自主トレ、たけなわである。 2月1日のキャンプインを前に日本中から、いや、今ではハワイやグアムなど、海外からも自主…

 自主トレ、たけなわである。

 2月1日のキャンプインを前に日本中から、いや、今ではハワイやグアムなど、海外からも自主トレの話題が届く。

 そんな中、八女(やめ)にプロ野球選手の”虎の穴”がある。

 八女茶で知られる、福岡県の八女市。この小さな町に毎年、10人近い数のプロ野球選手(多くがピッチャー)が集い、約1週間の自主トレを行なっている。



ソフトバンク東浜巨に体の使い方を指導するスポーツトレーナーの鴻江寿治氏

 今年は千賀滉大、東浜巨、松本裕樹、川原弘之(以上、ホークス)、松葉貴大(バファローズ)、種市篤暉(あつき/マリーンズ)、榎田大樹(ライオンズ)が参加、球団の枠を越えた面々がここへ集ってくる。

 彼らは朝の10時に集合すると、近くの山まで車で移動し、そこでアップをした後、およそ1キロの山道を下る。上るのではなく、下るのだ。下まで降りると、また車で上まで運ばれ、そこからまたまた下る。合計3本の山下りは、走るのではなく、”走らされて”しまう感覚があるのだといい、選手たちは苦しさのあまりに悲鳴を上げる。

「上り坂は根性しか鍛えられないけど、坂道を下ることはふくらはぎを鍛え、ケガを防止する効果がある」と言うのは、この”八女の虎の穴”のボス、鴻江スポーツアカデミーを主宰する鴻江寿治(こうのえ・ひさお)さんだ。

「この時期、選手にとっての最優先は、今シーズン、いかにケガをしないで過ごすことができるか。そのための身体のバランスを整えて、フォームづくりをして、そのうえで、いかに一軍で勝負できるボールを投げられるようにするか。そこまでを考えています」

 下り坂を走ったあとは、球場へ移動して昼食をとり、その後、選手たちはマウンドへ上がって、順次、ピッチングを行なう。そのフォームは、ホーム側、センター側、一塁側、三塁側から同時に撮影されていて、マウンドを囲むように置かれた3台のモニターに、フォームの映像が時間差で再生される。1球投げ終わるごとに、ホーム側、一塁(右ピッチャーは三塁)側、センター側からの映像を、ピッチャーがすぐに確認できるよう、時間差再生のセットアップがなされているのである。

 しかし、その時間差で再生される映像よりも先に、”八女の虎の穴”のボスはフォームの問題点、身体の使い方の違いをいち早く指摘する。

「グラブは親指で上げて」
「もっと前、まだまだ前に行けるよ」
「骨盤がかぶってるから返そうとしなくていい、勝手に返るから」
「ヒジを下げて、距離を作って」
「腰を横に回せば手首が立つよ」
「頑張ってインステップして」
「残したらダメ、肩を痛めるよ」
「ラインを意識して、ラインに乗せていけばそこへ行くから」

 1球ごとに声を出す鴻江の指摘を、ピッチャーたちはすぐその場で映像を見ながら確認する。すると、スローで再生されるフォームは、鴻江の言葉どおりの問題点をあぶり出す。

「鴻江先生にはいったい、何が見えているんだ」

 選手たちは一様に驚きを口にする。

 そんな言葉を聞かされて、”八女の虎の穴”のボスは、およそボスらしからぬ甲高い声で笑いながら、こう言った。

「選手たちを見ていると、おぼろげな立ち姿の中から、フィニッシュまでの映像が見えてくるんです。この立ち方の人間だったらこうやって動けば空振りが取れるボールが投げられる、というフォームのイメージが、選手たちの後ろ姿とか立ち方、歩き方から自然と頭の中に再生されるんです」

 昨シーズン、トレードでタイガースからライオンズへ移籍し、32歳にして初めての2ケタ勝利を成し遂げたライオンズの左腕・榎田は、この”八女の虎の穴”に去年から参加している。東京ガスで同期だったイーグルスの美馬学に誘われて参加した去年の今頃、榎田が鴻江から投げ掛けられた言葉の数々は、これまでの常識を覆すものばかりだった。榎田が言う。

「ヒジを下げろとか、インステップを頑張れとか、軸足に残さないで前へいけとか、腕は振るんじゃなくて振られるんだとか、先生の言葉は今までの指導とは逆のことばかり。先生はひとりひとりを見て、その人に合ったアドバイスをしてくれるので全部が全部、常識と逆というわけではないんですけど、僕の場合は、上から叩こう、ステップはまっすぐ、前へ突っ込まないように、腕を強く振ろうと意識していましたから、ホント、真逆でした(笑)。

(タイガースで)長く二軍暮らしをしているうちにあれこれ考え過ぎてわけがわからなくなっていたこともあったので、思い切って先生の言葉どおりに投げてみたんです。そうしたら、自分の思い描く軌道のボールが投げられました。身体の中でしっかり投げられたというか、自然な形で投げていた頃の感覚に近いものを取り戻したというのか……去年、先生と出会ったおかげで1年間、ケガなく投げられて、それがいい結果につながったんだと思います」

 人間の身体は”うで体=猫背”と”あし体=反り腰”に二分されるという鴻江理論――その考え方に基づいて、うで体、あし体のそれぞれに合わせたフォームがあるという鴻江は、それぞれのピッチャーに正解があると続けた。

「ひとりひとりに理想の答えがあるんです。同じうで体でも右ピッチャーと左ピッチャーでは違うし、あし体でもそう。身長差もありますし、生活習慣や使っている靴、ベッド、着ている服も関係しています。僕は、うで体、あし体のそれぞれに10項目のチェックプランを持っていて、それぞれのタイプはその10項目をすべてクリアしなければなりません。うで体の人が、ひとつでもあし体の動きをしてしまったら、それはウイルスが入ってしまうようなものなんです。だから、自分がどちらのタイプで、どう動くべきかを理解しなければなりません」

 練習が終わると、選手たちは三々五々、汗を流し、夕食をとる。やがて、あたりがすっかり暗くなると、”八女の虎の穴”の夜の部が始まる。

 鴻江スポーツアカデミーの”本部”にスタッフが籠って、昼間、撮影した映像を二分割に加工。選手たちがそれを見ながらそれぞれの正解を確認し、互いのフォームについて侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論を戦わせる。それがまた勉強になる、と選手たちは言う。

 ホークスのチームメイトとはいえ、千賀は2つ上の東浜にも遠慮しない。練習で投げ始めたときのフォームと、鴻江の言葉に従って変わろうとして投げ続けた末の最後のフォームは、映像で比較すると明らかに違っている。目の前で二分割の映像を見せられた選手たちは、まず、あまりの違いに驚き、その違いは進化であると感じ取る。そして、今までの常識と逆の発想に立たなければ、その進化が身につかないことを思い知る。鴻江は言った。

「人間の一瞬の、囁くような動きを身につけることができます。みんな、そのためにここへ来るんです」

“八女の虎の穴”で答えを見つけた選手たちは、それぞれの宿題と希望を抱えて、2月1日、キャンプに突入する――。