以前、羽生結弦はこう言っていた。

「普通にやれればいいんですけど、それがなかなか普通にいかないんです」

 11月17日のグランプリ(GP)シリーズ・ロシア大会(ロステレコム杯)男子フリーでは、そんな”普通にいかない”事態が起こってしまった。



SPで今季最高得点を記録した羽生結弦

 前日のショートプログラム(SP)は、羽生がその力を存分に発揮した。最初の4回転サルコウは少し力を入れて跳んだ前戦のフィンランド大会とは違い、鋭くキレのあるジャンプ。GOE(出来ばえ点)で4.30点の加点をもらい、羽生自身も「スコア以上に自分の中の感覚がすごくよかった。公式練習でもフィンランドでもできなかったけど、降りた足でそのままカウンターをするなど、自分でも納得できる形でトランジションにつなげられたので、すごく満足しています」と語る出来だった。

 続くトリプルアクセルもきれいに決め、4回転トーループ+3回転トーループは3回転の着氷で少し止まりかけたがうまく流れを作って次につなげ、3.12点の加点をもらった。そこからは羽生がとくに思いを込めているパート。フィンランドより感情を込めて滑ったスピンを、羽生はこう説明する。

「リンクサイドでタチアナ・タラソワさんが立って観てくれているのが見えた。自分が憧れたプログラムのひとつであるジョニー・ウィアさんの『秋によせて』の振り付けをしたタラソワさんが見てくださっているというのは非常にありがたいことです。

 あとは2011-12年の『ロミオとジュリエット』の手直しをしに来た時にお世話になった、振付師のイゴール・ボブリンさんご夫妻も、終わった時に正面の席でスタンディングオベーションをしてくださっていた。そういう方たちが見てくださっていたという意味もあって、すごく感情は込もったと思います」

 4回転トーループからの連続ジャンプが少しぐらついたのは「ちょっと悔しい」と言うが、フィンランド大会に比べればミスと言えるようなミスはないと振り返り、「ノーミスと胸を張って言えるくらい」と笑顔を見せた。得点は、新ルール世界最高の110.53点。

「目標は106点でした。フィンランドと同等の点数を取れれば自分的には満足かなと今回は思っていました。だから頑張ったかなと思います。今の構成ではこれがマックスだと思う」と、本人も納得の演技だった。

 それを翌日のフリーにもつなげようとしていたが、アクシデントは朝8時20分からの公式練習で起きた。

 曲かけが始まると、試合前日の公式練習から入念にチェックをしながら跳んでいた最初の4回転ループで転倒したのだ。その瞬間は「カチン!」という音も聞こえた。しばらく倒れ込んでいたが立ち上がると何か考える様子でリンクを行き来し、曲の途中で観客に挨拶をしてリンクから上がった。

 午後1時半から始まった男子フリー、羽生はジャンプ構成を変えて試合に臨んだ。

「朝の練習の曲かけで転倒した際に『もういっちゃったな(ケガをしたな)』とすぐわかったので、それから確認作業を始めました。リンクを少し移動しながら、ここで何をやろうか、あそこで何をやろうかと考えて。あの時に新しい組み立てを考えていました。ただやったことがないものが多かったから、やっぱりちょっと難しかったなと思います」

 急遽変更した構成は、4回転をループとサルコウから、サルコウとトーループにするもの。そのふたつのジャンプは3.60点と4.34点の加点をもらう出来にし、ステップシークエンスと3回転ループまではきっちりこなした。そのあとは単発の4回転トーループを3回転フリップに変え、次に4回転トーループからの3連続ジャンプを狙ったが、トーループで着氷を乱してEu(オイラー)がダウングレードに。それでも3回転サルコウはしっかり付けた。

 だが「構成を落としていたので体力はもったけど、最後はフワフワしてしまいました」と本人が言うように、次のトリプルアクセルでは転倒して、最後のトリプルアクセルはシングルアクセルになってしまった。スピンはすべてレベル4にしたものの、終盤はミスが続いて連続ジャンプは1本のみ。それでもフリートップの167.89点を獲得し、満身創痍ながら合計を278.42点にしてGP連勝を決めた。

「この大会はシニア1年目のシーズンに初出場して、翌年に初優勝をした大会ですし、今日(エフゲニー・)プルシェンコさんは来ていなかったですけど、タラソワさん、(アレクセイ・)ヤグディンさんのほか、僕がスケートに熱中するきっかけとなった方々がいる大会。今のフリープログラムの完成した演技をしたかったですが、それができなくて残念です。でも、この状態ではある程度は頑張ることができたかなと思います」



ロシア大会で優勝し、GP連勝を飾った羽生結弦

 演技後にこう話した羽生だが、フリー出場の代償は大きかった。

「靭帯の損傷は間違いないですし、ドクターには3週間の安静が必要だと言われました。ファイナルだけではなく、調整期間を考えると全日本も厳しいので何を選択しようかということになりました。何をやって何を削るかということまで考えたうえで、今日しかないなと思いました。自分にとって大切な場所であるロシアということもありましたし、ここまでトレーニングをしてきたことが何か自分にとっては重いものだったので『ここであきらめたくない』ということと、何とかしてトレーニングの成果を少しでも出したいなと」

 スケートの場合、「ケガが治ったらそれで終わりというわけではない」と羽生は言う。そこからしっかりトレーニングができるか、ちゃんと自分がやりたいスケートをできるかどうかが問題になる。だからこそ、このロステレコム杯とファイナル、全日本の3試合を想定したうえで、何を選ぶべきかと考えた。その結論がロステレコム杯フリーの出場だった。

 昨年のNHK杯でケガをして以降、「右足首がほんのちょっと衝撃を受けても大きなケガにつながってしまうことがすごく悔しい。そういう転倒をした技術不足の自分に対しての悔しさもある」と羽生は言い、「だから、そんな脆さも含めて強い演技を…。またしっかり積み重ねて強い演技をしなくてはいけないなという風に思います」とも話す。

 優勝から一夜明けて、羽生は「ファイナルへ向けて全力で治療をします」とコメントを出したが、次に出場する試合がどこになるかは、回復のスピード次第だろう。今季最大の目標は4回転アクセルではなく、今後もSPの『秋によせて』とフリーの『Origin』を自分の感情をしっかり込めた完璧なプログラムに近づけることになるはずだ。