前回の箱根駅伝はインフルエンザにより欠場を余儀なくされた東大生ランナー・近藤秀一

 12月中旬の夕方、雨の東大駒場陸上競技場。氷点下近いと思われるほどの冷え込みのなか、近藤秀一は競技場のトラックを走っていた。この日の東大陸上運動部長距離パートのメニューは1000mのインターバル。各自でペースを設定して1000mを走り、間の200mをジョグする。

 関東学生連合の合宿から戻ってきたばかりだった近藤は「今日は軽めで、スピードを身体に覚えさせる感じで……」と決めてトラックに向かった。

 スタートしてすぐに近藤は仲間が作る集団から飛び出して単独走になる。しかし箱根駅伝の相手の幻と集団を組むかのように、1キロ2分55秒のペースを淡々と刻んだ。予定どおりに1000mを通過。しかしこれでは足りないとばかりに1200mまで走った。5セット目、雨足が強くなってきたところで練習は中止になった。近藤は少しもの足りなさそうな顔をしながら引き上げた。

 前回の箱根駅伝で3年連続3回目となる学生連合チームに選出された近藤は、3度目の正直とばかりに堂々と箱根1区を走って学生連合を卒業するはずだった。しかし近藤は年末にインフルエンザに感染し、1月2日を実家のテレビの前で過ごすはめになった。

「ここぞというタイミングでそういうのがくるタイプなのかもしれません。高校の時も、最後の大会で体調を悪くしたんですよ」

 近藤は苦笑いするが、最終学年の今年はその後もアクシデントが続いた。「大きな目標」である東京マラソンは30キロ過ぎで故障のため棄権。その故障が癒えていなかったのか、8月に再び故障してしまった。復調前に参加した9月の全カレ10000mは途中棄権だった。沼地にはまったような近藤の体調が上向いたのは、箱根駅伝予選会の3週間ほど前だったという。

 半信半疑のなかで走った予選会では昨年より順位を落とすもハーフの距離を1時間3分44秒で走った。全体47位、学生連合対象選手のなかでは3位という成績を手堅くゲットして4回目の学生連合選出となった。

 近藤は静岡県函南(かんなみ)市で生まれ育った。箱根と向かい合わせのような街で育った少年にとって、箱根駅伝は近くて遠い夢だったかもしれない。その夢が現実的な目標になってきたのは、韮山高校の2年の時だ。

 近藤は5000mのタイムが格段に進歩し、14分27秒を記録した。さらに3年の県高校駅伝では1区で下田裕太(現GMOアスリーツ)を退けて区間賞も獲得した。選手として注目されるにつれて、箱根駅伝が目指すべき目標として視界に入ってきた。

 箱根駅伝の常連校から誘いもあったという近藤だが「陸上も勉強も極めたい」と東京大学へ進学。東大から箱根駅伝を目指すことにした。

 1年の時、箱根駅伝予選会で結果を残した近藤は学生連合の補欠に選出された。そして2年の予選会では対象選手10位の成績を修めて正選手の圏内に入った。近藤自身も期待をしたが新たに選考基準となった10000mの記録会で結果を残せず、再び補欠にまわった。

 当時は学生連合に選出される選手は登録2回までという規定があり、補欠2回で近藤の箱根駅伝は2年で終えたはずだった。

「当時は、陸上といえば箱根駅伝でした。その箱根駅伝に出られる可能性がほぼなくなったなかで、次は何を目指すべきかと悩みました。そのようななかで目の前にあがってきたのがマラソンでした」

 近藤は急仕上げながら東京マラソンを2時間14分13秒で走った。手応えを感じた近藤はマラソンで限界まで突き進みたいと考えるようになった。

 一方、学生連合選出選手に関する規定の改正があり、近藤は引き続き箱根駅伝を目指せるようになった。しかし今までのような「箱根にかける」という思いはなかったという。

「僕にとって箱根駅伝はもう『それがすべて』ではなくなっていました。そのようななかでの箱根への原動力は挑戦すべき目標というよりもむしろ、僕を応援してきてくれた家族や仲間への感謝です。大きな舞台で走る姿を見てもらいたい」

 近藤の仲間といえば、東大陸上運動部の仲間が第一にあがるが、学生連合のチームメイトも大切な仲間だ。学生連合は監督も選手も毎年入れ替わる。チームカラーも毎年変わる。近藤によれば、4年生がどのように空気をつくるかによって学生連合チームの雰囲気が決まるらしい。上智大の外山正一郎をはじめ顔見知りの選手も多い今年のチームは、「4年間で一番」だと近藤は言う。

 近藤には、前回の学生連合チームの上級生から受け継いだ思いがある。矢澤健太――芝浦工大4年だった矢澤は箱根駅伝予選会で選出メンバー中9位の成績を残しながらも、最終的に補欠にまわっていた選手だ。しかし近藤のインフルエンザもあり、矢澤に出番が回ってきた。

 12月31日にエントリーを聞かされたという矢澤は各校の準エースが集まる1区を力走。準エースたちがつくり出す速いペースに矢澤は挑戦し、粘った。最後は20位の選手から1分弱ほど遅れたが、鶴見中継所で学生連合2区の長谷川柊(しゅう/専修大)に白い襷をつないだ。矢澤は「補欠でしたが、ずっと準備はしていました。持っている力は出し切れたと思います」と最後の走りを振り返っている。

 その日、近藤は「矢澤さんに迷惑をかけてしまったかな」と思いつつ、箱根駅伝を実家のテレビで観戦していた。矢澤が自分の限界に挑戦して集団に食らいつく姿をテレビで見た。気持ちが昂ぶり、揺さぶられた。

「『矢澤さんの最高の走りに感動した』という言葉だけではとても言い尽くせない感情でした。矢澤さんは補欠登録。『チームに万が一のことがあってもいいように準備をする』といっても、サポートメンバーとして気を配ることはたくさんあります。さらに矢澤さんは4年生で引退する立場。もう大会もないし、卒論もあります。そのような状況でも自己ベストのペースで追走できるほどに、矢澤さんは最後まで選手をやり遂げていました」

 近藤は今回のチームでも矢澤の姿勢をチームメイトに話したという。たとえ普段は異なる大学で練習をしていたとしても、ひとりのランナーとしての思いが積み重ねられる。学生連合はひとつのチームへとして昇華していく。

「じつは『東京大学を代表して走る』という気持ちは少ないです。もちろん多くの先輩方が東大の代表として僕を応援し、観戦していただくことは承知しています。その先輩の思いに応えたいです。しかし僕はそれ以上に、今まで僕を応援してくれた仲間たちのために走りたいし、学生連合の一員としてこのチームのために全力を尽くしたい」

 学生連合の選手たちには毎年ジャージが支給される。近藤にとって4着目のジャージだ。そして白い襷には全選手の名前が入っている。近藤は学生連合に選出された選手だけが知る矜持(きょうじ)を持って、16人の仲間とともに箱根路を走る。