遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(37)昌子 源 後編前編から読む>> 11月11日、テヘラン、アザディ・スタジアム。約10万人がピッチを囲むその多くが地元ペルセポリスFCのサポーターで、彼らが鳴らすブブゼラの音が鳴り響いてい…

遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(37)
昌子 源 後編

前編から読む>>

 11月11日、テヘラン、アザディ・スタジアム。約10万人がピッチを囲むその多くが地元ペルセポリスFCのサポーターで、彼らが鳴らすブブゼラの音が鳴り響いていた。

「健斗」、「レオ」

 昌子源は何度もチームメイトの名を呼ぶが、その声が仲間に届くことはなかった。

「声が届かないのは想定内のことだったから、『自分のポジションへ戻る時とか、いつでも俺のほうを見てくれ』と伝えていました。声が届かなくてもメッセージは送ることができるから」と昌子が振り返る。

 ACL決勝戦のセカンドレグ。ペルセポリスFC対鹿島アントラーズ。ファーストレグを2-0で終えた鹿島は引き分けでも優勝できる。逆にペルセポリスFCには3点以上の得点が必要だったため、ファーストレグ同様に試合開始から猛攻をしかけてくることが予想された。

「特に15分はシンプルにやって、試合が落ち着いたら、ボールをまわそうという話をしていたけれど、グラウンドも思った以上に悪かったし、こっちもしんどかったからロングボールが増えた。2トップが強力で、GKからのロングボールもある。こんなにセンターバックがしんどい試合も珍しいと思う(笑)。だけど、勝つために、僕らのゴールからボールを出来るだけ遠ざけることを徹底した」

 守備ブロックをコントロールしながら、ペナルティエリア内では身体を張ってゴールを守った。とにかく失点しないことがタイトル獲得への最低条件だった。昌子が続ける。

「鹿島って、変な言い方やけど、ちょっといやらしいよね。こういう舞台になったら、恥じることも躊躇もなく、ロングボールを蹴る。カッコいいとかカッコ悪いとか関係なく、勝つためにならめちゃくちゃカッコ悪い戦いもやってしまう。途中から出た選手も含めて、すべての選手がそういう意識でプレーしているから。それは憎いなあって思う。俺が相手だったら、本当にいや。だってうっとおしいやん(笑)」

 この試合ではGKへのバックパスはほぼなかった。前線の選手が不用意なバックパスをすれば、叱責されている。徹底したリスクマネージメントのもと、試合終了を告げる笛が鳴る。

「鹿島は優勝しなければいけないというプレッシャー、責任感もあります。試合前のピリピリしたムードもあるなか、こういう大舞台に慣れている先輩方が多いので、僕にとって心強かった。僕自身タイトルを獲った経験はなかったけれど、想像以上に気持ちがいい。あの笛が鳴った瞬間は今後忘れないと思いますし、こういう経験は何回もしたい。ここで喜びを与え続けられる選手になりたい」

 若い安部裕葵はそう言って、タイトル獲得の感動を味わい、次なるタイトルを欲した。優勝という現実が、選手の欲をさらにかき立てる。タイトルが次のタイトルへのエネルギーとなっていくのだ。

 鹿島アントラーズの20冠はそんなサイクルの末に重ねられた歴史だった。

「真ん中でどっしりと構えるという雰囲気がある。鹿島のセンターバックは、Jリーグのほかのチームとは違うと思うんだよね、俺は」と内田篤人は以前語っている。

 2015年、岩政大樹から譲り受ける形で、背番号3を背負った昌子源。主力としてプレーを始めて2シーズン目だった。しかし、開幕からチームの成績は低迷。失点するから勝てない。その現実は、若い背番号3を苦しめた。



ACL決勝ではゲームキャプテンを務め、味方を鼓舞し続けた

――背番号3をつけた経緯を教えてください。

「まず、大樹さんから、背番号3は『お前がつけろ』と言われました。その後、2015年シーズン前にクラブからも『3番はどうか』と言ってもらえて『つけさせてもらえるのなら、つけたい』と」

――そのとき、その背番号の重要性は認識していましたか?

「その番号を担った歴代の選手の名前を見て、重責であることはわかっていたけれど、本当の意味では理解していなかったのかもしれません」

――しかし、そのシーズンは苦しいものになりましたね。シーズン途中にトニーニョ・セレーゾ監督から石井正忠監督に交代しました。

「きつかったですね。背番号がプレッシャーになっただけでなく、試合に出始めの2年目でミスも増えた。1年目はただガムシャラにプレーすればよかったけれど、2年目はやることも増えるし、責任も増す。周囲の眼も厳しいものに変わります。『秋田(豊)さんや大樹さんのようにヘディングで点が獲れない』とか、過去の3番と比較されることも多かった。でも、僕と先輩とでは、プレースタイルがまったく違う。葛藤がありましたね」

――プレースタイルという意味で、どんな選手をイメージしていたのでしょうか?

「元バルセロナのハビエル・マスチェラーノですね。知人から7分くらいの映像をもらったんです。それを見て、ボールの奪い方やビルドアップやパス、攻撃に転じるときなども含めての判断の良さ、そういうものを見様見真似でやってみると、うまく自分にマッチングできた。それがプロ3年目のころです」

――秋田氏や岩政氏とは違うスタイルを磨いてきたわけですが、背番号3を背負い結果が出ないと、中傷の的になってしまう。

「そうですね。失点に絡んだとき、直接『その背番号をつける資格はない。ほかの選手に譲ってくれ』と言われることもありました」

――そういうなかで自分のスタイルを守り抜けたのはなぜでしょう?

