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★日本サッカーを救った男の現在地 後編

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 JSAA(日本スポーツ仲裁機構)での仲裁をJリーグ側が拒んだために、我那覇和樹はスイスに本部があるCAS(スポーツ仲裁裁判所)に提訴をするしかなくなってしまった。JSAAは5万円で申し立てができるが、CASは提訴の費用だけでも軽く1000万円を超える。冤罪被害者である我那覇は、経済的にも大きな負担を負うこととなった。



カマタマーレ讃岐と応援してくれるサポーターのために、活躍を誓った我那覇和樹

 ここでJリーグの選手会と川崎のサポーターたちが我那覇のために募金に奔走する。選手会は藤田俊哉会長(当時名古屋グランパス)が、サポーターグループは川崎華族の山崎真が中心になり、その輪を広げていった。藤田の提唱にはすべてのチームの選手会が賛同し、山崎たちの行動にはフロンターレ以外のチームのサポーターまでも共鳴し、募金に協力をしてくれた。2連覇をした最強フロンターレの若いサポーターたちには12年前のそんな歴史もぜひ知っていてもらいたい。

 2008年5月27日、CASの裁定が下された。「本件の特殊な事実と事情に鑑み、パネル(CAS陪審員)は、我那覇選手はまったく過失なく行動したとの結論に至った。よって、本件上訴を認め、我那覇選手に関する本件処分は取り消され、申し立て人が求める救済をここに認める」(CAS裁定文)

 我那覇は真っ白だった。しかし、Jリーグの鬼武健二チェアマン(当時)はここに及んでも非を認めず、我那覇への処分は撤回したものの、川崎から徴収した制裁金1000万円を返還しないという意向を示した。これは、判決文が我那覇への制裁を取り消せと言っているのに「ドーピングであったか否かには触れていない」という詭弁を弄した潔さを欠く行為であったが、このことで各メディアはまた「川崎への制裁金は返還されず」と見出しを打ち、あたかもグレーな決着であったかのような印象を与えてしまった。鬼武チェアマンに30分でもWADA(国際アンチドーピング機構)規定を読み込む責任感と能力があれば、完璧に無罪であると断じられたはずであるのだが。

 この事件は、風邪の点滴治療を正当に受けただけの選手が誤報と規程の間違った運用で一方的にドーピングにされ、あとは組織のメンツのためにCASに行くまで裁定の見直しすらなく、裁定後に謝罪もなかったという、いわばひとりの選手に向けた組織的なパワハラであった。組織はガバナンスを効かそうとせず、どこの大学の先輩の誰がこう言ったから従っておこうというそんな次元で選手の名誉を奪おうとした。

 当時のJリーグのトップの人たちはもう皆いなくなり、制度的に問題のあったドーピングを裁く機関も改善されている。2016年に偶然使用したクラブ推奨のサプリメントが原因で陽性反応が出てしまったサンフレッチェ広島の千葉和彦が、拙速な報道被害や誤った裁きを受けずに、しっかりと検証され、処分も本人の落ち度ではないということで最も軽いけん責処分に落ち着いたのは、紛れもなくこの我那覇の件からJリーグが学んだからである(選手を預かる多くの代理人たちからも我那覇への感謝の言葉が聞こえてきた)。また、本件の責任を取らされるかたちでフロンターレを解雇された後藤秀隆チームドクターも現在は復職を果たしている。望むべくは、Jリーグは今からでも川崎に制裁金の1000万円を返還すべきである。

 再びカマタマーレの練習場。我那覇は今、何を思うのか。愚問だった。カマタマーレ讃岐を1年でJ2に昇格させることしか考えていない。前向きな言葉しか出て来ない。

「契約してくれた讃岐のために恩返しをして、シーズン後にはサポーターと一緒に喜びたいですね。高松での生活も6年目ですから、慣れて来ました。住みやすいですよ。ベテランということで上村(健一)監督からも調整は信頼して任せてもらっていますから、余計にそれに応えないといけないと思っています」上村監督もまた我那覇については「やりやすい環境で活躍してもらいたい」と尊重している。

 本人に慢心はない。FC琉球時代の経験も踏まえて言う。

「降格しても実績のある選手がほとんど残ってくれました。でも、それですぐに上位に行けるかというほどJ3は甘くないと思います。移動も厳しいし、謙虚にやらないと。若い選手の多いカテゴリーだから、走り負けないようにしないといけない。だからこそ、ブレることなくシーズンを乗り切ることですね」

 サッカーが好きで仕方がない。そんな気持ちが表情や言葉から伝わってくる。我那覇のCASの聴聞会でのスピーチを思い出す。

I devoted my whole life to football and I have never done anything to betray it.

(私はサッカーに人生を捧げて来ました。サッカーを裏切るようなことはしていません)

I also wish that no other athletes should ever go through the experience that I had.

(私と同じような思いをする選手があってはならないと思います)

 我那覇は済んだこととして一切、過去には触れない。しかし、と筆者はいつもあの冤罪事件がなければと思ってしまう。2007年元旦の沖縄の地元紙沖縄タイムスの特集の中で彼は「欧州でプレーしたい」と語っていた。事件がなければ日本代表定着、沖縄出身選手として初のW杯出場。ヨーロッパのクラブへの移籍という道が開けていたであろう。だが、「たられば」は絶対に口にしない。

「それは僕に力がなかったからですよ。僕に力があればあのまま代表に残れたんです。それを言い訳にはしたくありません」

 CASへ提訴に向かうため、東京の弁護士との打ち合わせに連日時間を取られていた頃は、練習に向かう車の中でひとり泣いていたというのに、誰かを責めるということは一切口にしないのだ。

 讃岐に献身を誓っている一方で川崎への愛も忘れてはいない。今でもすべての試合の結果を確認し、2連覇には心の底から祝福した。自分のチャントが、サポーターたちの想いから同じ沖縄出身のFW知念慶に受け継がれていると知ったときは、本当にうれしそうな顔をした。

「知念、いい選手ですね。川崎の人たちが僕のことをまだ思ってくれているというのは感謝しかありません」。

 筆者は我那覇のことを書くたびに、日本サッカーを救った男と修辞する。決して大げさな表現ではない。彼が立ち上がったことでJFA加盟のすべてのサッカー選手が正当な医療行為を受ける権利を担保されたのだ。言い換えれば、日本サッカーに携わる人々の人権と身体を守ったのだ。彼が立ち上がらなければ、南アフリカ大会の代表の躍進もなでしこのW杯優勝も、もしかするとなかったかもしれない。我那覇は自身が成し遂げたことをめったに語らない。ただそんな選手であるということは、いつまでも語り継ぎたい。当然ながら今季のカマタマーレの戦いにも注目していきたい。