7月10日に開幕した熊本大会。選手宣誓では熊本第二の倉岡直輝主将が、「一球一球に魂を込め、感謝と全身の思いを込め、全力でプレーする私達の姿が少しでも県民の皆様の復興の力となり、感動を与えられるよう熱く熱く戦い続けます!再び大好きな野球ができ…

7月10日に開幕した熊本大会。選手宣誓では熊本第二の倉岡直輝主将が、「一球一球に魂を込め、感謝と全身の思いを込め、全力でプレーする私達の姿が少しでも県民の皆様の復興の力となり、感動を与えられるよう熱く熱く戦い続けます!再び大好きな野球ができる奇跡を噛みしめ、甲子園という夢を叶えるために、前を向き戦い抜くことを誓います」と力強く語り、幕を開けた。

■3度の夏の甲子園準優勝、目指すは悲願の甲子園優勝

 7月10日に開幕した熊本大会。選手宣誓では熊本第二の倉岡直輝主将が、「一球一球に魂を込め、感謝と全身の思いを込め、全力でプレーする私達の姿が少しでも県民の皆様の復興の力となり、感動を与えられるよう熱く熱く戦い続けます!再び大好きな野球ができる奇跡を噛みしめ、甲子園という夢を叶えるために、前を向き戦い抜くことを誓います」と力強く語り、幕を開けた。入場行進では、「がんばろう!!九州!!」と書かれた横断幕や、他県のチームからの寄せ書きが入った連盟旗も掲げられ、話題を呼んだ。

 熊本県の高校野球といえば、長年、熊本工が歴史を作ってきた。夏20回出場は歴代19位で、戦績も29勝20敗としっかりと勝ち越している。また、選抜にも20回の出場経験を持つ。日本人初の2000本安打を達成した川上哲治氏(元巨人)、天才打者といわれ通算2119安打を放った前田智徳氏(元広島)と、2000本安打の達成者を2名輩出。他にも通算360盗塁の荒木雅博選手など多くのプロ野球選手を生み、長い歴史を作り上げた熊本工のつながりに迫っていきたい。

 熊本工は明治31年4月に熊本県工業学校として創立。その後数度の改称を経て、昭和26年に現在の校名である熊本県立熊本工業高等学校となった。野球部が甲子園に初出場したのは、1932年の第18回全国中等学校優勝野球大会。いきなりベスト4まで勝ち上がり、1934年には夏の甲子園準優勝。1937年にはエース川上哲治が投打で活躍を見せ決勝まで勝ち進むも、中京商に1-3で敗れ、またも準優勝に終わった。

■96年夏の甲子園は「奇跡のバックホーム」で初優勝を阻まれる

 その後も甲子園出場を続け、熊本県を代表する強豪校としてリード。印象的だったのは、1996年夏の甲子園。決勝まで勝ち進んだ熊本工は松山商と対戦。初回に3点を先制され、その後2点を返したものの、9回表の攻撃が終了した時点で2-3とリードを許していた。

 しかし、この回の攻撃で1年生打者・澤村幸明(元日本通運)の同点本塁打で試合を振り出しに戻すと、延長10回裏、ドラマが起こる。熊本工は1死満塁のチャンスで大きな右飛を放ち、犠牲フライでサヨナラ優勝が決まったと思われたが、松山商のライト・矢野の好返球でダブルプレー。いわゆる「奇跡のバックホーム」でサヨナラ勝ちを阻止されてしまったのだ。そして延長11回表に3点を勝ち越され、3度目の準優勝に終わった。

 2000年以降、甲子園出場は6度となっている熊本工は、プロ・大学・社会人で活躍する選手も多数輩出している。現在の熊本は九州学院、秀岳館、城北など私学を中心にひしめき合っている状況。そこから抜け出すには、圧倒的な実力が必要になるが、再び熊本工は強いと思わせる活躍を見せてくれるだろうか。今夏は初戦を突破し、2回戦で八代東と対戦する。

(記事提供:高校野球ドットコム)

高校野球ドットコム編集部●文