名コーチ・伊勢孝夫の「ベンチ越しの野球学」連載●第32回 2年連続して投手の最高栄誉である沢村賞に輝いた菅野智之(巨人)。すべての球種がハイレベルで、しかも制球力も抜群。27試合に登板して、完投10(うち完封は8)と、まさに名実ともに巨…

名コーチ・伊勢孝夫の「ベンチ越しの野球学」連載●第32回

 2年連続して投手の最高栄誉である沢村賞に輝いた菅野智之(巨人)。すべての球種がハイレベルで、しかも制球力も抜群。27試合に登板して、完投10(うち完封は8)と、まさに名実ともに巨人はおろか、日本のエースにふさわしい投球で、「日本で最も優れた投手」という評価に異論はないだろう。

 そんな難攻不落のエースに対して、相手はどう向き合えばいいのか。近鉄、ヤクルトなどで名打撃コーチとして名を馳せた伊勢孝夫氏に菅野のすごさと攻略法について語ってもらった。



今シーズン12球団で唯一、投球回200イニングを達成した巨人・菅野智之

 菅野は本当にすばらしい投手だ。いま日本で最も攻略するのが難しい投手だろう。完封8(完投は10)という数字がすべてを物語っている。昨今のプロ野球は、完投することですら難しくなっているのに、その上、失点しないのだから、これは見事というほかない。

 なぜ、それだけ完封ができるのか――私は菅野の「集中力の持続」が、ほかの投手と大きく違っている気がする。

 一般的に投手が100球投げれば、そのうち何球かは必ず甘く入った失投、コントロールミスがあるものだ。しかし、菅野はその数が極めて少ないからこそ、相手打者は攻めきれずに得点を奪えないのだ。

 では、「菅野という投手はすごいか?」と問われれば、私は迷わず「ノー」と言う。沢村賞を2年連続で獲得した投手には失礼な話だが、しかし決してすごい投手、言い換えれば「手も足も出ない投手」ではないと感じている。

 たとえば、日本ハム時代のダルビッシュ有(現シカゴ・カブス)はストレート、変化球とすべてにおいて決め球にできるだけの鋭さと精度を持ち合わせていたし、楽天時代の田中将大(現ニューヨーク・ヤンキース)のフォークは、わかっていても手が出てしまう鋭さを持っていた。

 だが菅野には、そうした「あぁ敵わない」と思わせるような圧倒的なすごさはない。それではなぜダルビッシュや田中に匹敵するような実績を残し続けているのか。

 その最大の要因は、外角低めへの抜群のコントロールだ。詳細なデータが手元にないので主観になるが、おそらく10球投げれば8~9球までは意図したところに投げられていると思う。ちなみに、プロの一軍レベルの投手でもせいぜい4~5球ほどである。菅野のコントロールのよさが、いかにずば抜けているかがわかる。 

 外角低めは打者にとって最も目から遠く、だからこそ捉えるのが難しいコースである。ここを得意とする打者がいれば、打率3割は楽々クリアできるに違いない。しかし、そんな技術を持ったバッターなどほとんどいない。だから投手コーチも「外角低めに制球できれば、それだけでメシが食える」と言うほどだ。

 さらに驚くべきは、菅野の場合、単に制球がいいなどというレベルではないことだ。ホームベースのギリギリをかすめて捕手のミットに入れられる。それほどの制球力である。そんな投手は、現役では菅野ただひとりだろう。過去を振り返っても、稲尾和久さんや小山正明さんぐらいしか思い浮かばない。

 それだけの制球力があれば、どんな強打者でも自分の組み立てでピッチングができる。制球力とは、それだけで投手にとって大きな武器になるのだ。

 そして菅野には、スライダーという”伝家の宝刀”もある。途中までストレートと同じ軌道でそこから一瞬にして鋭く曲がってくる。おまけにその球も外角低めにきっちり投げ込んでくるのだから、相手ベンチからすればお手上げの投手だ。

 だからといって、何もしないわけではない。どんなすごい投手が相手でも、攻略の糸口を見つけ出すのがプロのコーチの仕事である。

 まず狙い球をどうするかだ。菅野の得意球であるスライダーを捨ててほかの球種に絞るか、それともあえてスライダーに挑むかだ。私なら間違いなく後者を選ぶ。

 相手が最も得意とする球種を攻略せずにシーズンを戦うことなどできない。菅野クラスになると、相手がスライダーに手を出してこなかったら、間違いなくスライダーを多投してくるだろう。それでは勝負にならない。

 では、そのスライダーをどう攻略するかだが、まずその前提として内角を捨て、スライダー1本に絞るのだ。菅野の場合、球種こそ多彩だが、内角をえぐるシュート系の球は全体の1割程度と少ない。つまり、「内角を見せて、外角で勝負」という投球パターンは意外に少ないのだ。ならば、怖がらずに外に踏み込んで打ちにいかせる。

 重要なのは指示の仕方だ。得てして「外角球は逆方向に」といった先入観があるが、菅野クラスのスライダーになると、反対方向に打とうとしても引っかけ気味になって凡ゴロになることが多い。そういう場合は、無理に逆方向を意識させず、「マウンド付近を目がけて打て」と言うぐらいでちょうどいい。そうすれば自然と逆方向に飛んでいくはずだ。

 問題は同じスライダーでも”曲がり幅”の違いをどう見分けるかだ。打者によって表現は異なるが、菅野のスライダーを「手元で消える」と言う者がいれば、「数種類あって捉えきれない」と言う者もいる。単に大小2種類といったレベルではなく、握り方とリリースのタイミングで曲がり幅を意図的にコントロールしているはずだ。その傾向を知ることが、攻略のカギとなる。

 これについては過去のスコアデータから抽出するしかないが、一定のパターンがあると思われる。おそらくオフのこの時期、スコアラーは自軍の全試合のチャートを洗い直していると思うが、そこから配球傾向は必ず出てくる。菅野といえども例外ではないはずだ。

 イニング、得点差、球場、そして打者……これからすべてのデータを再度見直せば、必ず傾向は出てくるはずだ。

 そして菅野が負けた試合からヒントを探ることも大事である。今季、菅野は8敗しているが、その敗戦のなかでのスライダーの使い方はどうだったのか。とくに苦手にしていた打者との対戦成績も重要なデータとなる。

 たとえば今シーズン、広島の菊池涼介には17打数7安打(打率.412)、中日のビシエドにも16打数7安打(打率.438)。右打者の被打率.216の菅野にしてみれば、相当打たれている数字である。ちなみに菊池とビシエドに共通しているのは、外角を苦にせず、逆方向に打ち返せる技術を持っていることだ。このあたりに攻略のヒントが隠されているはずだ。

 いずれにしても「球数を投げさせて甘い球を待つ」などといった単純な攻略法では、菅野の餌食にあうだけだ。はたして来季、セ・リーグの各球団はどんな形で菅野に挑むのだろうか。いくら難攻不落の好投手とはいえ、何年も続けてやられていてはプロとして恥ずかしいと思うのだが……(苦笑)。