「正月の風物詩」といえば箱根駅伝。1本のタスキに託された想いが感動的な走りを呼び、毎年さまざまなドラマを届けてくれる。1区間の走行距離が約20キロとハーフマラソン並みに長いだけに、必ずといっていいほどアクシデントや珍事も発生する。そこで、…

 「正月の風物詩」といえば箱根駅伝。

1本のタスキに託された想いが感動的な走りを呼び、毎年さまざまなドラマを届けてくれる。1区間の走行距離が約20キロとハーフマラソン並みに長いだけに、必ずといっていいほどアクシデントや珍事も発生する。そこで、過去に起こった箱根駅伝「ハプニング集」をまとめてみた。(以下、敬称略)

 

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◆アンパンマン号
18年、選手以上に1台の車が注目された。アニメ「アンパンマン」の顔に似せたデコレーションを施した軽自動車が、デッドヒートを繰り広げる先頭集団と並走する形に。テレビ中継のカメラに映りこみ、視聴者をくぎ付けにした。ツイッターの急上昇ワードになり「初笑いをありがとう」「レースに集中できない」とさまざまな投稿が寄せられた。実際、気になって振り返る選手もおり、運転していた男性は「ちゃかしたりするつもりも、悪意もまったくありません。箱根駅伝ファンの1人として、選手の皆さんに頑張ってほしいと思っています」と釈明。

◆フリーザ様
アニメ「ドラゴンボール」の悪役キャラ・フリーザの格好をしたコスプレ集団が11年から、復路7区・二宮の押切坂に毎年出現。沿道でパフォーマンスを繰り広げ、いまや恒例行事と化している。毎年トレンドのダンスを踊り、星野源の「恋ダンス」や「にゃんこスター」「バブリーダンス」などを披露してきた。その正体は、応援する二宮が地元のサラリーマン。衣装のタイツは極薄で「超寒い」と震えながら、ランナーがくる前後は撮影会で大人気。フリーザ見たさに遠方から駆けつけるファンもいるほどで「こんなにことになるとは思ってなかった。二宮に来る人が増えて盛り上がってくれればうれしい」。

◆世紀の大ブレーキ
体調不良によるフラフラ走行、途中棄権はつきものだが、印象深いのは91年。早大の「三羽鳥」と騒がれたスーパー1年生ルーキー武井隆次、櫛部静二、花田勝彦が1~3区で起用された。武井からトップでタスキを受け「花の2区」を任された櫛部は快調に飛ばしたが、残り5キロ地点で脱水症状になり、14位まで後退。蛇行しながらなんとかタスキをつないだ。大会直前、軽い食中毒になったことが原因だった。2年後、櫛部は1区で区間新をマークし、早大の完全優勝に貢献した。櫛部は現在、城西大駅伝部の監督として、箱根に挑んでいる。

◆暴漢に倒される
87年、サングラスにジーパン男が沿道から飛び出し、首位を快走していた順大10区の工藤康弘(2年)に並びかける。警備員の制止を振り切ると、工藤に足をかけて転倒させた。工藤は右肘から出血して負傷し、関係車両にも危うくひかれるところだった。関係者によると「工藤は頭に来て仕返ししようと思ったけど、監督から『大丈夫か』と声をかけられて冷静になった」。アクシデントをものともせず、レースを再開した工藤は区間4位の力走でチームの連覇に貢献。現行犯逮捕された20歳の専門学生は「邪魔する気はなかった。興奮して目立ちたかった」。

 

◆車衝突寸前
17年の復路10区で、神奈川大のアンカー中神恒也(4年)が、日比谷交差点を通る寸前、前方を横切っていた白いワンボックス車にひかれそうになった。警備のトラブルでその時だけ交通規制がされておらず、直前で中神が立ち止まり、大惨事は免れた。中神は「リズムを崩したくなかったんでそのまま走っちゃおうって思ったんですけど、さすがに命の危険を感じたので止まりました」と後日ツイート。その後も力走し、総合5位でフィニッシュ。12年ぶりシード権獲得に貢献した。

◆全員コース間違い
90年、1区で全15選手が間違ったコースを走った。六郷橋の交差点で先頭集団の前を走るテレビ中継車、白バイが多摩川を越えたところで側道に入り、正規ルートから外れた。トップを走っていた日大の谷川義秀(2年)は「まったく気付かなかった」。2位以下の選手も続々と誤ったコースへ。13位で通過した東洋大の出水田洋(2年)は異変に気付き「交通規制されてなくて、車が通っていた。レース後、チームメートに『お前だけ正しいコースを走っていれば区間賞だっただろ』と言われました」。往路直後の監督会議で説明があり、全チームが同じ条件になったので問題はないと承認された。

◆脱線「3秒差」初シード
11年、箱根史上まれに見る大混戦のシード権争いが繰り広げられた。最終10区の中継所で8位から13位まで1分9秒差。主役は11位でタスキを受けた国学院大アンカー寺田夏生(1年)。残り1キロを切って、集団となっていた8位以下の4チームが一斉にスパート。抜け出して8位に躍り出た寺田は残り150メートルで、コース外にそれた中継車につられてコースを間違える。「あれ、みんな来てないなって。人生で一番焦りました」。必死で声をかけた警備員の指示でコースに戻った時には11位に後退していたが、1人抜いて10位でゴール。11位と史上最小「3秒差」という激戦を制し、劇的な初シード獲得となった。

◆あわや棄権
大雪に見舞われた78年。火薬が湿り、復路のスタート合図のピストルが鳴らないアクシデントはまだ始まりにすぎなかった。新幹線で移動しているはずの7区の選手たちが、点呼の時間になっても現れない。雪の影響で新幹線が運行できなくなり、選手たちはタクシー移動に切り替え。ところがチェーンなしのタクシーだったため途中で走行不能になり、チェーン着用のタクシーを呼んでさらに乗り換えて移動。中継地点に到着したのはスタート数分前。選手はほぼウオーミングアップなしで箱根路に駆けだしていった。

◆タスキ忘れ
90年、亜大6区の田中寛重(1年)が復路をスタート。約50メートル走ったところでタスキを忘れたことに気づき、血相を変えてスタート地点へ戻る。忘れないように、目立つ場所にと、付き添いの先輩の首にかけていたタスキを受けとると、1分ロスして山下りへ。途中で足のけいれんもあり区間15人中14位に終わった。亜大は最下位だったが、誰も田中を責めることはなかったという。タスキがつながらない涙は数あれど、駅伝の命ともいえるタスキを忘れるハプニングは、忘れられない珍事として人々の記憶に残っている。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]