パラアスリートをはじめ、パラスポーツに関わる人たちを支えるヒト・モノ・コトについて迫るインタビュー連載「パラサポーターズ+!」。記念すべき第1回はパラトライアスリートとして世界で活躍する秦 由加子さんに、トライアスロンを始めるまでのいきさつ…

パラアスリートをはじめ、パラスポーツに関わる人たちを支えるヒト・モノ・コトについて迫るインタビュー連載「パラサポーターズ+!」。記念すべき第1回はパラトライアスリートとして世界で活躍する秦 由加子さんに、トライアスロンを始めるまでのいきさつと、秦さんを支える義足について話を聞きました。

── まずはスポーツの経歴からうかがいたいのですが、社会人になってから水泳を始めた経緯を教えてください。

「タイミング的には、就職をして自分でお金を稼ぐようになり、時間に余裕もできたことが大きいですね。病気になって脚を切断してからずっと『変わりたい』と思い続けていたんです。でも、足が不自由であることを表に出すことができず、それでいて、常に周りからの視線を感じながら生活している自分がすごく嫌で。何か変わるきっかけが欲しくて、3歳から小学4年生までやっていた水泳をもう一度始めてみようと、一般のフィットネスクラブに入会しました」

── 「変わりたい」という思いがきっかけになったんですね。

「水泳を始めるまでは義足を見せること自体、考えられないことでした。人前で着替えることもできなかったですし、水泳を再開したときも更衣室ではなく、裏の事務所を借りて着替え、バスタオルを巻いてプールサイドまで行き、見られていないことを確認しながらプールに入りました。それくらい恥ずかしかったんです。いまではほとんど気にならなくなりましたけど」

── 水泳をしながら、少しずつ慣れていったのでしょうか。

「少しずつですね。プールに入っているときに、潜って見るような人がいたりもしました。いまから15年ほど前のことですが、私のような障がい者と接する機会はほとんどなかったでしょうし、そういう人がスポーツをするという珍しさもあったはずです。2020年の東京でのパラリンピックの開催が決まって、ようやく目にする機会も増えましたね」

── 一般の方に交じっての水泳は、我々が思うより苦労も多そうです。

「そういった環境で水泳をしていましたが、自分自身なかなか変われずにいたこともあり、インターネットで“障がい者”、“水泳”、“千葉”と検索したところ、ちょうど千葉ミラクルズSCという障がい者のスイミングチームができるタイミングで、思い切って連絡をしてみたんです。同じように考える障がい者と会うことは初めてでしたね。それまではそういう人たちと関わる機会もありませんでしたから。少し前までポケベルの時代でしたし(笑)」

── 話をしたい気持ちはなかったんですか。

「あったとしても、あきらめていたように思います。義足を作る病院に行くと、脚を切断している人はいますが、そこで挨拶はしても深い話にはなりません。まして、水泳の話なんて出ませんし、自分にとってスポーツは縁遠いものでした。インターネットで情報が得やすくなったのは大きいですね」

── そうして、千葉ミラクルズSCに入ったことがひとつの転機になったと。

「本当のスタートです。そこには私と同じように脚を切断した人もいれば、目が見えない人や耳が聞こえない人もいて、初めて障がいを持つ仲間ができました。障がいを隠すことなく堂々と生きている人たちを目の当たりにして、こういう風に生きてこられたらよかったと思ったりもしました。仲間の存在は刺激になりますね」

── 競技としての水泳にのめり込んでいくのもそこからですね。

「障がい者の水泳大会があることを知って、せっかくだから出てみようと。小学生のときに選手コースだったこともあってか、泳いでみたらタイムもまあまあよくて、そのあと紹介されて参加した合宿で最初のコーチと出会いました。選手としても活躍され、現在は特別支援学校に教諭として勤めながらコーチとしても活動をされている、岸本太一さんです。仕事のあとにマンツーマンで指導を受け、『どうせやるならパラリンピックを目指そう』と言ってもらえたこともあって、趣味として楽しむことから選手として泳ぐことへとシフトしました。稲毛インターナショナルスイミングスクールに入ったのもその頃です。出勤前に朝練ができる環境を作りたくて」

── その後、2012年のロンドンパラリンピックを目指すも出場できず、翌年にトライアスロンに転向されました。そこにはどういった思いがあったのでしょうか。

「もともと稲毛インターで朝練をしていたのがトライアスロンのチームの人たちだったということもあって身近なものでしたし、周りからも奨められていましたが、走ったことも自転車に乗ったこともなかったので自分がやるとは考えていませんでした。『楽しそう』、『足があれば』なんて思うくらいで」

── 確かにトライアスロンはハードルが高そうです。

「でも、あるとき、サラ・レイナートセン選手(注:アメリカのパラアスリート。パラトライアスロンの先駆者的存在)が仁王立ちする雑誌の表紙を目にして、トライアスロンを始めたらこんな風になれるかもしれないと憧れるようになりました。それまではまだ普段の生活では義足だとわからないように過ごしていたのですが、写真のサラは義足をそのままにしていて、その姿がすごくかっこよかったんです」

(後編に続く)

【プロフィール】

秦 由加子さん

はた・ゆかこ●1981年生まれ、千葉県出身。13歳で骨肉腫を発症し、右大腿部より切断。2007年に水泳を再開し、2008年より障がい者の水泳大会に出場する。その後、2013年にトライアスロン競技に転向。2016年にはリオパラリンピック出場を果たす。