2018年の平昌冬季オリンピックで金メダルを獲得したスピードスケート女子チームパシュート(団体追い抜き)。日本チー…

 2018年の平昌冬季オリンピックで金メダルを獲得したスピードスケート女子チームパシュート(団体追い抜き)。日本チームの3選手が隊列を組み、一糸乱れぬ動きで氷の上を美しく滑り、オリンピックの頂点に立った姿を今でも記憶している人はきっと多いだろう。

 日本中が歓喜した瞬間を、今度は2020年に開催される東京2020オリンピックのチームパシュートで再現するために、日本のトップ選手たちは日々厳しい練習を積み重ねている。東京2020オリンピック でメダル獲得が期待されているのは、もちろんスピードスケートではなく、自転車競技のチームパシュートである。

 自転車のトラック競技のひとつであるチームパシュートの基本的なルールはスピードスケートと一緒で、対戦する2チームがトラックの両側から同時にスタートし、相手チームよりも速いタイムを出したほうが勝ちという団体競技だ。

 自転車の場合、1チーム4名の選手で構成されており、先頭を交代しながら4kmの距離を走り、チームの中で3番目にゴールした人のタイムが記録となる。個々の選手のスピードと技術に加え、チームワークが勝敗のカギを握る競技だ。



「TEAM BRIDGESTONE Cycling」の近谷涼選手

「平昌で金メダルを獲得したスケートの女子チームパシュートの選手たちは、隊列をまったく崩さずにぴったり一列になって走り続けていました。あれは海外の選手はなかなかできない技術だと思います。

 自転車のチームパシュートもまったく同じで、レース中の平均速度は時速60キロ以上になり、他の選手との間隔は10数センチしかありません。その中でいかに隊列を崩さずに速く走ることができるのかが勝負のポイントになります。少しでも隊列が乱れると、後ろの選手は風圧を受けて力をロスしてしまいます。コーナーリングや先頭交代もあります。

 こういう繊細な技術が要求される種目は、日本人が得意な分野だと思います。個々で戦うと、海外のパワーのある選手に負けてしまいますが、技術面を含めたチームでの戦いになると、かなり差が詰まってきます。だからこそ、チームパシュートは日本人に合っている競技だと思います」

 そう語るのは、2018年の全日本自転車競技選手権大会トラック・レースにおいてチームパシュートで優勝した近谷涼(ちかたに・りょう)だ。富山県出身の26歳は、2018年アジア自転車競技選手権大会トラック・レースのチームパシュート、個人パシュートでも2冠を達成。 日本のチームパシュートのエース的な存在なのだ。

「4人の選手の呼吸がほんのちょっとずれただけで、まったくタイムが出ないのがこの競技の難しさです。チームワークを高めるために、普段からなるべくチームメイトと生活をともにして一緒に行動することを心掛けています。そうすることで、お互いに言葉を交わさなくてもチームメイトの調子がわかるようになってきます。あうんの呼吸と言いますが、そういう部分が強化されていきますね」

 2020年、日本で開催されるオリンピックの出場権を獲得し、メダルを手にするためには、チームワークだけでなく、「個々の選手のレベルアップも欠かせない」と近谷は語る。そのために普段はどんな生活を送っているのだろうか? 東京2020オリンピックで自転車のトラック・レースが開催される伊豆ベロドロームに程近い、静岡県三島市に活動拠点を置く「TEAM BRIDGESTONE Cycling(チーム ブリヂストン サイクリング)」に所属する近谷の一日のスケジュールを聞いてみた。

「3日間練習して1日休むというのが基本的なスケジュールです。練習する日は強度と心拍をあげて、目いっぱい足を使うようなトレーニングをします。休みの日は完全に何もしないというわけではありません。自転車と離れる時間を極力つくりたくないので、30分とか1時間でいいので、軽いギアで回す練習をして、自転車に乗るための筋肉を動かすことを心掛けています。

 練習日は、たとえば朝7時ぐらいに起きて朝食を食べた後、8時半か9時ぐらいにはロードのトレーニングに出かけます。それから午後の2時から3時、ときには夕方の4時ぐらいまで走っていることもありますね。距離で言うと、120~160kmぐらい。ナショナルチームの合宿の時はそれこそ一日中、180~200kmぐらいを走ることもあります。

