後藤武敏インタビュー(前編)「ゴメス」の愛称でファンに愛された後藤武敏が、今シーズン限りでバットを置いた。盟友・松坂…

後藤武敏インタビュー(前編)

「ゴメス」の愛称でファンに愛された後藤武敏が、今シーズン限りでバットを置いた。盟友・松坂大輔とともに歩んだ野球人生。横浜高校で出会ったふたりは、エースと主軸打者の間柄だった。甲子園で春夏連覇を達成するなど世代の頂点に立つと、後藤は法政大学に進学して東京六大学で三冠王を獲得。その実績を引っ提げて、松坂を追いかけるように2002年のドラフト自由枠で西武ライオンズに入団した。

 ルーキーイヤーの開幕戦で4番を打ち、2008年には打率.301、12本塁打で日本一に貢献。しかし、幾度となくケガに泣かされ、2011年オフにトレードで横浜DeNAベイスターズに移籍。”第2の故郷”である横浜で、プロ野球人生をまっとうした。16年間のプロ野球人生を振り返ってもらった。



引退セレモニーで松坂大輔(写真左)と抱き合う後藤武敏。右は小池正晃コーチ

―― まずは16年間、本当にお疲れさまでした。

「ありがとうございます」

―― 野球選手じゃなくなった今は、率直にどんな心境ですか?

「ホッとしていますね。これまではオフの間も筋トレしなきゃとか、練習しなきゃとか考えていましたけど、もうすっかりなくなっています(笑)。ただ、変な感じですよね。小学2年でソフトボールを始めて、物心がついてからこんなにゆっくりとした時間を持ったことがないので。満喫させてもらっています」

―― 寂しさはありませんか?

「それが一切ないんです。やりきったから。自分でもここ2、3年は体の可動域も狭くなって、動きが悪くなっているのを感じていました。たとえばランナー三塁の場面で、今までは簡単にフライを打てていたのが、打球が上がらない。ほかにも映像で見る自分と、実際に自分が思っている自分のギャップがすごく大きくなっていました。

 だからシーズン前には『今年ダメだったら引退』と決めて、家族にも話していました。今年も一生懸命やった上での結果です(一軍出場は引退試合の1試合のみ)。だから自分の中でもスパッと決められた。正直、体はずっと限界だった。やり残したことってないですね。だけど、今でもたまにYou Tubeとかで自分の動画を見ることがあるんです。すると、その時の感覚がよみがえりますね。歓声とか、思い出すじゃないですか。やっぱり鳥肌が立ちます」

―― 自分で決断して引退できたということですね。

「本当に幸せですよね。そういう思いで辞められたから。今は『もう1年現役で……』とか考えられない。だから幸せ者です。それくらい毎日バットも振っていましたから。もう満足ですね」

―― “松坂世代”という言葉とともに歩んできた野球人生でもありました。どのように感じていますか?

「僕はうれしかったですね。ほかのどの世代よりも影響力のある世代というか、野球に詳しくない人たちでも『オレ、松坂世代』というだけで会話が弾む。選手としても頑張って活躍すれば『松坂世代の後藤』と取り上げてもらえましたし。僕らはお互いが切磋琢磨して、松坂に追いつけ追い越せという思いでやっていました。僕はすごくやりがいを感じていました」

―― 松坂投手との出会いは覚えていますか?

「中3の時、シニアの全日本予選で対戦しているんですよ。予選の決勝でした。結果は僕らの負けですよ。ヒットを1本打った記憶はあります。たしか右中間への二塁打でした。だけど、その時は敵チームの中のひとりという印象でしかありませんでした。それより横浜高校に入学して、初めての練習日の方が衝撃的でしたね。投球練習を見たらメチャクチャ球が速いし、体もがっしりしているし、『えっ!』の一言でした。とにかくすごいという言葉しか出てこなかったです」

―― 後藤さんも然り、横浜高校に集った球児というのは『我こそは一番』という各地のツワモノばかりだったと思います。松坂大輔という存在に出会って、嫉妬心みたいなものは生まれなかったのでしょうか?

