「我が土俵人生に一片の悔いなし」

“孤高の正々堂々”を貫いた横綱・稀勢の里が、土俵人生に幕を下ろした。



初場所4日目の1月16日に引退した稀勢の里

 昨年11月の九州場所で4連敗を喫し、場所後に横綱審議委員会から史上初の「激励」勧告を受けた。退路を断たれた初場所は初日に御嶽海に敗れると、2日目に逸ノ城、3日目も栃煌山に寄り切られ3連敗。昨年9月の秋場所の千秋楽から、横綱としてワーストの8連敗という状況に追い込まれ、4日目の朝に引退届を日本相撲協会に提出した。

 2002年春場所に15歳で初土俵を踏んでから、愚直に歩んできた16年10カ月。引退届を提出した1月16日の午後に開かれた引退会見では、真っ直ぐ前を見据え、こう言った。

「横綱としてみな様の期待にそえられないということは、非常に悔いは残りますが、私の土俵人生において一片の悔いもございません。

(今場所に臨むにあたって)覚悟を持って場所前から稽古をしてきました。『これでダメなら』という気持ちになるくらい、いい稽古をしました。自分の中では悔いはありません」

 声は震えていたが、表情は清々しかった。漫画『北斗の拳』の登場人物であるラオウが残した名セリフ、「我が生涯に一片の悔いなし」を思い起こさせる言葉を繰り返し、心から愛する土俵に別れを告げた。

 ラオウへの傾倒は、2011年11月7日に59歳で急逝した先代の鳴戸親方(元横綱・隆の里)の影響だった。稽古場から日常生活に至るまで、常に「他の部屋の力士となれ合うな」「力士は孤独であれ」と叩き込まれてきた。

 その教えが、『北斗の拳』で孤高を貫き、強さを誇示するラオウへの憧れに拍車をかけた。横綱昇進時には三つ揃いの化粧回しを『北斗の拳』のキャラクターで制作。太刀持ちがケンシロウ、露払いがトキ、そして自らはラオウの化粧回しを身に着けるほど、その生き方を自らにダブらせた。

 先代は、生前に「勝っても負けても”正々堂々”を貫くことが力士の務めであり、それがファンの皆様にできる最大のファンサービス」と口にしていた。そして弟子には「勝っても負けても感情を表に出すな」と指導。横綱、大関を倒した後に呼ばれるインタビュールーム、支度部屋での言葉を報じる翌日の新聞記事にも目を光らせ、勝って浮かれる、負けて落胆するコメントを発していれば厳しく戒めた。そして、繰り返しこう訴えていた。

「一生懸命、稽古しても勝つときもあれば負けるときもある。大事なのは、その姿勢なんです。勝っても負けても正々堂々でなければいけません。それが力士の美なんです」

 その教えを守り、勝っても負けても正々堂々を貫いた稀勢の里は、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜といったモンゴル出身の横綱たちにも、まさに”孤軍奮闘”の形で果敢に挑んだ。

「自分が成長できたのは、朝青龍関をはじめ、モンゴル人横綱の方々のおかげだと思っています。朝青龍関の稽古を巡業で見て、その背中を追いかけて少しでも強くなりたいと稽古しました。日馬富士関にも、苦しいときにいいアドバイスをもらったこともありますし、非常に感謝しています」

 モンゴル出身の4横綱の厚く高い壁に挑むことが、力士としての成長につながった。番付が上がっていっても真摯な土俵態度がブレることはなく、大関、そして横綱へと昇進したが、その後は苦しい時期が続いた。

 横綱に昇進して初めての場所になった2017年春場所で、左腕と胸を負傷しながら優勝したものの、翌場所から8場所連続休場。横綱としてわずか36勝しかできず、朝青龍、白鵬が残した成績と比べると、”綱の責任”を果たしたとは言えない。そのため一部からは、「横綱の権威を汚した」「史上最弱」という批判も浴びた。

 ただ、正々堂々を貫くことが大相撲の根幹であるならば、稀勢の里の相撲には、勝っても負けてもウソ偽りのない真実があった。「勝ってくれ」と祈ると負けてしまう。優勝まであと一歩のところで挫折してしまう。そんな現実を浮かび上がらせてくれたからこそ、相撲ファンはその勝敗に自らの人生を重ねて一喜一憂し、声援を送ったのだ。

 引退会見の中で、8場所連続休場中に「潔く引退するか、ファンの人たちのために相撲を取るのかというのはいつも稽古場で自問自答していました。このような結果になってファンに人たちに申し訳ないという気持ちです」と葛藤していたことを明かした。ただ、信念は曲げなかった。

「絶対に逃げない。その気持ちだけです」

 それは土俵に誠をささげた男だからこそ口にできる言葉だった。ひとつの白星をつかむためにどれだけ努力し、汗を流さなければいけないのか。嘘をつかない相撲を取り続けている力士の代表として、自らの体を犠牲にして”本物の姿”をファンに伝えた。白星よりも大切なものがあることを教えてくれた横綱。それが稀勢の里だった。

 天国の先代への思いを聞かれると、「本当に感謝の気持ちを伝えたいです」と声を震わせた。猛稽古を強いられた苛烈な稽古場があったからこそ、今の稀勢の里がある。今後は年寄「荒磯」を襲名し、荒磯親方として田子ノ浦部屋の部屋付き親方として後進の指導をすることになるが、将来は独立して弟子を育てることになるだろう。

「先代は稽古場というものを非常に大事にしていました。それを今後、次世代の力士に教えていきたいです。一生懸命に相撲を取る力士や、ケガに強い力士。そういう力士を育てたいです」

 先代の鳴戸親方から稀勢の里へ受け継がれた”正々堂々”の系譜を、絶やすことなく未来の力士へ伝えていく。