「正直、心が折れそうな時ばかりでした。たくさんのスポットライトを浴びたのに、これだけ簡単に裏切った選手もそういないと思いますよ。」そう、包み隠さず心のうちを明かしてくれたのは、2018年シーズンに自身最多60試合に登板し、救援ながらチーム…

 「正直、心が折れそうな時ばかりでした。たくさんのスポットライトを浴びたのに、これだけ簡単に裏切った選手もそういないと思いますよ。」

そう、包み隠さず心のうちを明かしてくれたのは、2018年シーズンに自身最多60試合に登板し、救援ながらチーム2位の7勝をあげた横浜DeNAベイスターズの三嶋一輝投手。ワンポイントリリーフや回跨ぎ、ビハインドなど、あらゆる場面でチームに貢献した頼れるリリーバーだが、昨季の活躍の裏には悲壮な覚悟があった。

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結果が出なくなって、人が去っていった

 

2012年のドラフト会議でDeNAから2位指名を受け、プロ1年目の2013年には監督推薦ながらオールスターに初出場。開幕から一度もファーム落ちすることなく先発投手として6勝9敗でシーズンを終え、オフには日本代表・侍ジャパンにも選出された。横浜を、日本を代表する次期エース候補として華々しいプロ野球人生のスタートをきったはずだった…。

「先発で注目されてスポットライトを浴びる経験もできました。そういう時は色々な人が寄ってきましたね。でも逆に、結果が出ないと周りの人達が一気に去っていく。人ってあっという間に去っていくんだなという思いもありましたし、期待されていたからこそ、裏切ってしまったなという気持ちもありました。もちろん、支えてくれた人達もたくさんいますけどね。」

そう振り返るように、プロ1年目から一転、以降は順風満帆とは言えなかった。2014年、入団2年目にして開幕投手に抜擢。ヤクルトとの開幕戦では、法政大学の1学年後輩で新人の西浦直亨選手に本塁打を打たれるなど、2回9失点。

「あの開幕で9点取られたことはよく覚えています。ターニングポイントは2年目、その時からですかね。思いっきり腕が振れなくなった。自分の体じゃないみたいに、思うように体が動かない。今思うと精神的に自信がなくなってしまっていたと思いますが、積み重ねてきたものが崩れた瞬間でしたね。」

綻びの予兆はあった。当時の首脳陣から一年目の結果を高く評価され、早々に開幕投手に指名されていたが、三嶋選手のなかではシーズン前から体と心に違和感があった。

「正直、キャンプの時から全く体が動かなかったんですよね。でも、周りからは『今年はやってくれる』という期待があって、オープン戦とかで1回2回を抑えるだけで『調子いいね』とチヤホヤされていて、それで自分の足元を見られなかったのかなと思います。何とかなるだろうという気持ちでキャンプとオープン戦を過ごしていました。だけど、自分自身の中途半端な気持ちと、周りからの期待と、自分の体が一致しなかった。期待に応えようとか、結果を残してやろうといった気持ちだけが先行してしまい、自分自身を見つめることができなかったんだと思います。」

2014〜17年の記憶があまりない。何となくやり過ごしていた

 結局、プロ2年目は8試合に登板し1勝2敗、防御率10.88という不本意な成績に終わった。翌2015年シーズンは5勝5敗、防御率4.81と復調の兆しが見えたものの、2016年にはプロ入り初の開幕ファームスタートという苦汁を舐めた。

「僕の中では、ルーキーの年は必死について行って勝ち取った開幕一軍、2年目は1年目の結果と次の年への期待を込めての一軍、3年目は競争して実力で勝ち取った一軍というイメージ。いいピッチングができた時もあったけれど、自分の思うようには腕が振れていなかったです。騙し騙し、何とか投げていましたけれど、根本を修正できていないから、結局それが次の年の結果に出てしまう。何度も失敗しているにも関わらず、次に繋がるいい結果が出ないということに関して、どうしようと不安になっていました。すごく苦しかったですね。」

甲子園出場経験はないものの、法政大学では東京六大学リーグ優勝、ベストナイン受賞など、輝かしい実績を残してきた三嶋選手。だからこそ味わう、初めての挫折だった。

「正直、何かのせいにしたくなるときはありましたね。食べものとか、行動とか、あれが悪かったんじゃないかって。余計なこと考えるようになりました。だけど、今思えば2014〜17年はあまり何をしたか記憶にないですね。印象に残る試合も全くない。『本当に苦しかった』ということにまとめちゃっていて、一つ一つの詳細な記憶がないんですよね。その期間だと、奥さんと出会った記憶くらいしかなくて。結局、そのくらいしか野球に対しての思いや結果しかなかったということですよね。好きな野球をやっているのに、向き合うことなく何となくボーっとやり過ごしていたんでしょうね。それはすごくもったいなかったなって、2018年シーズンを終えて思います。」

2018年に登板した試合は全部覚えている

 そんな五里霧中のなかに光が射したのが2017年のことだ。

「2017年は2年連続でファームスタートでしたが、途中から一軍で中継ぎとして登板するようになって。レギュラーシーズンはプロ入り後初めて勝ち星をあげることができなかったですけど、クライマックスシリーズではチームの日本シリーズ進出に貢献できたと思う。ちょうどその年の後半に子供も生まれて、徐々に兆しが見えてきたと思います。やっぱり家族の力は大きいですね。自分は結構わがままなところがあるので、ピシッと嫁さんに背中を押してもらったような感じがします。厳しいくらいが僕にとっては良かったのかなと(笑)。家族を食べさせていくとか、不安にさせないとか、一試合一試合、毎日が何かのためにということを考えるようにもなりました。だから2018年に投げた60試合は全部ハッキリと覚えています。」

 家族の、そしてDeNAの屋台骨を支える大黒柱として覚醒した三嶋選手。次回は2018年にリリーフに転向してからの覚悟を聞く。

 

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※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]