森薗美月×前田美優 対談(前編)

 Tリーグが開幕した。男子女子ともに各チーム、力のある選手が集まり、チームメンバーや対戦カードに注目が集まり、盛り上がりの機運が高まりつつある。

 試合で一番興味を引くのは対戦カードそのものだが、戦う選手の背景にあるものを理解しておくとより試合を楽しく見られるようになる。

 木下アビエル神奈川の森薗美月と日本生命レッドエルフの前田美優は、ともに1996年生まれの22歳。親友ともいえる仲だが、小学校時代から競い合い、中高では舞台を全国に移し、社会人になり、世界を相手にするようになってもライバル関係は変わらない。右シェークフォア裏裏ドライブ型で、自由人で行動派の森薗。左シェーク裏表前陣速攻型で、堅実派の前田とスタイルも性格も異なる。

 そんなふたりが、Tリーグで10月28日、チームとして激突する。森薗は従妹の美咲、政崇の卓球を楽しむ姿を見て、7歳の時に卓球を本格的に始めた。前田は兄弟が卓球をしており、一時はラケットを拒絶したが5歳の時に本格的にスタート。ともに父親がコーチで、しかもスパルタ式の指導で育ち、四国内(森薗=愛媛、前田=香川)で火花を散らした。



小学生の時からライバルとして切磋琢磨してきた森薗美月(写真左)と前田美優

―― ふたりがお互いを意識したのはいつごろですか。

森園美月(以下、森薗) 美優が意識していたかどうかは分からないですが、私が意識し始めたのは小1の時に香川で合宿があって、そこで試合したんですよ。その時、めっちゃ強いのがいるやんって思った。覚えている?

前田美優(以下、前田) 試合やったのは覚えてるけど、どっちが勝ったとか覚えていない。

森薗 3-1で私の勝ち(笑)。試合後、お互いのお父さんが登場してきたけど、試合中おらんでよかったなぁーという話をした。

前田 そうなん!? それは覚えてない。あの頃のことは黒歴史なんで、あまり思い出したくないけど、お父さんに『愛媛に強い子がおる』って言われた。試合やって、確かに強い選手やなって思ったし、お父さんにも『これからお前のライバルになっていく選手やぞ!』って言われた。その翌年、小2の全国のベスト16で美月と当たって『負けたらどうなるのかわかってるだろうな』と言われて、泣きそうになりながら必死に白いボールを追っていたのは覚えている。

森薗 もう泣いてたし(笑)。

前田 ははは(笑)。

森薗 小2と小3と連続で全国のベスト16で私が負けたんだけど、小3の時はフルセットだった。最後、美優が泣き始めて1点取るごとにタオルで涙を拭いてやっていたよね。

前田 5セットマッチなのに1時間10分とかかかって、もうありえない。生きた心地がしない地獄のような試合だった。とにかく、うちのお父さんは厳し過ぎて、ベンチで何が飛んでくるのかわからないので、1m離れて話を聞いてた。

森薗 半径1mルールあったよね。隣から美優のお父さんの怒鳴り声が聞こえてくるとフェンスとかも飛んできた。美優のお父さんがアツくなると、ウチのお父さんもヒートアップしてくるんで、「やめてくれ」って、いつも思っていた(笑)。

前田 美月のお父さんも怖いけど、ウチとちょっと種類が違うよね。ウチのお父さんは『何しとんじゃー!』って会場でもどこでも怒鳴り散らすけど、美月のお父さんは声が低くて試合中も『大丈夫だよ』とか言っているんでそれほど怖くないなぁって思っていたけど、目がほんと怖かった。

森薗 目の色が変わる。

前田 緑色になっていた(笑)。

森薗 ちなみに、その試合は終わってからが地獄。無言で朝まで練習。

前田 負けた時の反応はまったく同じだよね。私は四国内では美月に負けたことあったけど、全国ではホープス(小学生6年生以下の大会)まで負けたことがなかった。でも、カデット(中学2年生以下の大会)の決勝で初めて美月に負けて、帰りは大会場所の宮崎から香川まで死ぬんじゃないかっていうぐらい怒鳴られて、家でも『どういうことや』ってビデオを見せられて怒られた。次の日の練習は過呼吸になるぐらいやらされたけど、過呼吸にならず、丈夫な自分の体を恨んだよ。

森薗 あはは(笑)。体が丈夫だよね、お互いに。風邪はよく引くのにね。

前田 そう。でも、なんかなつかしいね。お互いだけじゃなく、お父さんもライバル視していたんで、ベンチでもバチバチしてたもんね。

森薗 ほんと怖かったなぁ。”お父さん怖いから一緒に頑張ろうね”ってよくメールで励まし合っていたよね。



前田美優(まえだ・みゆ)1996年6月18日、香川県生まれ。5歳の時、兄弟の影響で卓球を始める。小学校時代は05年、06年全日本卓球選手権カブ(小4以下)の部で2年連続優勝。07年はホープス(小6以下)で優勝。09年、10年とカデット(13歳以下)、全国中学校大会シングルスで2年連続優勝。12年はインターハイ女子シングルスで優勝。14年インターハイ女子シングルス優勝、世界ジュニア卓球選手権団体で準優勝。14年日本生命に加入し、18年Tリーグの日本生命レッドエルフに加入。同じ左利きの石川佳純を尊敬している。

