12月20日~23日、天皇杯全日本レスリング選手権大会が東京・駒沢体育館で開催された。最終日の女子57キロ級――平成最後のマットに上がったのは、今年10月に2年2カ月ぶりに復帰したオリンピック4連覇の伊調馨(ALSOK)と、リオデジャネイロオリンピック63キロ級覇者の川井梨紗子(ジャパンビバレッジ)。大会史上初となる、オリンピック金メダリスト同士の激突となった。



川井梨紗子を下して全日本選手権13度目の優勝を果たした伊調馨

 その前日、予選リーグ初戦でふたりは対戦し、川井が2-1で勝利。ただ、川井は圧力をかけ続けて伊調の動きを封じたものの、武器とするタックルは一度も決められず。卒業後も練習拠点にしている至学館大の谷岡郁子学長はスポーツ新聞の取材で「大きな自信になる」と語ったそうだが、果たして川井は伊調に対し、本当に自信を持つことができたのだろうか。

 一方、川井に勝つ要素なく敗れたものの、伊調サイドに悲壮感はまったくなかった。目標はあくまで、来年6月の明治杯全日本選抜選手権。今回敗れても選抜で川井にリベンジを果たし、プレーオフを制して2019年世界選手権出場権を獲得すれば、メダルを獲得して東京オリンピック日本代表の切符を掴めるという計画だ。

 田南部力コーチは「今の段階で現役世界チャンピオンにあそこまでできれば上出来」と評したが、伊調も確かな手応えを掴んだはずだ。「オリンピックへ向けての本当の復帰戦として、この全日本選手権がありました。ここからが勝負」と述べ、東京オリンピックでの5連覇への挑戦を初めて明言した。

 決戦を前に伊調と話し合ったALSOK大橋正教監督は、「チャンスを作ろう! まともにいってダメなら、ネコだましでもなんでもやってみろ」とアドバイス。「なぜ引いてしまって、前へ出られないのか。怖さもあるだろうが、自分との闘いだ。リオまでできたことができないはずはない」と言われた伊調は、いいときのイメージを取り戻そうと、ロンドンオリンピックや、2014年・2015年世界選手権のビデオを時間が許すかぎり見直した。

 また、八戸クラブの澤内和興会長は伊調にひと言、「やってきたことを、6分間出しきれ」と告げた。3歳から中学卒業まで指導を受け、30年以上も「お父さんみたい」と慕う恩師から幾度となく言われてきた言葉が、伊調の胸に突き刺さった。

 そして田南部コーチは、技の細かい動きを修正した。初日の試合が終わった後のアップ場、翌日の計量に備えて軽く身体を動かす選手たちの間で、伊調と田南部は白熱のスパーリングを続けていた。「ここが目標じゃない。もっと先へ、もっと上へ行くために」と言わんばかりに……。

 初戦敗退から29時間後、「チーム馨」は伊調馨を蘇らせた。

 女王対決・第2章も、序盤は前日と変わらぬ展開となる。伊調が先に消極的と見なされ、アクティビティタイムを課された。30秒間、伊調が無得点だと川井に1ポイントを献上することになる。

 そんな状況のなか、必死に攻める伊調の一瞬の隙をついて川井が片足を取った。だが、体幹の強さとバランスのよさに秀でた伊調は倒れず、一本足のまま場外へ。マットに倒されれば2点失うところだったが、最大のピンチを場外へ押し出されての1点に食い止めた。

 もし、あの場面で川井が2点を奪っていたら……。その後の流れは変わっていただろう。

 第2ピリオドに入り、またしても伊調が消極的と判定されて1失点。2分が過ぎたところで川井も消極的姿勢で1点を失うが、川井が2-1とリードしたままラスト10秒を迎える。

 その時、大橋監督いわく、「馨の闘争本能が蘇った」。

 伊調は低く踏み込み、川井を大きく崩すと、右足にタックル。全盛時のスピードで素早くバックに回って2点を獲得する。そして、川井を抑え込んだまま、マットの上で試合終了のブザーを聞いた。

 伊調はワンチャンスを逃さず、勝負をモノにした。チャンスは向こうから転がり込んできたのではない。勇気を持って前へ出て、手先のさばきではなく身体を張って当たり、川井の馬力に負けないように両腕を刺して掴んだものだった。

 全日本選手権13度目の優勝を決めた伊調は、「現状に満足しているようで好きではない」という、オリンピック以外では決して見せたことがない渾身のガッツポーズ。

 その姿を見た父は、亡き母ととともに、何があろうと大好きなレスリングに打ち込んできた娘に拍手を贈った。兄も「昨日は出られなかった半歩をしっかり出してきた。妹ながらすごい奴です」と称賛。そして、北京オリンピックまでともに戦ってきた姉・千春は、妹の国内試合で初めて泣いた。

「チビッ子レスリングのころから、澤内先生のもとで『残り30秒の練習』を欠かさずやってきたので、勇気を振り絞って、最後にそれを出しくれました」(千春)

 勇気……それを教えたのは、千春だった。2004年のアテネオリンピック決勝戦、「相手の返し技を恐れて攻められず」銀メダルに終わった千春は、表彰台から駆け下りたあと、姉の敗戦で呆然としていた妹の両肩をつかんで言った。

「勇気を持って戦うんだよ」。あの時の言葉が、伊調馨の原点だ。

「本当に大きな一歩だったと思うので、この一歩を無駄にしたくない。伸びしろはまだある。感覚をすべて取り戻したうえで進化していきたい」

 試合後、伊調は東京オリンピックへの決意を固めた。

 一方、敗れた川井は「馨さんは2年のブランクがあっても強かった。1番にならないと代表にもなれないし、オリンピックにも出られない」とコメント。半年後の全日本選抜に向けて、川井はどう立て直してくるか。

 リオデジャネイロオリンピック前、川井は「オリンピックに出て、実績をつくることも大事」と栄和人監督(当時)に説得されて、伊調の出場する58キロ級から63キロ級へと変更して金メダルを獲得した。現在、その階級には「姉妹でオリンピック出場」を誓い合い、今大会で優勝した妹・友香子(至学館大)がいる。

 今の57キロ級でも減量がきついため、さらに階級を下げることは無理だろう。東京オリンピックに出場するためには、伊調を倒すしかない。後がなく、他の道もないが、可能性はまだ残されている。

 来年6月の勝負の行方はわからない。ただ今、確実にわかっていることは、伊調馨と川井梨紗子、どちらが東京オリンピックに出場しても、女子57キロ級で日本が金メダルを獲得することは間違いない、ということだけだ。