福島県浪江町で日本野球機構(NPB)主催の東日本大震災復興支援事業「ベースボールフェスタin浪江町 十日市祭」が11月…

 福島県浪江町で日本野球機構(NPB)主催の東日本大震災復興支援事業「ベースボールフェスタin浪江町 十日市祭」が11月24日、25日と開催され、同県出身の中畑清さんがトークショーを行った。

 

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実は過去に日ハムからも監督オファーがあったが…

 

 2011年に横浜DeNAベイスターズの監督に就任した中畑さん。

当時のエピソードを、「当時新しくDeNAのGMに就任した高田さんから、『工藤公康に要請しているけど、断られたら監督をやらないか?』って言われて。しかもその監督要請の時、家が近所なのもあるけど、高田さんはママチャリで自分の庭でとれた柿を手土産にやってきた。普通ハイヤーとかだよね。高田さんが日ハムでGMをやっていた時代にも日本ハムの監督を打診されたことがあったけど、それは断っていた。なぜなら俺は伊藤ハムのCMに出ていたからね」と話し、会場を沸かせた。

原辰徳は全然勝たせてくれなかった

 さらに、「DeNAの監督就任会見の時に盛り上がっちゃって、『熱いぜ!』って発言したのがチームスローガンになっちゃって。就任してまずやった仕事は選手を育てることより、球団を変えること。球団事務所で元気よく挨拶したら最初ほとんど無視されたので、挨拶の練習をさせた。そうしたらこのおじさん本気モードなんだな、と思ってくれたみたい。みんなが同じ方向を向いて、心を一つにすることが大切だという事を伝えたかった。これは野球だけでなく、社会でも同じだよね」と語った。

「震災の翌年、みんなが落ち込んでいる年に、福島県出身の初のプロ野球監督に就任した。預かったチームは当時一番弱いチーム。勝ってみんなに元気を伝えたいけど、試合すれば負けてしまう。でも、負けても良いから、最後まで諦めない野球をやるという姿は福島に届けたかった。それなのに就任一年目、原辰徳は全然勝たせてくれなかったんだよ!三年目でジャイアンツに勝ち越せて、それで俺は満足したけど(笑)」と話し、故郷・福島に笑顔と元気を届けていた。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]