 お互いをライバルと認識しつつ、父親の指導が非常に厳しいということで意気投合し、ふたりは仲良くなった。しかし、仲がいい分、ケンカを始めるとお互いに負けず嫌いで気が強いのでバチバチとやりあい、周囲を巻き込んでしまうこともあったという。

前田 小さい頃は、「同じチームでダブルス組もうね」って言ったけど、それがかなうことなく、ここまで来た感じだよね。

森薗 でも、1回やったよね。

前田 ジュニアサーキットのスウェーデン大会だっけ。

森薗 13歳の時、仲悪かったよね。

前田 ケンカしていて、1回戦ですぐに負けた。

森薗 一言もしゃべらずに終わったもんね。ふたり部屋だったけど、全然話をしなくて、美優は無言で先輩の部屋とかに行って、「あれ、行っちゃった」って感じ。小学校の時もケンカしたけど、中学の時は過度なライバル意識があって、もう”敵”って感じだったよね。

前田 中学生になってジュニアサーキットに出るようになって、その枠を得るための争いがあったからね。同年齢なのですごく比べられて、私は絶対にサーキットに出たいと思っていたので、ライバルの美月にピリピリしていた。

森薗 ちょっとやり過ぎたかなぁ(苦笑)。周囲の人にみんなを巻き込むなとか言われたもん。でも高校になると、バチバチがなくなったよね。美優はずっと決勝とかに行っていて卓球に集中していたけど、私は卓球以外にも悩みが多い時期で……。その頃には他にもいろいろいい選手が出てきて、年齢も重ねて世界が広がってきたので、前のようなケンカ腰のライバル視はなくなってきた。

前田 高校生になると1年の時は2、3年の先輩がいるし、インターハイでもいろんな選手と対戦して、全日本に行くともっと上の選手がいたし、ワールドツアーに行けば世界の選手がいる。この頃は試合をする人、全員がライバルになったので小学生の時のようにずっと美月だけがライバルというのは薄れてきたかな。なんか、大人になったよね。



森薗美月(もりぞの・みづき)1996年4月9日、愛媛県生まれ。7歳の時、従妹の美咲、政崇の影響で卓球を始める。小6の時、JOCジュニアオリンピックカップ女子カデットの部(中1以下)で前田美優を破って優勝。中2の全中大会では決勝で前田に敗れて準優勝。四天王寺高校入学後、アキレス腱部分断裂などで苦しんだがインターハイで団体優勝、女子ダブルスで準優勝して復活。2014年サンリツに入社後、16年全日本社会人選手権で女子シングルス優勝。18年、Tリーグの木下アビエルに加入。趣味は山登り、DIYなど。

―― お互いのこと、どう思っていますか?

森薗 美優は乙女になりたい乙女。で、前髪が命(笑)。私は、どちらかというと自分、自分という感じだけど、美優はけっこう周囲を見て気を遣える。チームのなかの誰かがひとりでいるとそっちに行ったり、回りがすごく見えているんですよ。

前田 もう、いいこと言ってくれるよねー。ははは(笑)。

森薗 私にもちょうだい(笑)。

前田 美月は、すごい素直。私は自分のことを表現できなくて悩んだ時期もあったんですけど、美月はストレートに何でも言ってくれる。そのことで自分がそういう風に見えているんだと気づかされたりしたしね。とにかく小さい頃からずっと一緒なんで、私生活での悩み、上下関係、卓球のことも話しやすいし、美月がいてくれてよかったと思います。

森薗 私は『打倒!前田美優』って張り紙、ずっと部屋に貼っていたからね。卓球をスタートしたのが遅かった(7歳)ので、四国でやっている美優が一番近い存在で、美優は私よりもずっと上にいた。美優を必死に追いかけたから今までやってこれたし、すごく引っ張ってもらったなと感謝している。

前田 私たちの年代ってすごく強い選手が多かった。美月もそうだし、(森)さくら、安藤(みなみ)も小さい時から強くて、そういう選手がいてくれたので自分も強くなれたのは確かにあるよね。

森薗 そうだね。でも、もう初めて話をしてから15年だよ。すごくない?

前田 まさか、お互いがTリーグという同じ舞台で戦えるとは思っていなかったので、うれしい。

森薗 うれしいけど、絶対に負けたくない(笑)。

 森薗、前田のふたりは、これから始まるTリーグでの戦いをどうとらえているのだろうか。

(つづく)