スポーツ界で「背番号の呪い」がクローズアップされる出来事が相次いだ。 19年1月7日、巨人の長野久義選手(34)がFA…

 スポーツ界で「背番号の呪い」がクローズアップされる出来事が相次いだ。

 19年1月7日、巨人の長野久義選手(34)がFA人的補償として、広島へ移籍することが発表された。他球団からのドラフト指名を2度断ってまで念願の巨人入りを果たし、入団時からレギュラーで優勝にも貢献。ベテランになったとはいえ、忠誠を誓ったチームから生え抜き中心選手が見放された形になり、大きな波紋を広げた。

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巨人軍の背番号「7」の歴史…


 長野の背番号「7」は、巨人では「呪いの番号」とささやかれる。本来なら「ラッキーセブン」で縁起のいい数字のはずだが、なぜか不運に見舞われる選手が多い。

 長野の前につけていた二岡智宏(99年~08年)は入団から遊撃レギュラーをつかんだバリバリの中心選手だが、女子アナ・山本モナと不倫騒動を起こし、日本ハムへトレードされた。吉村禎章(86年~98年)は守備中に味方野手と激突し、左ひざ靱帯断裂の重傷を負った。

 両打ちの助っ人レジー・スミス(83年~84年)は、ファンと小競り合いを起こして書類送検された。柴田勲(70年~81年)は現役引退後、トランプ賭博で摘発された。桑田武(69年)はヤクルト移籍後にオートレース八百長疑惑(黒い霧事件)の一端を担ったとして逮捕されている。

 与那嶺要(51年~60年)は首位打者3度と活躍したが、当時の川上哲治監督と衝突して戦力外となり、中日に移籍した。初代7番を背負った筒井修(36年~37年、41年)は名門・松山商で甲子園優勝を果たした期待の星だったが、戦地で指を失い選手生命を絶たれた。7番の「負の連鎖」が止まらないのだ。

サッカー日本代表の呪いの番号は…

 サッカー界にも、アンラッキーな番号は存在する。「カズの呪い」といわれる日本代表の背番号「11」。19年アジアカップUAE大会では、新戦力の清水FW北川航也(22)が背負った。

 その北川はA代表公式戦デビューとなった1月9日トルクメニスタン戦では、途中出場で犯したミスをきっかけにPKを奪われて失点。雪辱を期した13日オマーン戦は先発出場のチャンスが与えられたが、見せ場なくシュート0本と空回りした。負傷欠場した大迫の代役にはほど遠い内容で、ネット上では「今度は北川が11番の犠牲者に」という話題も飛び交った。

 背番号「11」の象徴的存在といえば三浦知良。Jリーグ立ち上げから日本サッカー界をけん引してきたが、長い間夢見たW杯出場がかなわず、悲運に見舞われた番号という印象が強い。もともと11番は点取り屋のイメージだが、カズ以来、代表で活躍する選手は少ない。

 W杯で11番をつけた選手は98年小野伸二、02年鈴木隆行、06年巻誠一郎、10年玉田圭司、14年柿谷曜一朗、18年宇佐美貴史。このうちW杯得点者は、02年ベルギー戦で「つま先ゴール」を決めた鈴木の1点だけだ。他メンバーは出場機会にすら恵まれない選手が大半。サッカー関係者の間でも11番は「鬼門」と言われるようになった。

イングランド代表の呪いの背番号…

 海外サッカーではイングランド代表の背番号「8」ジンクスが有名だ。90年イタリア大会以降、W杯で4度PK戦に臨んだが、8番の選手全員がPKを決められなかった。

 90年クリス・ワドルに始まり、98年デビッド・バッティ、06年フランク・ランパード、18年ロシアW杯ではリバプール主将のジョーダン・ヘンダーソンがPKを失敗した。ロシア大会でW杯PK戦全敗の歴史には終止符を打った同代表だが、「背番号8の呪い」はまだ続く。

 たまたまの偶然かもしれないが、偶然が続いて積み重なれば、本当に呪われていると思わざるをえない。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]