東京五輪を目指す若きフットボーラーたち(3)京都サンガF.C.・岩崎悠人@前編「世代屈指のストライカー」と評されなが…
東京五輪を目指す若きフットボーラーたち(3)
京都サンガF.C.・岩崎悠人@前編
「世代屈指のストライカー」と評されながら、プロ入り後、ゴール感覚が薄れていた岩崎悠人にとって、4ゴールをマークした8月のアジア大会は、自身の存在価値をあらためて証明する舞台となった。高まるゴールへの意欲――。ところが、皮肉にも代表で不在の間に京都サンガでのポジションを失ってしまう。復活を遂げた「京都の至宝」は今、何を思うのか。
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FW岩崎悠人(いわさき・ゆうと)1998年6月11日、滋賀県生まれ。京都橘高出身
―― 8月に行なわれたアジア大会では、全7試合に出場して4ゴール。持ち味を存分に発揮し、自信を取り戻した大会だったと思います。ところが帰国後、京都サンガで思うように試合に出られず、アジア大会で掴んだものを発揮できていない。相当悔しい想いを味わっているのではないか、と想像しています(取材は10月上旬)。
岩崎悠人(以下:岩崎) 途中出場だったり、まったく出られなかったり。やっぱり悔しさはあります。ただ、アジア大会で、コンディションの作り方やメンタルの保ち方を確立できた感覚があったんです。毎日、何をすればいいのかわかっているので、いいコンディションを保てていると思います。
―― ルーキーだった昨シーズンも出場機会を得ていたから、これだけ出られないのは初めてでしょう?
岩崎 そうですね。今はほぼ出られていないので、逆に新鮮です(笑)。なんで出られへんのやろな、とは思いますけど。
―― 新鮮(笑)。
岩崎 こういう難しい状況であっても、コンディションを維持するのがプロだと思うので。僕はこれまで、調子がいいとか悪いとか、全部偶然だったんです。でも今は、自分で作り上げている感覚があるので、試合に出られないのは悔しいですけど、手応えは感じています。
―― プロとしての意識の高さが、高卒2年目とは思えませんね。
岩崎 今年、20歳になってから、だいぶ変わりました。
―― どんなきっかけで?
岩崎 特別なきっかけがあったわけではないんですけど、今シーズンは苦しい時期が続いていて。前半戦も試合には出ていましたけど、チームとして結果が出なくて監督が交代したし、自分自身も思うようなプレーができなくて。周りからも厳しいことを言われたりして、プレーが縮こまったり、メンタル的に落ち込んでしまったり。
でも今は、あの半年間があって、すごくよかったなって思える自分がいる。あの半年で、何がアカンのか考えたし、メンタルの保ち方とか食事の面でも、試行錯誤したのがよかったかなって思います。
―― それでアジア大会では、伸び伸びとプレーできて、本来持つ力を発揮できたと。
岩崎 アジア大会に関しては、森保さんが「自由にやっていいぞ」と言ってくれて、すごくやりやすかったんです。自分のよさを出せばチームに貢献できるんだっていうことに、あらためて気づかせてもらえたなと思います。
―― 実は、試合に出られなくて落ち込んでいるかなとか、よくないタイミングでインタビューを申し込んでしまったかな、なんて思っていたんですけど、かなり笑顔で話してくれるので、いい意味で驚いています。
岩崎 本当ですか(笑)。もちろん、悔しいですよ。でも、落ち込んで私生活が乱れても意味がない。やることをちゃんとやって、コンディションを落とさんとこうって思いながら練習しています。
―― やり続けて評価を覆すしかないと。
岩崎 はい。実はアジア大会の期間中から、帰ったらポジションないやろな、と思っていたんです。大会期間中に京都のサッカーが変わって、ロングボールが増えたんです。そのなかで自分がどんなプレーをすればいいかイメージが湧かなかったので、帰国したら難しいやろなって。気持ちを保てているのは、そういう覚悟ができていたから、というのもあると思います。
―― サンガは3-4-2-1と4-4-2を併用していて、3-4-2-1の時は2シャドーに入ることが多いけど、4-4-2の時はサイドハーフに入ることが多い。2トップの一角としてゴール前に入っていきたいという想いが、アジア大会以降、強いのではないですか?
