います。
---:現在はトレーニングはどこに重点を置いていますか?
藤光:今はしっかり体を回復させることを最重点に置いて、再発しないように体の使い方のところを中心にトレーニングを積んでいて。ケガした部分に負担がかからないように体が使えるよう、体の中心をできるだけ使って動かせるトレーニングを組んでいます。
---:リオデジャネイロ五輪の内定が決まった時の心境は?
藤光:自分も周りも、納得できる形でオリンピックをすっきり決めたかった気持ちがあった。正直、すっきりしない気持ちが自分のなかにありましたし、正式に発表があった際も精密検査の直前で、かなり複雑なメンタル状況だった。嬉しい気持ちもあったのですが、モヤモヤした気持ちもあって。素直に喜べないところはあったのかな。
---:最初にどなたに日本代表内定の報告しましたか?
藤光:報告というか、発表を受けてそのまま精密検査だったので(笑)。報告するとかそういう状況ではなくて、ただ発表があった直後にコーチ(安井年文氏)や大学時代の監督、いつもお世話になってる方々に電話をいただいたり、お祝いのメッセージをもらいながら、あとは自分の体の状況がどうなのかを確認しに行かなければいけない状況。
嬉しい反面、複雑な気持ちのまま精密検査に向かったので、報告とかは特に頭によぎらなくて。現状を把握して、今の自分にできることは1分1秒を無駄にせずにいい状態でリオを迎えること。それが一番やらなくてはいけないことと思ったので、そっちの方が(報告よりも)先に浮かんでしまいました。
---:周りの反応はどうでしたか?
藤光:もちろん喜んでくれましたし、ただ足のほうをみんな心配してくれて。『おめでとう、だけど足は大丈夫?』っていうコメントも多くて、周りのみんなも素直に祝福できないというか、言いにくい状況でした。僕も複雑でした。
【次ページ 200mで注目してほしいところ】
---:大舞台で集中すること。心がけていることはありますか?
藤光:特にオリンピックだからとか世界選手権だからとか、そういうものに対して何か特別なことをするかと言われたら、特別なことはしていない。やっぱりそこで集中して自分の力を出すためには、万全の準備をしていくのが一番大事なことだと思っています。準備ができていない状態で本番を迎えると何かしら不安があったり、ほかに気になることが出てきてしまうので集中できない。
その時に集中するというよりは、それを迎えるまでに集中できるような状態を作っておけるように心がけていて、本番になったら当日や前日に何をしてもあまり変わらない。あとはその場を楽しんで、素直に自分の力を試してくるじゃないですけど、ありのままの状態で迎えられるようにするのが一番。
何も考えないでスッと試合に臨めれば集中できる。何か考え事とか何かしようとか思ってしまうと変に頭を使っちゃう。それが体の動きに影響してくる可能性もあるので、本当に何も考えない状態でレースに臨めるような準備をしていけば、集中できると思っています。
---:スタートラインに立った瞬間は無のような気持ち?
藤光:そうですね。いつでも無の状態になっていられるかと言われたらそうではないですけど、記録が出る時というのは無心の状態の時が多い。何か考えている時はそっちに気を取られてしまっているというか、自分のパフォーマンスを出し切れない部分があるので、いつでもそういう状態にできるようにしたいです。
---:20秒で決着がつく200m。どこに注目してほしいですか?
藤光:100mと違う部分では、コーナーが入ってくる。スタート位置もみんな違った位置で出てきますし、コーナーを抜けてくるまで正確な順位がわからない。コーナーを抜けて直線に入ってきた時に初めて流れがわかる。直線に入ってきた時にワクワク、興奮するというのは100mにない楽しさなのかなと思います。横並びでずっと走るわけじゃない。
100mの倍あるのでその中でレースの攻防もありますし、直線に入ってみんな並ぶところで、どれぐらい差がついていたのかわかってくる。コーナーを抜けたところが一番面白みがある部分なのかな。たった20秒という秒数ですけど、逆の視点からすると20秒もあるのになかなかタイムが縮められなかったり、200mという距離があるのに100分の1秒を縮めるのが難しい。
なんでそんなに難しいことなんだろうと僕らも思うところがあって、あれだけ距離があるのになんで数cmが縮められないんだろうって思う時もある。それも面白いというか難しいところなのかなと思います。普通に観ているだけではわからないことも多々あるので、たった20秒ですけどその中にもドラマがあるのを思い浮かべながら観てもらえると、また違った感覚で観られるのかなと思います。
---:藤光選手はコーナーと直線どちらが得意?
