「もう、寒くて、寒くて……。スタート地点のとなりにある選手の控え場所が日陰なので、待っている間にどんどん身体が冷え切っちゃって」 予選ラウンドの競技開始までのわずかな時間に、厚手のダウンジャケットを羽織って太陽に…

「もう、寒くて、寒くて……。スタート地点のとなりにある選手の控え場所が日陰なので、待っている間にどんどん身体が冷え切っちゃって」

 予選ラウンドの競技開始までのわずかな時間に、厚手のダウンジャケットを羽織って太陽に照らされる観戦エリアに現れた野口啓代は、まるで全身に太陽熱を溜めこもうとしているかのようだった。



1月のボルダリングに続いてスピードのジャパンカップも制した野中生萌

 東京五輪のスポーツクライミングが3種目複合のコンバインド(複合)で行なわれることになったために誕生した、スピード種目の単独大会『第1回スピード・ジャパンカップ』が2月10日、東京・昭島で開催された。

 前日の雪景色から一転し、太陽が出て風もほとんど吹かなかったことで、屋外ながらも観戦は楽しめるものになった。一方で選手たちは、5度という気温の低さに苦しめられていた。

 大会は朝11時、全選手がコースを2本ずつ練習で登るプラクティスから始まった。その直後の予選ラウンドでは、2度のタイム計測を実施。1時間半ほどのインターバルを取った後、決勝ラウンドは予選タイム上位16選手がふたりずつ対戦して、先着勝ち上がりのトーナメント戦で行なわれた。

 女子の初代スピード女王には、野中生萌(みほう)が輝いた。予選ラウンドから決勝ラウンドまで9秒台を揃えた実力で他を圧倒。予選ではウィンドブレーカーのジャケットを着たまま登っていたが、決勝ラウンドではタンクトップ姿で臨んだ。

 伊藤ふたばと対戦したファイナルでは、序盤にミスをして先行を許したものの、終盤で逆転。「決勝では序盤でミスが出て焦りましたが、なんとか巻き返せてよかった」と顔をほころばせた。

「スポンサーのロゴが入っているのが、タンクトップかジャケットしかなくて。ジャケットで登るのはナメているかなと思って脱ぎました。とても寒くて悪い条件でしたけど、優勝したいと思って臨んだ大会なので、実際に優勝できてうれしいです。ミスをしなければ勝てるという自信がついてきました」(野中)

 競技前に寒さで震えていた野口啓代は3位で表彰台に立った。自己ベストの10秒30には及ばなかったものの、悪いコンディションのなか決勝ラウンドで10秒803をマークしたことに手応えを掴んでいた。

「スピードは苦手な種目ですけど、こんなに寒くて条件が悪いなかでも、自己ベストに近いタイムを残せたことは自信になりましたね。ケガもないし、体調もいいので、今シーズンはいい流れできているなと思っています。次のリード・ジャパンカップに向けて、明日からはしっかりとトレーニングを積みたいと思います」(野口)

 日本山岳・スポーツクライミング協会が1月に日本記録の規定を変更し、この大会以降の記録が公認日本記録として扱われることになったため、女子はこの日のファイナルで野中がマークした9秒388が公認日本記録となった。ただ、昨年11月のアジア選手権で8秒57をマークしている野中をはじめ、各選手とも気象条件の悪いなかで自己ベストに近いタイムを残したことを考えれば、記録はさらに上がっていくことだろう。

 一方の男子では、池田雄大がスピード種目のスペシャリストとしての面目躍如。決勝ラウンドではファイナルまで相手に先行されるレースが多かったが、最後まで勝負をあきらめなかったことで初優勝を手繰り寄せた。

 その池田に準決勝で敗れたのが、非公認ながらも6秒69の記録を持つ楢﨑智亜。3位決定戦で15歳の抜井亮瑛(ぬくい・りょうえい)に敗れて4位に終わったが、普段から一緒に遊ぶ仲間の優勝を、「負けて悔しいですが、優勝してくれてうれしい気持ちもあります」と祝福した。

 2位になったのは予選ラウンドを16位で通過した藤井快(こころ)。予選17位と0.056秒差の8秒690でかろうじて決勝ラウンドに進むと、準決勝では公認日本記録になった6秒920をマークした。

「公式戦で初めて6秒台のタイムを残せたのがうれしかったです。でも、今後に向けては6秒台をコンスタントに出せるようにするという課題も見つかったので、そこに取り組んでいきたいですね」(藤井)

 藤井のように充実した表情を浮かべる選手がいる一方で、対極の顔があるのも勝負の世界。予選ラウンドを1位通過しながらも、決勝ラウンド1回戦で藤井に敗れた緒方良行は、ゴール目前まで先行していたものの、最後のパートで左足が流れてホールドを踏み損ねた。藤井が練習で6秒台を出していることを知っていたため、それで生まれた重圧も影響したようだ。

「決勝ラウンドの1回戦は、もう少し余裕を持って登れる相手と対戦したかったから、予選から全力を出したんですけど、(藤井)快さんが予選16位になった時点で、1位通過した意味がなくなった部分はありました。ただ、それでも途中までは先行していたから、最後で足が流れたのが悔やまれます。

 ボルダリング・ジャパンカップの結果(8位)が悪かったので、今年の国際大会に出るために、この大会に賭けていたので……。今はまだ切り替えられていませんが、次に向けてしっかり気持ちを切り替えて準備していきます」(緒方)

 五輪切符のかかる今シーズンは、選手たちが各大会にそれぞれの目標やテーマを持って臨んでいる。勝負のあやが選手たちの置かれる状況を変えるが、五輪に向けた勝負はまだ終わったわけではない。

『ジャパンカップ』は、1月末のボルダリングと今回のスピードに次いで、3月2日、3日に千葉・印西で『リード・ジャパカップ』が開催される。登った高度で成績を競うリード種目は、1度のトライしか許されない一発勝負。日ごろのトレーニング量と高い突破力が求められる種目へと、すでに選手たちの目線は向いている。

 果たして、最後に笑うのは――。