彼とじっくり話すのは、実に14年ぶりだった。 14年前、当時サッカー専門誌の駆け出しの記者だった筆者は、セレッソ大…

 彼とじっくり話すのは、実に14年ぶりだった。

 14年前、当時サッカー専門誌の駆け出しの記者だった筆者は、セレッソ大阪の担当として、売り出し中の大久保嘉人を追いかけていた。

 初めてインタビューをしたのは2003年。前年にセレッソ大阪のJ1昇格の立役者となった21歳の若きエースは、アテネ五輪を目指すチームでも主軸を担い、これからの日本サッカー界を背負って立つ人物として注目されていた。



昨季途中に移籍したジュビロ磐田では3得点に終わった大久保嘉人

 野性味あふれるプレースタイルで相手ゴールを襲い、年上の選手に対してもひるむことなく向かっていく。時に感情をコントロールできず、悪態をついて赤い紙を掲げられてしまうこともあった。歯に衣を着せぬ物言いも、特徴のひとつだろう。

 そんな彼に対するイメージは、悪童だった。生意気な態度で、人を寄せつけない雰囲気を醸し出し、どこか孤高の存在だった6歳年下の大久保に対して、筆者は畏怖の念を抱いていた。

 もっとも、注目が集まれば集まるほど、大久保を取材する機会は増えた。2003年には代表入りを果たし、2004年にはアテネ五輪に出場。そして2005年にはスペインのマジョルカに旅立つこととなった。

 移籍したばかりの大久保を、スペインまで追いかけたこともある。その時、自宅に招かれて行なったインタビューが、結局、大久保との最後の接点となった。翌年、筆者はC大阪担当を離れ、一方の大久保は海外挑戦に終止符を打ち、C大阪に復帰する。

 2007年にはヴィッセル神戸に移籍し、2009年に再び海外挑戦を決断したが、志半ばで神戸に復帰。2013年に移籍した川崎フロンターレでは3年連続得点王の偉業を成し遂げ、その後、FC東京、川崎、そしてジュビロ磐田と渡り歩く。

 2度のワールドカップにも出場した大久保のサッカー人生は、まさに波乱万丈だったが、筆者は彼とは疎遠のまま、そのキャリアを傍観者のように見守るだけだった。

 もちろん、その間にプレーを見る機会はあったし、試合後のミックスゾーンで大久保の言葉に耳を傾けたこともある。しかし、それはいわゆる囲み取材であり、直接言葉をかわすことはなかった。

 マジョルカでのインタビューから14年、鹿児島でキャンプを張る磐田の取材に訪れると、元気そうな大久保の姿があった。練習後に声をかけると、「おお、久しぶりっすね!」と、意外なリアクションで歓迎してくれた。

 筆者を覚えてくれていたことが意外であり、うれしくもあった。そして、大久保が14年前と変わっていないことも、うれしかった。もちろん、顔には年相応のしわが刻まれ、雰囲気も悪童だったあの頃とは変わり、物腰も柔らかくなったような気がする。

 それでも、サッカーに対するぎらぎらとした想いは、14年前と何ら変わりはない。勝ちたい、うまくなりたい、チームを強くしたい――。同年代の選手が次々と引退していくなか、J1最多得点記録を持つレジェンドは、今もサッカー小僧であり続けていた。

 聞きたかったのは、昨シーズンのことだ。FC東京から川崎に復帰しながら、夏に磐田への移籍を決断。しかし、新天地で思うようなパフォーマンスを見せられず、チームも降格の危機に陥った。東京ヴェルディとの入れ替え戦を制し、降格こそ免れたものの、大久保にとって苦しいシーズンであったことは間違いない。

「移籍してきて、いろいろと衝撃を受けるようなことが多かったね」

 大久保は昨季の心境を吐露した。本音を語ってくれたが、「うまく編集してね」と言う大久保の言葉を要約すれば、パスがつながらず、ディフェンスに走らされる時間が長く、シュートさえ打てない状況だったということだ。

「俺、1試合でシュート5本は打っていたからね。0本の試合が続くことって、今までのサッカー人生ではなかったよ」

 シーズンが進んでも、状況は変わらない。シュートさえ打てないもどかしい試合が続いた。出場17試合で3得点。これが、大久保が昨季の磐田で残した成績だ。

 そもそも、磐田に移籍したのは、「名波さんに得点力不足だから助けてほしい」と言われたからだった。

「そう言われてうれしかったし、川崎でも試合に出ていなかったから、俺が行って変えてやろうって」

 強い気持ちで新天地へ向かったものの、ひとりの力ではチームを変えることはできなかった。

「周りにはいろいろ言ったけど、なかなか難しかったね……」

 過去の大久保のイメージに照らし合わせれば、おそらくキレている状況だ。だから、その疑問をぶつけると、大久保はにやりと笑って、こう答えた。

「いや、キレたよ(笑)。でも、俺がキレたからといって、できるわけでもないからね。だから、もっと要求していこうって。みんな聞く耳を持つし、やろうとするから、今はそれが楽しくなってきた」

 味方に怒りをぶつけるのではなく、できるようになるまで要求していく。若いころの大久保からは、考えられないような懐(ふところ)の広さである。

「そうだね、年齢的なものもあるかもしれないな」

 大久保は柔和な表情で、そう答えた。

「やっぱり、去年のようになりたくないから。みんなでチャレンジしていきたい。たとえば、ミスをしてもいいから、危険なパスを出してみる。そういうところから変わっていけると思うんだよね。みんな、やろうと思ったらできる。違った気持ちになれば、サッカーも変わるんじゃないかなって。だから、今は楽しみな気持ちのほうが大きいよ」

 もちろん、自身がゴールを奪いたいという欲求は、衰えてはいない。

「ここ2年、全然取れてないからね。今年こそ、爆発したいね」

 気持ちは衰えていなくとも、肉体的な面はどうだろうか。今年で37歳を迎える。普通であれば、影響が出てきてもおかしくない年齢である。

「昔とまったく変わってないよ。身体も全然動くし、ケアとかも何にもしていない。昔と一緒。でも、ケガしたら終わりかな。ケガしたらやめるよ(笑)」

 そういって、大久保はロッカールームへと消えていった。どこまで本気かわからない。おそらく、何も考えていないのかもしれない。昔もそうだった。大きなことを言い放ち、気づけばそのすべてを実現させていった。

 あいかわらず、掴みどころのない男である。常人には理解できないことを平気でやってのける。だからこそ、大久保には大きな期待が寄せられるのだ。