岩崎 そうですね。真ん中でプレーしてゴールを取りたい。アジア大会で森保さんに真ん中で使ってもらって、結果を残す感覚を取り戻したので、京都でも真ん中でやりたいという想いが強いですけど、そこはチーム優先なので。この前のゲームでも途中から左サイドに入って、クロスを上げることが多くて……これも修業やなって思っています(笑)。
―― プレーの幅を広げる修業。
岩崎 そうです。サイドからでも点、獲ったるっていう。
―― アジア大会は岩崎選手にとって、1月のU-23アジア選手権以来となる代表での活動でした。その間、3月、6月の活動には呼ばれなかった。もちろん、その時はJ2が開催されていたから、それを考慮されたんだと思いますが、久しぶりの招集となったアジア大会へはどういう気持ちで臨んだのですか?
岩崎 U-23アジア選手権はシーズンオフだったので、コンディションが悪くて、まったく結果を残せなかった。悔しい想いをして帰ってきて、その後ずっと呼ばれなくて。チームの順位もよくなかったし、自分も結果を出していなかったので、呼ばれないというのはわかっていたんですけど、悔しさもあって。だから、アジア大会に呼んでもらえることを知った時は、今回は絶対に結果を残してやるって覚悟を決めていましたね。
―― とはいえ、初戦はベンチスタートでした。ガクッとくるというか、ショックというか。
岩崎 でも、U-23アジア選手権が本当にダメだったので、仕方ないなって。まずは信頼を勝ち取るためにプレーしないといけないという感じでした。
―― 大会期間中のターニングポイントというと、スタメンで起用されて、2ゴールを奪った2戦目のパキスタン戦ですか?
岩崎 僕にとってのターニングポイントは、後半から出場した3戦目のベトナム戦ですね。前半、球際で負けていて、押されていたじゃないですか。そうしたなかで(旗手)怜央くん(順天堂大)と一緒に出て、球際でガツガツいけたのがデカかったかなと思います。
―― ハーフタイムに森保さんが雷を落として、その後、岩崎選手が走り回ったり、プレスをかけにいってゲームの流れを引き寄せた。
岩崎 あの試合ではトップ下に入ったんですけど、森保さんからすごく褒められたシーンがあって。たまたま三好(康児)くん(北海道コンサドーレ札幌)と入れ替わって右サイドにいた時に、相手のカウンターを受けたんですけど、僕が戻ってクリアしたんです。京都では攻守にわたって走っているんですけど、それが出たシーン。森保さんからも「ああいうプレーを期待している」と言ってもらえてうれしかったです。
―― 面白いのは、あの大会で4ゴールを奪っているのに、ターニングポインは守備で貢献したゲーム。
岩崎 言われてみるとそうですね(笑)。でも、あの試合以降、ずっとスタメンで使ってもらえたし、ベトナム戦を終えた時、やれるなって感じたんです。それでひとつ自信をつけた試合だったのかなって。
―― 森保監督の指導を受けたのは1月以来だったわけですが、指導方針、指導内容に変化は感じましたか?
岩崎 1月はポジショニングや準備のところをすごく言われて、僕たちも、どこにポジションを取ったらいいか、どうやって攻撃したらいいかをすごく考えていて。アジア大会の時はベースの部分を強調されました。攻守の切り替えとか、球際の部分しか言ってないくらいの感じだったので、戦術的な部分は浸透してきているのかなって。僕はそっちのほうが得意なタイプなので、すごくやりやすかったです。

―― では、韓国戦についても。決勝で韓国と戦う。しかも、完全アウェーのような雰囲気のなかで。あらためてあの韓国戦を経験できたことは、岩崎選手にとってどんな意味を持っていますか?
岩崎 2−1というスコア以上の差があったな、と思います。最初からずっと押されっぱなしでしたし。自分たちはカウンターでしか攻撃できてない状況で、やっぱり気持ちの差がすごくあった。フィジカルや技術の差もあると思いますけど、一番感じたのは気持ちの差。試合後にも話しましたけど、向こうは自分の気持ちをプレーで表現するのがうまいなって思いました。
―― 岩崎選手や三好選手も試合前日、「僕らもサッカーに人生をかけている」と力強く語ってくれましたけど、全然違った?
岩崎 (自分たちの言葉は)軽かったなって思います。
―― 優勝したら兵役免除ということで、韓国の選手たちは本当の意味で人生がかかっていましたからね。今後、自分の感情をプレーでどう表現するか、というのが大きなテーマ?
岩崎 そうですね。あと僕の場合、コンディションが悪かったら何もできない選手なので、いつでも100%の状態を作っておくことが大事だなと、あらためて感じました。その部分では、他の選手には絶対に負けたくないです。
(後編に続く)