 また、身体づくりのためにウエイトトレーニングを重点的にする日もありますから、そういう時は午前中にウエイトをして、午後にロードに出ます。チームの拠点の三島から伊豆半島方面に行けば、起伏があって、気持ちよく走れるコースがいっぱいあります。それに、トラックの練習をしようと思えば伊豆ベロドロームに行けばいい。最高の練習環境が整っています」

 近谷が今”世界との差”を痛感しているのがフィジカル面だ。とくに純粋なパワーが世界のトップ選手に比べて足りないと感じており、食事を含めた身体づくりに力を入れているという。

「身体ができてくれば、もっとパワーが出ると思います。やはり、海外のトラック競技の選手は体つきががっちりしていますね。僕自身、体重をもっと増やしたいんですが、なかなか増えていかないのが課題です。それに、ただ練習だけをガンガンしていても、逆に痩せてしまいます。練習と食事、そして休養や睡眠などのリカバリー、すべてをバランスよくやっていかないと強くなれません。だから寝るのも食べるのも練習。強くなることだけを考えて、日々の生活を送っています」

 東京2020オリンピックまであと1年半余り。ナショナルチームに選ばれている近谷本人はもちろん、サポートする家族や企業、所属する「TEAM BRIDGESTONE Cycling」 など、すべてが「オリンピックでメダルを取る」という夢のために動いている。近谷は、周囲からのサポートに心から感謝し、みんなの期待に応えたいという使命感 に燃えている。しかし同時に強烈なプレッシャーや孤独を感じる瞬間もある……。それはオリンピックでメダルを期待されているアスリートの誰もが抱えている苦しみなのかもしれない。

「僕のやるべきことはシンプルです。オリンピックでメダルを取ること。その一本の道しか、僕の目の前にはありません。周囲は当然メダル獲得を期待してくれていますし、僕自身も自転車競技で自分を表現してみんなの期待に応えたい。だから、一本道を全力で走り続けるのですが、孤独な戦いでもあります」

 それでも近谷が、2020年へと続く一本道を全力で走り続けられるのは「自転車が好きだ」という気持ちがあるからだという。子どもの頃に自転車のサドルにまたがり、友だちと近所を走りまわった時の歓びが、今でも彼の原動力になっている。

「やっぱり自転車に乗っていると楽しいんです(笑)。僕はこれまで自転車、野球など、いろんなことに取り組んできました。とくに野球は小学校から中学まで、自転車と並行しながら続けてきました。将来は甲子園に行ってプロ野球選手になろうと思い、両親とプロ野球の試合を見に行ったことも何度かありました。だから高校に入る前は、野球で甲子園を目指すのか、自転車で可能性を見出すのか、すごく悩みました。でも結局、野球は自転車ほどがんばれなかったんです。

 野球の場合、学校での練習が終わって家に帰ってくると、ピッチングの練習や素振りをある程度こなすと、『もういいかな』と思って休んでしまいました。ところが、自転車はもっと強くなるためにはどうしたらいいのかと常に自分で考えて、練習することがまったく苦になりません。成長すると、それがうれしくて、さらに厳しい練習を重ねて自分の限界をこえていく……。それが楽しくて、高校3年間は自転車競技に打ち込みました。

 レベルは違いますが、今でもやっていることは一緒です。限界をこえると、さらにその先に行くためにはどうしたらいいかと自分で考えて、練習を積み重ねる。それを何度も繰り返しているうちに精神的にも肉体的に成長し、ここまで来ることができました。自転車と出会って本当によかったですし、人間的にも成長することができたと思っています」

 近谷は東京2020オリンピックを28歳で迎える。まさに自転車選手としてピークとなる年齢で、世界最高の舞台に立つことになる。こんな経験は誰もができることではない。だからこそ彼は、競技人生のすべてをかけて、自分の夢に挑戦する覚悟だ。

「僕のこれまでの人生、喜怒哀楽のすべてが自転車とともにありました。これからオリンピックまでの間に、僕の前にさまざまな困難や壁が立ちはだかると思います。でも、それらを乗り越えた時にまた人間としてひと回り成長できると信じていますし、その経験がオリンピック後の僕の人生にとって大きな糧になるはずです。ただ今は、オリンピックのメダルを目指して、自分の限界にチャレンジしていきます!」