コーチが語る小平奈緒の急成長(2)

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 小平奈緒(相澤病院)の2017-2018年シーズンの充実ぶりは、「1000mが強くなったこと」に要因があると結城匡啓(ゆうき・まさひろ)コーチは語る。



平昌五輪の500mでは絶対的な強さで金メダルを獲得した小平奈緒

「みんなには笑われたんですけど、僕は小平の身体能力の適性は1000mだとずっと言っていたんです。それまで清水宏保とか、500mでバンクーバー五輪に出た新谷志保美を見てきましたが、彼らのような瞬間的にカーンというのはないのですが、徐々に加速していく感覚があるんです。1000mで世界記録を出したということは、1000mに適性があるという考えは間違ってなかったと思います」

 小平はこれまで陸上競技に学びに行ったり、古武術を経験したり、新しいトレーニングを取り入れている。

「最初にスケートの課題がないと、新しい発見は生まれません。スケートでこういう風にしていきたいと悩んでいるときに他競技の体の使い方を見ると、一瞬で閃くんです」

「そこから、500mバージョンや1000mバージョン、1500mバージョンの練習方法やメニューができる」と言い、また、さまざまな距離を練習しておくことでメリットが生まれると結城は語る。

「1000mで力が保てるようになると、確実にストロークが安定するので、500mの100m以降の滑りも安定します。それに加えて五輪での戦いを考えたとき、今回のイ・サンファ(韓国)のように1000mをスキップして500mにかけるという考えもありますが、もし先に行なわれる1000mで金を獲れることができれば、500mはかなり楽なメンタリティで臨めると想像できます。

 仮に負けて銀や銅でも、その悔しさをうまくコントロールすればプラスになるなというのがありました。複数種目メダルを狙えるようになれば、五輪で戦うえでもかなり有利になると思いました」

 結城は、小平が1000m1分12秒09の世界記録を樹立した、昨年12月のW杯ソルトレーク大会が、五輪シーズンで最もメンタルを試された時ではなかったかと振り返る。これだけ好調なシーズンはもうないかもしれないと思うほどの状態で、カルガリー、ソルトレークシティという高速リンクでの連戦は、彼女が世界記録を出す唯一の機会でもあった。

「正直、横から見ていて五輪シーズンの小平が唯一『硬くなっている』と感じたのは、あのシリーズでした。カルガリーの初戦だった1000mでは転倒してしまい、翌日の500mも影響が出ました。

 次のソルトレークシティは天候がよく、気圧が高くなったことで、記録が出にくい条件でした。結果、500mは高速リンクながらタイムは納得のいかないものになりました。その時点で最終日の1000mしか残っていなかったので、『世界記録更新を逃した』という雰囲気でした。

 でもそこから彼女の底力が発揮されたと思います。あの1000mは実際、小平にとっては五輪の500mよりプレッシャーがあったと思います。そのシーズンに世界記録を出すラストチャンスだったし、あの時は本当に彼女だけが見えない敵と戦っているような感じでした。そこでしっかり目標を達成できたのは、本当に大きな自信になったと思います」

 小平は直後の平昌五輪で、開会式2日前に現地で行なわれるタイムトライアルで、いきなり37秒05の好タイムを出した。これはW杯第2戦のノルウェー・スタバンゲル大会で出していた37秒07の低地世界最高を上回る記録だった。しかし、結城はそこでもまだ不安を感じていたという。

「実は内容的には半信半疑というか、腰の動きが非常に悪くてもう赤に近い黄色信号だったんです。現地入りしてから右足首に痛みが出てきていたというのもあって、あのタイムトライアルでは右足が2歩くらいスポンと抜けていたんです」

 そんな状況だったこともあり、出場種目についても迷いはあった。最初の種目だった1500mは、レース前日まで出場させるかどうか決めかねていたという。

「彼女に『最後にもう一度確認するけど、1500mに出るか?』と聞くと、小平は『1500mに出ない五輪は私にはない』と即答したんです。そのつもりで練習をしてきているということでした」

 実際に小平は1500mでもいい滑りだったが、結果は6位。続く1000mも2位だった。

「1000mも見ている人は残念そうな顔をしていましたが、僕はベストレースをしたと思っているんです。有利なインスタートだったヨリン・テルモルス(オランダ)と髙木美帆が先に1分13秒56と1分13秒98を出したあとに、小平がちゃんとその間に割って入ったというのは、すごいこと。

 ただ、本人としても周りの流れとしても、そのシーズンは1000mでは転倒した以外負けていないので金メダルがチラついていたと思うし、銀で悔しいという感じが少しありました。それが500mで力みにつながらないといいなと思ったので、小平には500mまでの3日間をどう過ごすか、3種類のパターンを示したんです。結局、いつもと同じでとくに新しいことをしないで、調整パターンを変えないというところに行き着きました」

 小平は1000mを終えたあと、1500mの滑りが体に染みついてしまっていたと振り返っていた。

 そんなこともあり、いつもと同じように男子の山中大地(電算)と練習をさせようと、レース前日にはあえて女子500mの練習時間には滑らず、男子も滑れる時間にずらして練習をさせた。

 これまでは、公式練習は翌日滑る種目の選手だけだったが、幸運なことに女子500mの公式練習のあとに他の選手も滑る時間枠ができたのだ。そこでスタート練習をやった時、100mまで全力で行く山中に対して70mまでにした小平は、50mくらいまで食らいついていた。ここで小平はいつもの滑りを取り戻した。

「五輪では、プレッシャーというより、『どう滑るか』『どう攻略するか』ということに集中できていたと思います。でも私の方はリスクマネージメントから入るので、スタートのタイミングだったり相手だったりコースだったり……、それはもういっぱい考えていました。

 500mに関してもスターターが韓国人というのはわかっていたし、過去にイ・サンファと同走だった時に『レディー』からの間隔がすごく短かったことも経験していた。どんなに強くても失格になったら勝てないので、『鳴ってから出なさい』と言ったし、『その時に自分の軸をブラさないで、ちゃんと自分のポジションからいけ』とも言いました。

 でもレースの時は実際、体がグッと前にいきそうになってちょっと戻したタイミングで鳴ったので、スタートは100分の4秒くらいは遅れています。

 500mのレースの日は、韓国にいた20日間で気圧が一番高く、『今日はタイムが出ないだろう』と予想したとおり、前半の選手はみんな伸び悩んでタイムを出せなかったですが、その中で36秒94を出したというのは本当に強かったと思うし、内容的にも本当にいいレースをしたと思います」

 オランダからの帰国後2年間は順調なようだが、不安になったことはいっぱいあったと結城は苦笑する。17年1月にはシーズン中にもかかわらずブレードを変えると決断した時や、五輪シーズン初戦の日本距離別選手権の1000mでゴール直前に転倒した時、「1000mは伸びてきているはずなのにどうしてかな?」と考えることもあった。

「でも、お先真っ暗という不安はなかったと思いますね。小平自身も常に課題が見つかったことを次へのモチベーションにしていたから、外から見れば余裕を持っているように見えたかもしれません。でもやっている方は必死。今でもそうですけど、見通しは立っていても心配するのが僕の役割なので。そんなに余裕を持ってやっていなかったけど、小平自身は割と安閑としていたかもしれませんね。そういう心の持ち方が、ソチ五輪の時とはまったく違っていたと思います」

(つづく)