藤光:僕は基本的にはコーナーを抜けてから、直線に入ったところの後半に入った部分からが得意。自分の個人的な走りとしては後半に注目してもらえれば。
---:髪の毛に金色のメッシュが入っていますね。金メダルを意識して?
藤光:そうですね。ラッキーカラーというのもあるので、今は金を身につけられるように意識しています。うまく運も引き寄せられるように(笑)。普段の生活でも金には注目して取り入れて、ファッションのひとつとしても、できるだけ持ち物を金にするように。
---:リオデジャネイロ五輪までのスケジュールを教えてください。
藤光:今月いっぱいまでは国内で調整をして、ある程度の体の状態を作っていければ。しっかり体を回復させてトレーニングを積んで、8月1日からアメリカの事前合宿を1週間ほどしてから(リオデジャネイロの)現地に入る流れになっています。日本を発つまでに体を作って、向こうで最終的な調整ができるように。
【次ページ 短距離では最年長、リオデジャネイロ五輪への意気込み】
---:短距離では最年長となる30歳での日本代表です。そのことについて、どう思われますか?
藤光:僕もこういう立場というか、こういう年齢になる自分が今まで想像できなかった。僕が一番最初にシニアの代表に入ったのが社会人1年目のベルリンの世界陸上。その時は先輩方がほとんどで、先輩の背中を追いながらの競技や日常生活でした。そういうイメージのまま、気が付いたら自分がそういう(先輩の)立場になっていた。
まだ気持ちが追いついてきていない部分もあるのですが、ある程度ようやく自分の実力だったり競技のパフォーマンス的にも自信がついてきて、気持ちも追いついてきて。自分の競技のことも大切ですけど、後輩たちがどういうモチベーションや環境、どういう風に競技を続けていけばいいのか、そういうことを考えていかないといけないと最近思うようになって。
自分が今まで積んできた経験をいかして、より良い環境で後輩たちには競技をしてもらいたいと思う。僕がシニアで最初に代表に入った時、個人でファイナル(進出)を目指す感じの雰囲気じゃなかった気がします。当時、僕が若かったというのもありますが、とりあえず代表になって自分の力を試して、なんとなく一本でも多く走れればいいなと、そういう雰囲気。
自分がそのレベルの選手だったというのももちろんあるんですけど、そういう感じだとファイナルを目指す気にならない。無理だと思ってしまう。(個人でファイナルに進出する)そういう姿を後輩に見せていかないと、ファイナルで戦うという気持ちになれない気がする。僕らが実際に現実でやってみせるのが一番なんですけど、みんながファイナル狙って戦う気持ちのチーム作りだとか雰囲気は環境として大事だと思う。
日本の短距離チームが全員ファイナルで戦うんだっていう、個人種目でちゃんと戦うんだっていう、リレーだけではなく個人で世界と戦う気持ちを持てる環境作りは、僕らのような(年齢や経験の)上の人間たちがやっていかないといけないことだと思う。そういう姿勢を少なからず見せて、後輩たちがしっかりそういう気持ちになってくれるようにしていければと思います。
---:藤光選手には200m以外にもリレー出場の期待がかかります。リレーのメンバーはいつ決まるのでしょう?
