「記録より記憶に残る選手」という言い回しがある。このフレーズがこれほどふさわしい男はなかなかいないだろう。 小柄だが、圧倒的なスピードと抜群の決定力を備え、とりわけ大舞台で勝負強さを発揮した。その反面、練習に遅刻するのは日常茶飯事で、監…
「記録より記憶に残る選手」という言い回しがある。このフレーズがこれほどふさわしい男はなかなかいないだろう。
小柄だが、圧倒的なスピードと抜群の決定力を備え、とりわけ大舞台で勝負強さを発揮した。その反面、練習に遅刻するのは日常茶飯事で、監督、クラブ関係者、対戦相手、審判など、誰とでも争いを起こす名うての問題児。素行上の問題で、しばしばクラブを追われた。にもかかわらず、サポーターから愛され、チームメイトからも慕われ、この12月、40歳3カ月でスパイクを脱いだ。
今年はコリンチャンスに戻ってプレーしていたエメルソン
エメルソンは1978年9月6日、リオ郊外の貧しい家庭で「マルシオ・パッソス・デ・アウブケルキ」として生を受けた。幼い頃からボールを蹴るのが大好きで、勉強が大嫌い。サッカーのプロ選手になることしか考えていなかった。地元のアマチュアチームでプレーしながらプロクラブのテストを片っ端から受けたが、18歳になってもどこにも入れない。息子の将来を案じた母親が、「1981年12月6日生まれのマルシオ・エメルソン・パッソス」というニセの身分証明書を作って息子に渡した。年齢を3歳3カ月も偽ったのである。
この新たな身分証明書は、効果を発揮した。名門サンパウロのスカウトの目に留まってU-20に入団。U-20ブラジル代表にも招集され、1998年に念願のプロ契約を結んでデビュー。翌年にはブラジル全国リーグで8試合に出場して2得点を記録し、「18歳の将来有望な若手」と評価された。
しかし、ほどなくサンパウロの関係者はエメルソンが年齢を詐称していることを察知し、クラブがブラジルサッカー連盟から処罰を受ける前に外国のクラブへ売り払うことを決断した。
こうして2000年、エメルソンはコンサドーレ札幌(当時J2)へ移籍。J2では規格外の存在で、34試合に出場して31得点と大暴れした。翌年、やはり当時J2の川崎フロンターレへ移籍すると、18試合で19得点を挙げた。2001年からは浦和レッズでプレーし、2003年にJリーグMVPに輝き、2004年には26試合で27得点をあげて得点王となった。ゴールを量産してチームに貢献する一方、日本でも練習への遅刻などの不品行でクラブ関係者を悩ませた。
2005年8月にカタールのアル・サッドへ移籍し、ここでも期待に応えた。しかし、2006年、身分証明書とパスポートの偽造が発覚して逮捕される。高額の保釈金を支払い、社会福祉活動をすることで実刑を免れた。
カタールサッカー協会からの要請で2008年初めにカタール国籍を取得し、3月に行なわれた2010年W杯アジア3次予選のイラク戦に出場する。しかし、かつてブラジルU-20代表の試合に出場したこととパスポートを偽造したことを理由に、以後、FIFAは彼がカタール代表でプレーすることを禁じた。
2009年にブラジルへ帰国すると、子供の頃からの憧れのクラブだったフラメンゴへ入団。貴重なゴールを決めてサポーターから愛され、中東帰りであることから「シェイキ」(アラビア語で「首長」を意味する「シェイク」のポルトガル語読み)というニックネームを付けられた。以後、彼のフットボール・ネームは「エメルソン・シェイキ」となった。
その後、アルアイン(UAE)を経てフルミネンセへ移籍したが、2011年4月、練習へ向かうチームバスの中で、フルミネンセの宿敵フラメンゴのサポーターの間で流行していた歌を口ずさんでクラブ関係者を激怒させ、解雇されてしまう。
しかし、この不祥事の後、彼はキャリアのピークを迎える。サンパウロの名門コリンチャンスへ移籍すると、すぐにレギュラーポジションを獲得。2012年のコパ・リベルタドーレスで貴重なゴールを決め、チームに貢献した。
決勝でアルゼンチンの強豪ボカ・ジュニアーズと敵地で対戦する前日、「(サポーターの常軌を逸した応援で知られる)ボンボネーラ・スタジアムでプレーすることにプレッシャーを感じないか」と聞かれたエメルソンは「俺にとってプレッシャーとは、リオの貧民街で麻薬密売業者どうしの抗争から銃撃戦になり、流れ弾に当たって死ぬのに怯えながら眠れない夜を過ごすことさ。敵地でボカと対戦するのは楽しみでしかない」と笑った。
そして、ホームでの第2レグでチームの全得点となる2ゴールを決め、クラブ創立以来初の南米王者のタイトルを獲得する立役者となった。クラブ史に永遠に残る存在となったのである。さらに、クラブW杯でも決勝で欧州王者のチェルシーを破って世界の頂点を極めた。
2014年以降はボタフォゴ、フラメンゴなどでプレーした後、今年初めにコリンチャンスへ復帰。昨年末から「コーチング」(一種のセラピー)を受けており、以前のような素行上の問題はすっかり影を潜めた。クラブ会長から請われて、来年以降はクラブのスタッフとして働くことが内定している。
波乱万丈のキャリアを刻み、数々の問題行動でも話題を集めたエメルソン。今後は、分別ある大人としてこれまでとは異なる人生を歩むのか、あるいはやはりやんちゃなままなのか。これほど予測がつかない男も珍しい。
ともあれ、エメルソンが21年もの長きにわたって極めて幸せなフットボール人生を送ったのは間違いない。