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後藤武敏インタビュー(後編)
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今シーズン限りで16年間の現役生活に別れを告げた横浜DeNAベイスターズの後藤武敏。横浜スタジアムで行なわれた引退セレモニーでは「初めて見た」という同級生の松坂大輔の涙もあった。そして引退試合を終えて帰宅した後藤にはもうひとつのサプライズが待っていた。

現役最後の打席は空振りの三振に倒れた後藤武敏
―― 引退セレモニーでは「横浜は第2の故郷」とスピーチしていました。横浜スタジアムでプレーする時、横浜高校時代のことを思い出しながらプレーしたことはありましたか。
「少なからずありました。西武からトレードになる時も、西武球団の方から『里帰りだぞ』というニュアンスのことを言ってもらえたので、僕もそんな気持ちになりました。中学を卒業して右も左もわからない中で生活した街ですし、大学(法政大)も合宿所は横浜に近かったので、印象深いんですよね」
―― ベイスターズのファンも、まるで生え抜き選手のように後藤さんを応援していたように見えました。
「でも、僕自身は不安でしたよ。30歳を過ぎてのトレードでしたし、横浜高校時代なんて随分と前のことじゃないですか。だけど、後輩から”ゴメス”のあだ名をもらって、ファンの人たちにも浸透して、すごく受け入れてもらえた。横浜スタジアムの歓声って特別で、本当に鳥肌が立つ。それまでにない初めての感覚でした。
これだけ応援してくれる人たちのため結果を出さないといけないという思いで、1打席のために準備を欠かしませんでした。バットは常に持ち歩いていて、ホテルの部屋にも必ず1本。何か気づいたら振れるように。また、打席に入るまでのルーティンも大切にしました。それはベイスターズに来てからですかね。決まった所作をするというのはしんどいこともあったけど、期待に応えたいという一心だけでした」
―― ところで、引退試合にはご家族も来られていましたが、お子さんは野球をやっているんですか?
「それが聞いてください。すごいんです。上の息子が小4なんですが、それまでは『野球やる?』って聞いてもまるで無反応だったんですが、引退試合から帰宅した直後ですよ。グローブを持ってきて『キャッチボールをやろう』と。そこから僕が家にいる時は毎日。それにバッティングセンターにも連れて行ってとせがまれるようになって、トントン拍子で地元の野球チームに入ったんです」
―― すごい! 父親としてこんなにうれしいことはないですよね。
「うれしいです、ほんとに。今まで強制したことはなかったし、球場にもそれほど呼ぶ方ではなかったので。いまは休みの日も『友達と野球してくる』と言って公園に行ったり、プロ野球にもめちゃくちゃ詳しくなって、自分で動画を見つけ出して『イチロー』『柳田』ってマネしています。息子は左打ちなんでね。
嫁さんもあの日を境に何があったのかしらって驚いています。引退セレモニーの時、オープンカーに乗ってグラウンドを一周する時に子どもも一緒に乗せたんですよ。自分のプロ野球選手としての最後の姿を見せたかったし、そういう経験ってなかなかできることじゃないですから……。何か感じてくれたらと思ってはいましたが、今もまだ驚いています」
―― 今はご家族と過ごされる時間も多いと思いますが、来季からは楽天の二軍打撃コーチとして新たな野球人生のスタートですね。単身赴任は寂しいのでは?
「僕も最初は子どものためには近くにいた方がいいのではと悩みました。でも、嫁さんは『関係ないんじゃない?』って。自分の夢や目標、やりたいことを頑張っている姿を示してあげる意味でも仕事として行くべきじゃないのと言われて、自分の中で勝負しようと思いきることができました。それに、じつは楽天の二軍は遠征先の相手チームが全部関東なので意外と家に帰ることもできるんです。球団からも許可をいただいていますし」
―― ところで、楽天といえば同じ「松坂世代」の平石洋介監督が正式に就任しました。また、西武で一緒にプレーをした経験のある石井一久氏がGMを務めていますが、どのような経緯で楽天のユニフォームを着ることになったのですか。
「僕は石井さんから連絡をいただきました。西武で一緒でしたが、投手と野手なので電話番号も知らなかったですし、正直つながりが深いわけではありませんでした。最初は電話に気づかなくて、留守電を聞いたら『楽天のGMになりました、石井一久です』と。思わず背筋が伸びました(笑)。ありがたいし、うれしかったですね」
―― やはり引退後は指導者へという願望はありましたか?