藤光:直前だと思います。正式に決まるのは現地で一番状態のいい選手、その時の最善のメンバーで組むというのが日本のリレーチームのやり方。個人の結果も見つつ、バトンの兼ね合いや状態を見て、最終的に判断するのが前日、前々日ぐらいになってくるのかな。それまでは正確にはわからないですね。
うまくリレーチームをまとめていけるような存在になれたらと思いますし、もちろん自分が走って、今はすごくいいメンバーがそろっているので、そのメンバーで走ったらどれぐらいのタイムが出るんだろうって周りは期待していますし、僕たちも楽しみにしている。そのなかでしっかり走って、メダルを狙いにいけたらと思います。
---:リオデジャネイロ五輪はこれまでの競技生活のハイライトのひとつになります。意気込みを聞かせてください。
藤光:オリンピック出場というのは自分の競技人生のなかでひとつの大きな目標で、今まで達成できなかったので、その想いがものすごく強いところはあります。オリンピックのファイナルで戦うことが一番の目標だったので、そのチャンスが今回巡ってきたのでしっかりそれをものにして、今日本の短距離は勢いがあるのでこの勢いをうまく使いながら、誰かがファイナルに行って勝負しないといけないなってタイミングだと思う。
それが自分であるようにしたいし、100mも9秒台、200mも19秒台と言われており、(日本陸上界で)その第一人者になりたい。去年は世界選手権のファイナルも目指していましたが、そこで経験できていたら今年違った形で迎えられたのかなと思う。そこで勝負したいという気持ちは変わらない。日本人が複数人残るような、もしかしたらそういうチャンスもあるのかなと思うので、巡ってきたチャンスはものにして。
今後の日本の陸上界、短距離界においてもものすごく大切なことだと思う。それを引っ張っていけるようにできたらなと思います。若者には負けないんだぞ、というのを見せられるように(笑)。
また、ベテランにも勇気を与えられるように、僕が頑張っていければと思う。まだまだ年齢とかにとらわれてほしくないし、僕はそういうプランニングで来ていますが、陸上の短距離界で言ったら朝原(宣治)さんは36歳までやられている。そういう事例があるので、まだまだできるんじゃないかと思います。朝原さんは100mだったので、僕は200mでそういう立場の人間として、後輩の選手たちにまだまだできるんだぞというのを見せていければ、希望を持ってもらえるのかなと思う。
僕もまだこれから伸びしろがあると思っているので、もっと記録も伸びると思っていますし、そういったところを見せていけたらと思いますね。
---:4年後には東京五輪も控えています。リオデジャネイロ五輪も通過点でしょうか。
藤光:できれば東京も見据えてやっていきたい。年々、体も若返ってきているようなところもある気がするので(笑)。一番最初に『東京で』と言われた時には現実味も湧かなくて、6年後とかそんな先のことわからない…みたいな状態でした。あと4年となってきて、自分の競技も安定して自信がついてきたというのもあって、ようやく目指していけるんじゃないかと思えてきた。このまま勢いづけて、東京までやれたらなと思いますけどね。
30歳って気持ち的には思っていない。まだまだ20代中盤ぐらいだって気持ち。まだトレーニングもやりきったという感じではないので、いっぱいやることも残っている。まだまだこれからだと思います。
●藤光謙司(ふじみつ けんじ)
1986年5月1日生まれ。埼玉県出身。ゼンリン陸上競技部所属。身長182cm、体重69kg。2015年7月に記録した200m20秒13は日本歴代3位。
協力(取材):ゼンリン陸上競技部
藤光謙司 参考画像(2015年8月26日)(c) Getty Images
藤光謙司 参考画像(2015年8月26日)(c) Getty Images
リオデジャネイロ五輪陸上短距離200mで日本代表に内定された藤光謙司(2016年7月12日)撮影:五味渕秀行
リオデジャネイロ五輪陸上短距離200mで日本代表に内定された藤光謙司(2016年7月12日)撮影:五味渕秀行
リオデジャネイロ五輪陸上短距離200mで日本代表に内定された藤光謙司(2016年7月12日)撮影:五味渕秀行
リオデジャネイロ五輪陸上短距離200mで日本代表に内定された藤光謙司(2016年7月12日)撮影:五味渕秀行
リオデジャネイロ五輪陸上200m日本代表・藤光謙司の壮行会をゼンリンが開催(2016年7月13日)撮影:五味渕秀行