「大樹さんに言われた『お前は俺や秋田さんと同じプレースタイルじゃないから、俺らの真似はしなくていい。だけど、ディフェンスリーダーという魂を受け継いでくれ』という言葉があったからだと思います。だから俺は、プレースタイルじゃなく、その魂を受け継いだ3番だと考えていました。ディフェンスリーダーとしてしっかりチームを締めるとか、守り切るとか。それが、僕が継承する『背番号3』なんだと。厳しい声があるなか、俺がミスしても『昌子の実力は私たちが知っているし、今までもこれからも鹿島を背負って闘ってくれると信じています』と励ましてくれるファンの方もいてくれた。そういう信頼の声は力になりました。俺は応援してくれるあなたたちのために、鹿島の3番のユニフォームを着てくれている人たちのために、と思えたんです」

――プロ選手は、サポーターの想いを背負ってプレーしなくてはいけないということを実感したのではないでしょうか?

「そうですね。厳しい声を非難と受け取れば、ただただ苦しいだけです。でも、その声も僕が結果を残せば、称賛に変えられる。だから、『今に見ていろ』というふうに考えれば、厳しい指摘も力に変えられる。当時は自信も経験もないから、周囲の声を気にしすぎて、惑わされてしまったけれど、徐々にそういう声が気にならなくなったんです」

――周囲の声の厳しさが、「鹿島の背番号3」を育てたのかもしれませんね。

「そういうことなんでしょうね。とにかくメンタルが鍛えられました。『僕は僕のやり方』で闘うだけだと開き直れたんです」

――その年、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)で優勝。翌2016シーズンはファーストステージで優勝し、チャンピオンシップも戦い抜いてJリーグ王者に。その後、クラブW杯準優勝、天皇杯優勝と結果を出せました。

「チャンピオンシップは大きな自信を与えてくれました。タイトルを獲得することで、鹿島の一員としての務めを果たせた。その勢いがあったからこそのクラブW杯や天皇杯だったと思っています」

――あと一歩のところでタイトルを逃した2017シーズンを経て、向かえた今季は、ロシアW杯にも出場。W杯では、大迫勇也選手、柴崎岳選手、昌子選手とセンターラインに鹿島の選手が並びました。

「実はそういうふうに考えることはなかったんです。とにかく、無我夢中だったから。あとから言われて、なるほどなという感じで(笑)」

――W杯後は、足首を痛めて長期離脱することになってしまいました。

「2013年の膝の負傷以降、初めての大きな怪我でした。あのときはレギュラー目前としての離脱でした。大樹さんには『今じゃないということ。またチャンスは来る』と言われたんですが、今回もとにかく焦らず、リハビリに集中しようと思いました。チームには迷惑をかけているけれど、次のチャンスを待つんだという気持ちで開き直れた」

――昌子選手はよく『失点することで成長できる』と口にしますが、それもまた開き直るという強さなんだと感じます。

「最初は強がっている部分もあったかもしれませんが、それが事実であることも確か。(大岩)剛さんからもずっと『失点に絡まないセンターバックはいないし、失点に絡まないセンターバックはセンターバックじゃない』と言われていた。だからこそ、失点を無駄にしない成長をしなければいけないと」

――危険な場所を察知できているから、失点にも絡みやすい。失点を恐れて何もしないのは、センターバックではないということですね。

「だと思います。そう考えて、切り替えるためのタフさが身についたからこそ、そういうふうに言葉にできると思うので、メンタルが強くなったんですよね。ACLの水原三星戦(準決勝セカンドレグ)でもし勝ち上がれなかったら、ひどく落ち込んだと思います。でも、同点にして決勝へ行けたことは、本当に感謝しています」

――失点にも心が折れない。その姿勢が鹿島のセンターバック、背番号3を成長させる。

「チームメイトや監督は今まで俺がやってきたことを知っている。たとえプレーの精度が悪くても、声を出せるとか、カツを入れるとか、そういう今までに築き上げたものがあるから、信頼を得られるんだと考えています。たとえば1試合だけいいプレーができても、それだけで信頼は手にできない。ピッチでチームのために貢献し続けてきたからこそ、信頼を得られる選手になれる。その信頼が自信になるんです。だから、もう今では周囲に何を言われても動じないようになりました」

――背番号3は一朝一夕では生まれないということですね。

「はい。時間をかけてじっくりとこのチームに馴染み、どっしり構えて、いい時も悪い時も堂々としているのが鹿島のセンターバックだなと思っています。最近、篤人さんに『源がそこにいるだけで、チームの力になる。相手に圧をかけられる』と言ってもらえました。(三竿)健斗からも、『いてくれるだけで、安心できる』とも。うれしかったですね」

――鹿島のディフェンダーの魂とは?

「最初はなんかピンとこなかったし、今も簡単に言葉で説明するのは難しい。でも、声を出すとか、最後の苦しいときに一番身体を張っているとか。そういうところなんだと感じています。控えにいる選手のなかには、『源くんよりも俺のほうがいいのに』と思う選手もいるかもしれない。でも僕が得た信頼は、僕が築いてきたものだから。実績を積むことで存在感や信頼感が増し、初めて、”鹿島のセンターバック”なんだと思います」