「なんていうか、松坂ってホント、出会った時から今の今までずっと変わらないんですよ。高校の頃も、僕らはアイツがスターになっていくのを間近で見ていました。野球選手としての松坂は変わっても、松坂大輔という人間はずっと同じ。偉ぶらないし柔らかいし、誰に対しても同じように接する。つくっているとかはなくて、素でそれができているんです。20年以上も(笑)」

―― 高校の頃から変わらないというのもすごいですね。

「だから、横浜高校の時だって誰からも嫉妬なんて聞いたこともなかった。もし、松坂が『自分はスター』という性格ならばみんなバラバラになっていたと思います。だけど、ああいう人間だから、みんな1つの方向を向いていました。最後の夏の甲子園も決勝戦でノーヒット・ノーランなんて、とんでもないことをやってのけましたが、僕らは宿舎に帰ってからみんなで『やっぱアイツはそういう星のもとにいるんだね』って話し合ったのを覚えています。野球の神様でさえ微笑ませちゃうくらい、いいヤツなんですよ」

 今年9月22日の引退試合。対戦相手は松坂のいる中日ドラゴンズだった。「松坂と対戦したい」――それは以前から後藤が公言していた夢だった。しかし、松坂は9月13日の阪神戦(甲子園)に先発して勝利投手となり、翌日に登録抹消となっていた。

―― 引退試合は、松坂投手のいる中日ドラゴンズ戦でしたが、対戦は叶いませんでした。心残りはありますか?

「それもまったくないですね。僕が球団に引退の報告をした日、松坂にも電話を入れたんです。『引退するよ』って言ったら、『そっか……』と言ったきりずっと沈黙。あとで聞いたら、言葉が出てこなかったそうです。

 その数日後、松坂は甲子園で登板でした。スポーツニュースで見ましたが、表情がいつもと違うんですよね。そしてヒーローインタビューで『彼ら(引退する同世代)の分の気持ちも込めて、僕はもう少し頑張るよ、という決意表明の日に』と言った時の口調も全然違ったんです。僕にはそれがわかって……ひとり家で泣きました。それで十分だな、と。

 じつはその翌日、松坂から連絡があったんです。『引退試合はスタメン? それとも代打?』と。これもあとで聞いた話ですが、もし僕がスタメンなら先発で投げるつもりだったと。でも、代打なら出場は試合終盤になるし、あの時はまだ順位争いもしていたし、若手のチャンスを摘むことになる。自分のわがままは通せないと……それで登録抹消を選んだらしいです」

―― 引退セレモニーでは後藤さんも涙でしたが、松坂投手も泣いていました。

「引退試合の前日に一緒に食事をしたのですが、『もし明日、マウンドに上がっていたら絶対に泣いてしまうし、普通の精神状態でいられないから自分のボールは投げられないだろう』と言っていたんです。でも、これまで松坂の涙って一度も見たことがなかった。高校時代も。だけど、引退セレモニーの時に花束を持ってきてくれた松坂が号泣していた。『まさか……』と思いましたよ。あの涙で、余計に自分のなかでも感じるものがありました。

 そして引退セレモニーの時は、もうひとついい話があったんです。松坂は僕がグラウンドを1周するまで残ってくれていたけど、中日は試合後の移動があるから先にバスで出ることになっていたんです。松坂は『僕はタクシーで追いかけます』と言っていたらしいのですが、じつはバスが2台とも待っていてくれていたみたいで。監督やコーチも乗っているのに。それを聞いて、また感動しちゃって。僕は浜松出身で、子どもの頃は中日ファンでしたから。それで中日のことをまた好きになってしまいました(笑)。

 いま思うのは、やっぱり僕としてはそういう場(引退試合)ではくて、松坂と真剣勝負がしたかったんだと思います。先程もお話したように、甲子園での言葉を聞いて、勝負できなくてもその気持ちだけで十分だって思えました。自分のなかで、さらに区切りをつけられた。救われたと思っています」

(後編につづく)