名コーチ・伊勢孝夫の「ベンチ越しの野球学」連載●第33回 まもなくプロ野球が開幕するが、今季は12チームのうち監督が…
名コーチ・伊勢孝夫の「ベンチ越しの野球学」連載●第33回
まもなくプロ野球が開幕するが、今季は12チームのうち監督が交代するのは5チーム。そのうち中日と阪神の2チームは新人監督だ(楽天の平石洋介監督は代行からの昇格)。野球界には、「新人監督、実績の乏しい監督には、ヘッドコーチにしっかりした人材をつけるべき」という考えがある。監督を支える、まさに参謀役の役割だけに、実績、経験以外にもいろんな要素が必要になる。そこで近鉄で6年間ヘッドコーチの経験がある伊勢孝夫氏にヘッドコーチの仕事について、詳しく話を聞いた。

中日は与田剛新監督(写真中央)の参謀役として伊東勤氏(写真左)を起用した
投手コーチ、打撃コーチ、守備・走塁コーチ……こうした部門を任されるコーチの仕事は、継投や代打、守備体系の徹底など、おおよそ仕事の内容は想像いただけるだろう。その点、ヘッドコーチは練習でも試合でも、そうした専門的な役割があるわけではない。あえて言うなら、チーム全体を見ることである。
当然、現場の最高責任者である監督も全体を見るのだが、目が届かないところも出てくる。ヘッドコーチはそうした”チームの盲点”ができないように、常に目配せをしている。
ベンチ入りできる選手は25名。投手、野手含め、選手が今どのような状態なのかを知っておく必要がある。厳密に言えば、一軍だけでなく、二軍の選手の状態、調子も把握しておかなければならない。たとえば、一軍で結果が出ない選手の代わりに、二軍から選手を上げなければいけない。その際、どの選手をどんなタイミングで上げるのか。そしてどの局面で起用するのかを、すべて考えておかなければならない。
また、野手のひとりが試合前の練習中にわずかだが足をかばうような動きをしているとする。本人に聞くのが手っ取り早いのだが、選手も試合に出たいから本当のことを言わない。そんな時はトレーナー室に行って、トレーナーから聞き込み、どの程度のケガなのか、試合に出られる状態などかを相談する。
要するに、ヘッドコーチというのは監督から選手の状態を聞かれた時、すぐに返答できる準備をしておかなければならないのだ。
作戦面でも監督のサポート役となる。たとえば代打の場面で、A選手は相手投手と相性がよく、B選手は相性はよくないが調子がいい。そこで監督が「ヘッド、どっちがいいと思います?」と聞いてくる。その時、迷わず答えなければならない。それがヘッドコーチに求められる仕事である。
「ここはAで行きましょう。Bは調子がいいから(試合)後半にとっておいても使いどころがあります」とか、「Aは相性はいいですが、調子自体が落ちています。ここはBを先に使った方がいいと思います」といったように明快に答えないと、監督は迷ってしまう。
もちろん、監督だって選択肢は頭のなかにある。ただ、わずかな時間で判断しなければならないとき、監督にも迷いが生じることがある。そんな時、ヘッドコーチは判断材料を提供し、監督の後押し役を務めるわけだ。当然、最終決定は監督だが、ヘッドコーチとの考えが一致している時は、不思議とチームの調子はいい。
私は野手出身だったため、投手については投手コーチに一任することがほとんどだったが、近鉄時代、(投手コーチの)小林繁とはウマが合った。遠征先でも食事をともにして、その時々の投手陣のコンディションを聞き込んだりしていた。
いつだったか、こんなやりとりがあった。ある試合で前半に大量リードを許してしまった。すると小林が「ヘッド、今日のゲーム捨てましょう」と言ってきた。投手コーチの言い分は、「この試合はどんなにあがいても追いつけない。なので、投手の無駄遣いはしたくない」というわけだ。その理由は理解できる。
しかし、そんなことを投手コーチが監督に言えるはずもない。監督というのは、どんな試合であっても、どんな展開になっても勝つことを考える。極端な話、全試合勝ちたいというのが監督の性分である。
そこで小林には、逆転しそうな展開になった時の備えだけは念を押し、ベンチで監督が投手を代えたがりそうにしていたらあれこれと言い訳して引き延ばし、結局、大量点を奪われたが先発投手を7~8回あたりまで投げさせた。監督がどこまで察知していたかはわからないが、監督と各部門のコーチとのクッション役もヘッドコーチの重要な仕事である。
ただ、こうした”腹芸”も監督より年上だったからできたことだ。年下ではやはり難しいと私は思っている。ヘッドコーチというのは、時に監督に「ノー」と言える存在でなければいけない。煙たがられる存在になろうが、イエスマンでは務まらない。
それに性格の部分も、監督と対照的ならなおさらいいだろう。気性が激しく直感で動く監督なら、温和でじっくり物事を考えるタイプのヘッドがいいだろうし、逆に地味で口数の少ない監督なら、積極的に選手に指示を出せる行動的なタイプの人間がいいだろう。そうした違いがあれば、自ずと発想も違ってくる。衝突する危険もあるが、違う発想を持つということは、それだけ戦い方にも幅が出るというものである。
ちなみに、今季の巨人はヘッドコーチを置かないらしい。復帰する原辰徳監督の意向らしいが、よほど選手把握に自信があるのだろう。ただ実績が豊富な分、周囲が遠慮して本音を言わず、正しい情報が耳に届かず、孤立してしまう危険もある。そんななかでどんな采配を見せるのか注目である。
また中日は与田剛が新監督に就任したが、ヘッドコーチに伊東勤を据えた。言うまでもなく伊東は、西武、ロッテで監督を務めるなど実績は申し分ない。経験も引き出しもある伊東が、新人監督の与田をどこまでフォローできるか、あるいは我慢できるか……少々の衝突はあっても、意見をぶつけ合っていけばいいコンビになるはずだ。
最後に、ヘッドコーチとして最も重要な要素をお教えしたい。それは「欲のない人」である。野心家で、次期監督を狙おうとしている人間がヘッドコーチに就いたら、監督も気を許して戦えないだろうし、チームもギクシャクするに違いない。
コーチ経験が豊富で、チーム全体に目が行き届き、監督のフォローもしっかりできて、そして欲がない。それが理想のヘッドコーチというわけだ。得てしてそんな人ほど、一見するとたいして仕事をしていないように映る。だが、そういうヘッドのいるチームは、ちゃんと順位は上の方にいるものだ。