今シーズン、プロ野球では4月に西武ライオンズ、6月には阪神タイガースで「台湾デー」が行われた。現在のNPBでは台湾人選手が所属する球団も多く、日本球界での活躍も目立つ。一方で、かつて日本の球団に在籍していた台湾人選手は、現在どのような生活を…

今シーズン、プロ野球では4月に西武ライオンズ、6月には阪神タイガースで「台湾デー」が行われた。現在のNPBでは台湾人選手が所属する球団も多く、日本球界での活躍も目立つ。一方で、かつて日本の球団に在籍していた台湾人選手は、現在どのような生活をしているのだろうか。

■08~11年に巨人に所属の台湾人左腕、「30歳までは野球をやりたい」

 今シーズン、プロ野球では4月に西武ライオンズ、6月には阪神タイガースで「台湾デー」が行われた。現在のNPBでは台湾人選手が所属する球団も多く、日本球界での活躍も目立つ。一方で、かつて日本の球団に在籍していた台湾人選手は、現在どのような生活をしているのだろうか。

 左腕のリー・イーフォン投手は2008年、台湾・台中の中学校を卒業後、15歳で練習生として巨人に入団。しかし、日本で一度も登板することはなく、入団から3年後の2011年に戦力外通告を受けた。現在、台湾・台北の社会人強豪チーム、トプコ・ファルコンズでプレーしていると聞き、台北を訪れた。

 台北市内にある松山空港に近い基隆河の河川敷で、トプコ・ファルコンズの練習試合は行われていた。リー・イーフォン選手に声をかけると、流暢な日本語が返ってきた。巨人の元チームメートとは今でも仲が良く、連絡を取り合っており、日本語も忘れないように勉強しているそうだ。そんなリー・イーフォン選手に、日本での生活のこと、巨人退団後のことを聞いてみた。

――15歳で巨人に入団し、大変だったことは何ですか?

「日本語が話せないまま入団したので、チームメートとのコミュニケーションが一番大変でしたが、先輩たちが優しくて、よく面倒を見てくれたので、困ったことはありませんでした。2年目からは、だいぶ言葉がわかるようになりましたが、巨人にいた3年間で一番勉強したのは日本語です」

――日本での生活はどうでしたか?

「ずっと怪我をしていたので、野球は思うように出来ず、台湾に帰ってきました」

■西武・郭俊麟は中学校の先輩、「日本語を教えています」

――巨人を戦力外になってからはどうしましたか?

「台湾に帰ってきて半年間休んでから、中学の同級生に紹介してもらった、トプコ・ファルコンズのテストを受けました。1年半、チームで野球をやった後、実家のある台中に戻り、台中のチームに移籍しました。その後、兵役に1年間就きましたが、兵役中の選手が所属するチームで野球を続けていました。除隊後、再びトプコ・ファルコンズに戻ってきました」

――今後の目標は何ですか?

「トプコ・ファルコンズはプロへの加盟を目指しています。チームがプロに加盟したら、このチームでプロの選手として野球を続けたいと思っています。台湾ではかつて八百長事件があり、野球の人気が低迷しましたが、今は人気が復活してきました。このチームは、みんな仲が良く、会社も野球に対して手厚く支援してくれるので、とても恵まれた環境だと思います」

――日本の野球は気になりますか?

「西武ライオンズの郭俊麟投手は中学校の先輩なので、西武ライオンズの試合はよく見ています。郭俊麟投手が台湾に帰ってきたときは、一緒にご飯を食べに行って、僕が日本語を教えています。とてもまじめな人なので、一生懸命勉強していますよ。日本ハムファイターズの陽岱鋼選手は、台湾ではすごく有名で人気があります」

 6月21日から、巨人の3軍が台湾遠征を行った。仲のいい選手から連絡があったそうだが、トプコ・ファルコンズは6月17日からの日本遠征ですれ違いになり、数年ぶりの再会が果たせず残念そうだった。「30歳までは野球をやりたい」と話すリー・イーフォン選手はまだ23歳。今後、台湾プロ野球でプレーする姿が見られるか、楽しみだ。

篠崎有理枝●文 text by Yurie Shinozaki