写真は“ノーパン”を貫く水谷隼(Tリーグ・木下マイスター東京)2016年リオ五輪。日本卓球界にとって、大きな転換点となった大会であることは疑いない。特に、水谷隼(Tリーグ・木下マイスター東京)が男子シングルスにおいて、銅メダルを獲得したこと…

写真は“ノーパン”を貫く水谷隼(Tリーグ・木下マイスター東京)

2016年リオ五輪。日本卓球界にとって、大きな転換点となった大会であることは疑いない。特に、水谷隼(Tリーグ・木下マイスター東京)が男子シングルスにおいて、銅メダルを獲得したことは、多くの人々の記憶に残っていることだろう。

水谷は銅メダル獲得後、メディアへの露出が増え、バラエティへの出演機会も数多くあったが、その中で、「僕実はプレー中ノーパンなんですよ。」と発言したことが、卓球界のみならず、お茶の間を震撼させたことは記憶に新しい。水谷がリオ五輪男子シングルス3位決定戦で、過去に世界ランキング1位の栄冠に輝いた経歴を持つサムソノフとの戦いを制したその瞬間、喜びを爆発させ、床に倒れこんだあの瞬間、振り返ってみればひやりとした瞬間だったのかもしれない。

しかし、一体誰が、こんなヒヤヒヤする慣習を始めたのか、我々は気になった。

20代より下の選手はノーパンではない人が多い

そこで、我々は水谷氏に直接会った際に失礼を承知で聞いてみた。水谷氏はためらう様子もなく「ノーパンですね。今でも。」と回答した。やはり本当であった。驚きは隠せないが、次の質問へ恐る恐る一体なぜノーパンを始めたのか聞いてみると「青森山田中高の伝統ですね。僕より上の代の方は結構ノーパンの方が多かったです。せっかくだしノーパンの祖を調べてみてくださいよ(笑)」と逆に依頼をされる形となった。




水谷隼選手 写真:ラリーズ編集部

では若い選手はノーパンでないのだろうか。早速、20代の選手である木下マイスター東京の田添健汰・響兄弟に聞いてみたが、「俺はやってないっすね(笑)、周りもやってない人がほとんどですよ。」と半笑いで返されてしまった、やはり、今の20代の選手はノーパンではないようだ。




田添健汰選手 写真:ラリーズ編集部

ノーパンの祖は名将・吉田安夫元監督か

しかしここでは終われない。我々はそのノーパンの祖を突き止めるべく、ベテランを代表して、平成14年全日本選手権大会男子ダブルス準優勝、現在はバタフライ・アドバイザリースタッフや中央大学女子卓球部監督を務める矢島淑雄氏にその真相を聞くことに成功した。




小中学生向け講習会にて講演をする矢島氏 写真:ラリーズ編集部

矢島氏は快く取材に応じてくださった。(なんとありがたい…)そして、早速矢島氏に「ノーパンですか?」と失礼を承知で尋ねると、「ノーパンでプレーしてましたよ!」と回答した。そして、矢島氏曰くノーパンが始まったのは青森山田高校の元監督である吉田安夫氏がその由来の可能性が高い、とのことだ。

吉田氏は水谷隼や丹羽孝希を輩出した青森山田高の元監督であることが有名だが、青森山田高に来る前に埼玉県立熊谷商業高等学校、埼玉工業大学深谷高等学校と埼玉県の高校の監督を歴任しており、矢島氏は埼玉県立熊谷商業高等学校時代に吉田氏の指導を受けていた。実は、その頃からノーパンの文化があったようだ。

これには理由がある。埼玉県熊谷市、というと日本有数の猛暑地帯である。そこで吉田氏の鬼のような指導を受けていた生徒たちは暑さに耐えきれず、快適さを求めてノーパンになった。ということだ。そしてノーパンでプレーをし、インターハイでも幾度も優勝を飾ったことにより、これが一種の願掛けに近いものになったのだ。以降、これが名門・青森山田高に伝わり、「あの青森山田がやってるなら」と、全国の卓球選手たちに一種の伝統や願掛けとして、広がりを見せることになったのだ。

あくまでこれは一説であり、ノーパンの祖については諸説あるとされている。もし有力である説をお持ちの方は、ぜひラリーズ編集部までお送りいただきたい。これからもラリーズは、卓球界にまつわる説や謎を解き明かしていく。

取材協力:矢島淑雄氏(中央大学女子卓球部監督)
取材・写真・文:ラリーズ編集部