12月2日の福岡国際マラソン。4回目のマラソンだった服部勇馬(トヨタ自動車)が見せたのは”強い走り”だった。 東洋大学4年生のときに初マラソンとして出場した2016年東京マラソンは、30~35kmまでを14分5…

 12月2日の福岡国際マラソン。4回目のマラソンだった服部勇馬(トヨタ自動車)が見せたのは”強い走り”だった。

 東洋大学4年生のときに初マラソンとして出場した2016年東京マラソンは、30~35kmまでを14分54秒に上げて35km過ぎには日本人トップに立ったものの、37km付近からの大失速で2時間11分46秒の12位(日本人4位)。



日本歴代8位に入る快走でMGC出場を決めた服部勇馬

 昨年の東京マラソンも35kmまではいい走りをしていたが、35kmからの5kmで16分07秒と失速し、2時間09分46秒で13位(日本人4位)に終わっていた。ともに35kmを過ぎてからの失速だった。

 今大会は、ペースメーカーが離れた32kmあたりからイエマネ・ツェガエ(エチオピア)やアマヌエル・メセル(エリトリア)と3人になったが、彼らの前を走っているときは「まだちょっとビビッていました」と振り返る。

「30kmになる手前のまだ10人で走っていたときも、みんなきつそうで、(前に)行ってもいいかなと思ったんですが、せっかくここまで来たからには優勝を狙いたいという思いの方が強かった。しっかり自分が行けるところまでいってから仕掛けようと思っていました」

 そして、36kmの給水から外国勢のふたりを離し始めると、強い走りを見せた。

「あまりスパートをしたという意識はないですが、気づいたら後ろが離れていたので『ここはいってもいいのかな』と思って。特にスパートというよりは、少しリズムを変えて走ろうかなという感じだった」と言う。

 それでもそのあとの走りは、1kmごとのペースを2分54秒、2分53秒と上げて、独走態勢に入った。そしての40kmまでの5kmを14分40秒で走って2位に上がったツェガエとの差を54秒に広げると、ラスト2.195kmも1km3分ペースを維持して6分35秒でカバー。2位との差を広げて日本歴代8位となる2時間07分27秒でゴールして、この大会日本勢としては14年ぶりの優勝を果たした。

「初マラソンから2回続けて35km以降で失速していたので、(今大会は)すごく成長しているなと思って走っていました。失速を克服できている自分に対しては、すごく評価できるなと思いましたが、それでも38kmくらいでは、『またいつもと同じようになるんじゃないかな』と不安もあって……。それを乗り越えてこういうタイムで走ることができたのはすごくうれしい」

 こう話す服部の走りで特筆するのは、ペースを2分台に上げても走りに力感がなく、それまでと同じように、リラックスしたままの走りでタイムを出していたことだ。服部はその走りをこう説明する。

「動きを変えないままリズムを変えて、少しピッチをあげればペースは自然に上がる。1回目と2回目のマラソンは32~33kmでアクセルを踏んでしまったのでラスト5kmで失速しました。今回はアクセルを踏まなくても、1km3分ペースの走りを持続する対策をしていたので、それができました」

 それは過去2回の失敗から自分の走りの意識を変えた成果である。

「今回のレースに向けて距離走の本数を増やしたことは確かですが、ただ増やしても、遅いタイムでやっていたら、マラソン(の結果)につながるのかというのは疑問でした。だから、ジョグの動きからレースの動きまで、すべての動きを同じようにすることを意識しました。ジョグの動きとスピード練習の動きを同じにすることでずっとその動きができると、あまり追い込む練習がないというか……。

 1km3分のペースに対しての余裕度が今までより出てきているので、スピードを意識するというよりは、その動きをいかに持続するかを考えて練習をしていたので距離を踏んでもきつくならなかったし、疲労感もこれまでとは全然違っていました」

 設楽悠太(ホンダ)が出す前の日本記録保持者だった高岡寿成も、「目指していたのは1km3分ペースを体にしみ込ませ、無意識な状態でも一定のペースで走れるようにすることだ」と話していた。無理なくそのペースを維持できる走りを作り上げる感覚は同じだ。

 それに加えて今回は、服部がマラソン練習に対する意識を変えたことも相乗効果を生んだ。

 昨年の8月に右足の踵骨(しょうこつ)を疲労骨折して以来、4カ月間走れない時期が続いた。そんな中で走りの意識を変え始めた服部は、5月に走ったプラハマラソンで、2時間10分26秒で5位だったものの、「1km3分2~3秒ペースだったら何とか維持できるイメージ」を得ることができたという。

 今年の7月には、アメリカのボルダー合宿に参加したことが意識を変える大きなきっかけになった。アジア大会で金メダルを獲得した井上大仁((MHPS))らの練習を見たり、話をする中で、自分のマラソン練習に対しての考え方が甘かったと感じた。

「これまでのマラソンでは3カ月間の練習の中で40km走は3回くらいしかやっていなかったんですが、今回は3カ月半前から40kmを7回と45kmを1回やりました。またそれだけではなく、120分ジョグや150分ジョグも40kmの回数くらいはやっていたので月間の走行距離も平均で(以前より)300kmくらい増えました。それをやってきたことで今回は、35~36km地点を走っているときに『やってきたんだから』という自信を持てたのだと思います」

 40kmなどのポイント練習だけではなく、その間に行なうジョグにもじっくりと取り組めたことで体や足作りがしっかりでき、ケガをしなくなった。そんな練習をしっかり継続できたことで底力を上げながら、求める走りの感覚を体の中にしみ込ませる結果にもつながった。

 服部は「自分は発汗量が多い体質」ということで大学時代から研究をし、最近では汗の研究をしている大学教授に相談して、給水用のドリンクにどんなものを使ったらいいかなど学んで実践している。そんな探求心が作り出した今回の走りは、偶然の結果ではなく本物だとも言えるだろう。

「1km3分ペースをいかに楽に持続するかというのが自分にとっての理想のマラソンなので、今度はそれを2分59秒、2分58秒とだんだん上げていけば、2時間5分台や2時間4分台というのが見えてくるかなと思います。

 ただ、マラソンの強さという意味ではまた違ってくるので、勝負強さというのも身につけていかなければいけない。僕の場合は大迫さんのように突出したスピードがあるわけではないし、悠太さんみたいに積極性があるわけではないので……。一つひとつを着実に、自分自身の成長を自分自身で把握しながらやっていくだけです」

 冷静に自分を分析して話す服部。彼が今回の福岡で見せた走りは、大迫傑(ナイキ・ オレゴン・プロジェクト)と設楽、井上が少し抜け出す状況の男子マラソン界の争いの中に、割って入る可能性を見せるものだった。