「ゆくゆくは、と思っていました。子どもの頃からここまで野球をやってきましたから。でも、じつはベイスターズからも球団に残らないかというお話はいただいていたんです。コーチ職ではありませんでしたが、7年間もプレーさせていただき、ファンの方にもたくさん応援していただいて、最後には引退試合まで行なってくれたベイスターズを離れてすぐに違うユニフォームを着るのはどうなのかとかなり悩みました。
でも、自分の中で恩返しは今すぐでなくてもできるのではと考えるようにしました。まだ自分には足りないことだらけです。これからコーチとして知識を吸収して、経験も積んで、もしいつかまたベイスターズに戻る機会をいただけるのであれば、今の何倍も恩返しになるかなと。だから今は、引退した次の野球人生の夢に向かって楽天で勝負しようと決めました」
―― 秋のキャンプですでにコーチ業をスタートさせています。いかがでしたか?
「やはり指導って難しいです。どうしても自分のやってきたことや信じていたやり方の中でしかうまく伝えることができない。だけど、選手はみんな同じじゃない。そこに自分の未熟さを感じました。だけど、それも秋に経験しないと気づけなかったこと。これから色々と勉強して、実践していきたいですね」
―― 楽天の若手選手は実際に接してみていかがでしたか?
「元気で一生懸命な選手が多いです。熱心だし、自分から興味を持って聞きにくる選手も多いなと感じました」
―― 後藤さんもご自身の経験上、二軍で活躍しても一軍では……という壁を感じられたことがあったのではないですか。
「ありましたね。たとえば同じアウトコースでも、一軍だと遠く見えるんです。だけど、それがストライクになる。やっぱり一軍の投手はぎりぎりのコースにきっちり投げられるコントロールを持っています。だからこそ甘い球をミスショットしたらチャンスはない。その1球勝負です。レギュラーは4打席ありますが、ファームから上がった若い選手は代打から始まります。そこで結果を出したもん勝ち。そのような部分は伝えたいですね」
―― 同学年の平石監督とはプライベートな部分のお付き合いも?
「こういう関係性になったのでなかなか難しいですが、食事に行けば和気あいあいです。だけど、グラウンドでは監督、コーチとしっかりけじめをつけたいですね。また、一軍打撃コーチになった小谷野(栄一)も同学年です。一緒に食事に行くと『監督を男にしようぜ』って話はしています」
―― 交流戦で中日と対戦する時、二軍から這い上がった選手が松坂投手の球を打ち込むというシーンもあるかもしれません。
「それは複雑ですね(笑)。でも、二軍で頑張った選手たちが一軍に上がって、僕は夕食を食べながらナイターを見て『お、出てきた!』って見るのがこれからの楽しみになるでしょうね。頑張れ、打てよ、って」
―― 後藤コーチは『鬼コーチ』になるイメージはないですね。
「対話を重視したいと思っています。コミュニケーション不足もいけないので。でもダメなことはダメと言いたい。メリハリをつけたいです」
―― これからの「松坂世代」は指導者として、次の野球界の輝く星を育てていくことになるのでしょうね。
「横浜高校の前監督の渡辺(元智)さんにも同じことを言われました。今までの松坂世代はプレーヤーだったけど、これからは指導者になっていく。その世代でまた野球界を引っ張ってほしいと」
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インタビューは横浜スタジアムから歩いてほんの数分の距離にある、いかにも個人経営の喫茶店で行なった。店をあとにする時、マスターの奥様が「後藤さんですよね?」と少し涙目で尋ね、こう言った。「横浜を離れて仙台に行ってもずっと応援していますから」。横浜を愛し、横浜に愛された後藤武敏の第2の野球人生も、多くの幸(さち)が訪れることを願ってやまない。