神野プロジェクト Road to 2020(23)

「32キロ付近で腹痛が起きて……」

 神野大地は、厳しい表情でそう言った。

 福岡国際マラソンの最大目標は優勝、最低でも2時間11分42秒内でフィニッシュし、ワイルドカードで来年9月に開催されるMGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ)出場の権利を得る。しかし、神野は、その両方とも達成できなかった――。



目標の2時間11分42秒以内でゴールできず、この大会でMGC出場権を獲得できなかった神野大地

 レース当日、スタートの12時10分、気温は20.1度で日差しが強く、とても師走とは思えない暑さだった。スタートの号砲が鳴り響くと、外国人選手を先頭に設楽悠汰(したら・ゆうた)、服部勇馬らが前に出ていく。平和台陸上競技場を出ていくと、63番のゼッケンをつけた神野は、「先頭集団についていく」というレースプラン通りトップ集団に入り、キロ3分のペースを刻んで走っていた。

 昨年は、キロ3分のペースを刻めるかどうか不安なレベルだったが、1年後の今は3分ペースも余裕に感じられるようになった。サングラスでその表情はうかがい知れないが、走りは極めて順調だった。

 5キロを15分04秒、ペースメーカーの後ろにピタリとつき、自分のペースを刻んでいる。その後もキロ3分ペースを維持し、20キロは1時間00分17秒と理想的なペースだった。中間点では1時間03分38秒、このままでいけば2時間11分42秒は十分にクリアできるペースだった。

 ところが25キロ手前、24.77キロ付近でトップ集団から落ち始めた。アッという間に10秒ほどの差を付けられ、神野は第2集団に落ち込んでしまった。この時、神野は腹痛の気配を感じていたと言う。

「25キロぐらいから出そうだなっていうのがあって……。でも、自分的には意識しないようにして、ペースを上げられる感じではいたんです。でも、(腹痛が)出るかもしれないので、抑えて、抑えてというのをやっていたのに、最終的に腹痛が出てしまった。そこからペースが上がらなくて……」

 この時の神野の気持ちはどのようなものだったのだろうか。おそらく身をよじるような悔しさだったはずだ。

 1年前の同レースで腹痛を起こし、その後、今年の東京マラソンでも発症し、万全の対策を敷いたベルリンマラソンでは過去にない激しい腹痛のために途中棄権してしまった。スタッフとともに対策を練り、腹痛を意識しないように挑んだが水泡に帰した。

 しかも、さらなるアクシデントが神野を襲った。

「結果的に32キロで腹痛が起きてしまって、そことの戦いになってしまいました。あとは37、38キロぐらいで体が動かなくなってしまって……。ちょっと寒気がしてきて、エネルギー切れなのか、低体温症なのか分からないですけど、ほとんど体が動かなくなってしまいました」

 レース後、体が硬直し、「寒い」と漏らしていた神野の様子を見れば、それが低体温症であることはすぐに理解できた。

 ふたつのアクシデントが起これば、まともには走れない。そのダメージの大きさは、タイムに如実に表れていた。

 25キロから30キロまでの5キロを15分56秒、腹痛が起きた30キロから35キロまでは16分37秒、そして低体温症になった35分から40キロまでは20分25秒に落ち込んだ。テレビに映し出された神野の姿は両手で脇腹を押さえて必死の形相で走る痛々しいものだった。

 1年前と変わらない現状に「なぜ、また……」という疑問が拭えないが、神野は何もしていないわけではない。今回の福岡国際に当たっては炭水化物の食事制限を始め、給水のスポーツドリンクにまで気を遣い、体の負担にならないように調整されたものを使用した。だが、起きてしまったのだ。

 そして、腹痛は消えなかった。

「最後の10キロは腹痛との戦いでした。正直、何が悪かったのか明確にわからないですけど、これも力不足だと思うので……。しっかり練習をして、まだチャンスがあると思うので、がんばっていきたいです」

 神野は、声を絞り出すようにそう言った。

 2時間19分28秒で29位、優勝は同期の服部が2時間7分27秒で飾った。神野は、ワイルドカードを手にすることはできなかった。



またしても腹痛により失速してしまった神野大地

 ここでMGCへの出場権を獲らないと今後の練習プランに影響を及ぼすと語っていただけに、獲れなかった現実はいくらポジティブな神野とはいえ、メンタル的な影響が少なくないはずだ。なにより心配なのはこの腹痛がトラウマになってしまうことだ。

 神野は普段の練習も含め、レイヤートレーニングをこなし、優勝した服部に負けないくらいの練習量をこなしていた。筋肉を含めて走れる体作りをずっと継続しており、今回も決戦前夜はコンディション的にはかなりいい状態だった。

 しかし、いくら練習を完璧にこなし、走れる肉体を準備してきても内部に異変が起きて腹痛が発症してしまう。走れる力がついているのに、その力を100%発揮できない。腹痛も含めての総合力で戦うのがマラソンだと言われると確かにそうなのだが、練習を積み重ねてきたすべてをぶつけて勝負できない現状に忸怩(じくじ)たる思いでいるのは容易に察しがつく。

 腹痛の原因が明確ではない現状では、神野はマラソンを走る度に25キロ前後から腹痛を発症する恐怖とも戦わないといけない。これはランナーにとって心理的な負担になる。それがレースに及ぼす影響は決して小さくはない。

 マラソンを4回走り、4回とも腹痛が起きた。

 もはや腹痛を起こらないようにするのではなく、起こりそうになった時にそのダメージを最小限に止める。起こるものとして考え、起こる寸前で対処する術を得て、レースを戦う。従来の腹痛の原因解明を進行させつつ、そうした考え方の転換も求められる時期に来ているのではないだろうか。神野の陸上人生は、まだ先もあるのだ。

 大迫傑(すぐる)、設楽、井上大仁(ひろと)、服部が先行し、東京五輪のマラソン出場権をかけた争いはさらに激しさを増してきた。2度目となる福岡国際マラソンで神野自身が得たものは少なからずあるだろうが、MGCはつかめなかった。

 次の東京マラソンは極めて重要なレースになる。