秋も深まり、いよいよドラフトのシーズンがやってきた。ドラフトといえば、ひと昔前までは「PL学園」の名を見ないことは…
秋も深まり、いよいよドラフトのシーズンがやってきた。ドラフトといえば、ひと昔前までは「PL学園」の名を見ないことはなかった。
しかし、高校球界の栄枯盛衰はめまぐるしい。かつて大阪の高校球界を席巻したPLは、2年前の夏の大会をもって、その栄光の歴史にピリオドを打った。その大阪では、大阪桐蔭と履正社の2強時代に入り、プロ野球界でも大阪桐蔭出身者が”最大勢力”になりつつある。
日米通算2705安打の松井稼頭央(西武)が引退を決めた今、PL出身のプロ野球選手は、NPBの福留孝介(阪神)、今江敏晃(楽天)、小窪哲也(広島)、緒方凌介(阪神)、吉川大幾(巨人)、MLBの前田健太(ドジャース)の6人となった。
もはや絶滅寸前となりつつあるPL出身者。今年のドラフトでは東洋大の主将・中川圭太が「PL最後のドラフト候補」として指名されるかどうかに注目が集まっているが、じつはもうひとりPL出身のドラフト候補がいることをご存知だろうか。
その選手とは、四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズでプレーする岡本仁(ひとし)である。

PL時代は4番を任されていた岡本仁
来年25歳になる岡本がPLの門を叩いたのは、2009年春のことだった。この年、PLは春夏連続して甲子園に出場。1年の岡本はスタンドで応援しながら、「いずれは自分もこの舞台に立てる」と信じて疑わなかった。しかし現実は厳しかった。
翌年、2年生となった岡本はベンチ入りを果たすが、その夏、PLの前に立ちはだかったのが履正社だった。この年のPLは、前チームから主力としてプレーしていた吉川、勧野甲輝(元楽天)を擁し、優勝候補に挙げられていたが、4回戦で履正社に7対8で敗れてしまう。
ちなみに、履正社の「3番・ショート」として活躍していたのが山田哲人(ヤクルト)であり、岡本と同じ捕手のポジションには坂本誠志郎(阪神)が座っていた。
3年になると4番打者としてチームを引っ張った岡本だったが、最後の夏は準々決勝で東海大仰星に10対14で敗れ、結局、一度も甲子園の土を踏むことなく高校生活を終えた。
岡本がPLに進んだ最大の理由は、清原和博への憧れからだった。平成6年生まれの岡本が高校時代の清原を知っているはずもないのだが、清原ファンだった父が何度もビデオを見せてくれたという。
「野球をやるなら、あんなバッターになれ」
父の教えは、岡本に未来予想図を描かせた。小学5年の時には、PL学園に進むと決意。中学に上がる頃には、地元では敵なしのスラッガーとなっていた。
そして複数あった名門校の誘いには目もくれず、迷うことなくPLへと進んだ。厳しいタテ関係の寮生活については聞き及んでいたが、岡本の想像をはるかに超えるものだった。それでも「自分を成長させてくれるため」と前向きにとらえた。その思いは今も変わっていない。
「覚悟の上で入ったので……。親からも『覚悟していけ』と言われていましたし、中学でお世話になったボーイズリーグの監督からも『しっかり指導してもらってこい』と。実際、思っていた以上のことは結構あったんですけど、すごく勉強になりました。世の中どこも理不尽なことが多いですけど、これから生きていく上でそういうことが日常にあるとしても、PLでの経験があれば、メンタルがそう狂うこともないと思います」
岡本にとって”プロ”が現実の目標となったのは、2年の秋だった。1学年上の吉川と勧野がドラフトで指名されたのを見て、「よし自分も」と気持ちを固めた。
しかし最上級生となり、名門の4番を張ったものの自らの現在地を悟った岡本はプロ志望届を出すことなく、大学進学の道を選んだ。
「やっぱり、そう簡単に行ける場所ではないなって。監督からも『まずは大学に行きなさい』と言われましたし……」
立正大学に進んだ岡本だったが、ここで肩を痛めてしまう。打力を生かすべくサードへのコンバートも模索されたが、結局、プロへアピールするはずだった4年間は不本意なものとなってしまった。
気がつけば、大学卒業後の進路を考える時期になったが、岡本に野球を辞めるという選択肢はなかった。
「社会人野球に進みたかったんですけど、3、4年は試合に出ていなかったので……。社会人に進む選手は大体3年の終わりには決まっていますから。それで3年の途中ぐらいから独立リーグに入って、プロを目指そうと思っていました」
2016年春、岡本は四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに入団した。ここで2シーズンを送ったあと、今シーズンはPLの先輩でもある西田真二氏が監督を務める香川オリーブガイナーズに移籍。
ドラフトで声がかかるのを待っているが、独立リーグでもポジションを確固たるものにしていない現状では、それも厳しいことは自覚している。
ドラフトでPL出身者が指名されたのは、2012年に岡本の3学年上の東洋大学の外野手、緒方凌介が阪神から6位指名されたのが最後である。
現在、アマチュア球界でプレーしているPL出身の選手が指名されなければ、数年後にはプロ球界からPL学園の灯が消えてしまうことになる。それだけは、断じて避けねばという思いで、岡本はNPBを目指してプレーしている。
「僕の下の代にも大学や社会人野球に進んで、注目されている選手も多いですから。そのなかからドラフト指名者が出てほしいという期待もあります。チーム事情もありますので、いつまで挑戦できるかはわかりませんけど、野球をやっている以上は、僕もPL出身者としてプロに進みたいと思っています。そういう気持ちを持ち続けて今もプレーしています」
そういう岡本は、憧れの清原がもっとも輝いていた西武時代の背番号3を背負ってプレーしている。