近年のドラフト候補で、その能力や実績に対する賞賛と、フォームに関する否定的な意見が同時に飛び交う選手の代表格が、佐…
近年のドラフト候補で、その能力や実績に対する賞賛と、フォームに関する否定的な意見が同時に飛び交う選手の代表格が、佐藤世那(せな/前オリックス)だった。
仙台育英高(宮城)時代は、エースとして3年時の春夏と2季連続で甲子園に出場。140キロ後半を記録する直球、空振りを誘う落差のあるフォークが冴えわたり、同校にとって2度目となる夏の甲子園準優勝に大きく貢献した。

オリックスに入団して3年で戦力外通告を受けた佐藤世那
甲子園後はU-18日本代表に選出。出場した「2015 WBSC U-18ワールドカップ」では、同年のドラフト会議で1位指名を受けることとなる、髙橋純平(ソフトバンク)、小笠原慎之介(中日)らを差し置き、先発投手としてベストナインを受賞した。
能力はもとより、全国大会、その後の世界大会を含めた実績も申し分なかったが、フォームへの懸念も大きく囁かれた。佐藤のフォームは、二塁方向に大きく腕を回しながらトップを形成する”アーム式”と呼ばれるもの。「甲子園での実績は十分だが、このフォームでは確実に故障する」といった評価も散見された。
ドラフトでの指名順位は6位。「甲子園準V右腕」の看板を鑑(かんが)みると、決して高い順位ではなかったが、「このフォームでもやれることを証明したい」という強い決意とともに、プロの世界へと飛び込んだ。
しかし、現実は厳しかった。プロ入り後の3年間で一軍昇格が一度あったものの、登板はなし。2年目オフにウエスタンリーグ選抜として派遣されたウインターリーグの途中からは、コーチの勧めもあり、サイドスローへの転向を決意する。慣れ親しんだフォームへ別れを告げた心境を、こう振り返る。
「自分のフォームに対する否定的な意見を吹き飛ばしたいと思っていましたが、結果を出すことができませんでした。コーチから話を聞くなかで、チャンスを掴むためには必要なことだとも理解できましたし、自分だけでなく、チームのために必要な選択だと思って取り組みました」
人生で初めて取り組むサイドスロー。春季キャンプでも、リリースの感覚を掴むために精力的な投げ込みを続けた。コーチの熱心な指導もあり、少しずつ手応えを感じつつあったが、それを生かすための機会に恵まれなかった。
今季はファームでの登板も8試合。少ないチャンスのなかで2勝をマークしたものの、一軍から声がかかることはなく、オフに戦力外を告げられた。入団から2年の足踏みがあったとはいえ、サイドスロー転向後わずか1年。早すぎる”通告”だった。
「毎年いい投手が入ってくるのを見ていましたし、あるかもしれないとは思っていました。本音を言うと、『育成で残れるんじゃないか』という気持ちはありましたが……」
本人以上に驚いていたのは、周囲だったのかもしれない。高校時代のチームメイトである平沢大河(ロッテ)からは、驚きと励ましを伝える電話がかかり、仙台育英秀光中(宮城)時代の恩師である須江航(すえ・わたる/現・仙台育英高監督)からは、「中学時代の対戦校の監督からも『世那は大丈夫か? トライアウトがんばれよ』というメッセージが来ているぞ」と伝えられた。
受験を決意したトライアウトでは、「自分の生きる道は、やはりこれしかない」と慣れ親しんだオーバースローに戻すことを決めた。
「少し力が入ってしまった」と振り返るように、先頭の森山孔介(前ソフトバンク)に対して四球を与えたものの、河野元貴(前巨人)は、高校時代の快投を彷彿とさせるフォークで追い込み、直球で差し込んでの内野フライ。最速は141キロを計測した。約1年ぶりのオーバースローでの登板について、こう語った。
「トライアウト受験にあたって、自分のフォームでもう一度勝負したいという思いが強くありました。自分としては、もう少し上から投げている感覚だったんですが、映像で見るとまだサイド気味でしたね(苦笑)。ただ、感覚は悪くなかったですし、腕はしっかり振れました。野球ができる喜びを感じながら、楽しむことはできましたし、やり切った思いもあります」
今後はNPB球団を中心にオファーを待つ意向を明かした。現役続行にこだわりを見せる背景には、ひとつの”約束”がある。
「戦力外通告を受けたときに、高校時代にバッテリーを組んでいた郡司(裕也/慶応義塾大)から連絡があったんです。『プロで世那とバッテリーを組むのがオレの目標なんだよ』と言ってくれて……。郡司は必ずプロに入る存在だと思っているので、その時に自分も同じ世界にいられるようにしたいんです」
終始緊張した面持ちで報道陣の質問に答えていた佐藤の表情が、わずかながらもほころんだ瞬間があった。「手応えを感じたボールはあったか」と尋ねたときのことだ。
「マウンドに上がった直後の投球練習のとき……ですね。いい感じで脱力した体重移動からリリースできたボールがありました。実際の対戦では、打者を意識してしまって同じようには投げられなかったんですが、あの投球練習のボールにはいい感触がありました」
長年の野球人生をともに歩んだ”相棒”とも呼べるフォームで戦ったトライアウト。わずかながらも取り戻せた「このフォームで戦える」という自信と、果たすべき友との約束を胸に、若干21歳の右腕は吉報を待っている。