【連載】道具作りで球児を支える男たち ワールドウィング「このオフは鳥取にあるトレーニング施設に訪問し、飛躍のきっかけ…
【連載】道具作りで球児を支える男たち ワールドウィング
「このオフは鳥取にあるトレーニング施設に訪問し、飛躍のきっかけを掴むつもりだ」
毎年、プロ野球のシーズンオフに差し掛かると各スポーツ紙に踊る文面のひとつだ。この「鳥取にあるトレーニング施設」とは、鳥取県鳥取市にある「トレーニング研究施設ワールドウィング」を指す。
イチローをはじめ、多くのプロ野球選手が使用するワールドウィングのスパイク
photo by Getty Images
ワールドウィング最大の特徴が、選手や利用者から「小山先生」の愛称で親しまれる、小山裕史(こやま・やすし)代表が考案した「初動負荷理論 ®」に基づいた専用のカム・マシントレーニングを実施していることだ。
プロ野球選手も足繁く通うトレーニング施設。当然、館内には”アスリート”然とした人々がひしめいている……、と思いきや、実際の風景は少々異なる。
「オフシーズンには、地元のご年配の方々とプロ野球選手が同じマシンを使う、なんてことも珍しくないですよ」
担当スタッフがこう語るように、幅広い年齢層の利用者がトレーニングに励む。とりわけ午前中などの早い時間帯には熱心にマシントレーニングに取り組む高齢者の姿が多く見受けられる。この光景にこそ、ワールドウィングが掲げるトレーニング理論の”神髄”が現れている。
多くのトレーニング理論において、「アスリートのパフォーマンス向上」に必要なトレーニングと、「健康増進」を目的とした運動は、ほぼ別物として扱われている。アスリートには高強度のウェイトトレーニングなどが必要だと思われているからだ。
万人に適合するトレーニングは存在しない――。
スポーツ界に根付いていたこの定説を覆したのが、初動負荷理論に基づいた「初動負荷トレーニング®」だ。
通常、人間が運動動作に転じるときには、重力の影響もあり、関節と筋肉が「緊張状態」になりやすい。しかし初動負荷トレーニングでは、専用のマシンを用いることで、動作開始時に筋肉が緩んだ状態を作り出す。そこから、適切な負荷を筋肉に与えながら運動動作を繰り返すことで、緊張を伴わない身体活動を身につけることができる。
本人の意識とは無関係に、何局面も先の筋肉の活動を予測した脳が身体の活動指令を送ることを「脳の先行指令(作動)」と呼ぶ。「脳~神経~筋肉」の伝達とその機能を促進することで、スポーツ選手は”しなやか”と評されるフォームや動きを手に入れることが可能となる。
同時に、「手足の麻痺等の症状の改善にも効果がある」という研究結果も発表されているように、高齢者などのリハビリにも効果的だ。従来のトレーニングでは、筋緊張・機能障害を受けた筋肉には脳の先行指令が届かず、途中でブロックされるという(これが改善が遅れる原因)。このことから、先述のように、幅広い年齢層の利用者たちが施設を訪れている。
この初動負荷理論に基づいて開発された「ビモロシューズ」と呼ばれるシューズがある。シューズに冠された「ビモロ( BeMoLo®)」は、初動負荷理論の英字表記である「Beginning Movement Load Theory」に由来している。

選手からは「小山先生」の愛称で親しまれる小山裕史代表
photo by Inoue Kota
一見すると通常のランニングシューズと同様に見えるが、ソール(靴底)に最大の秘密が隠されている。
「ビモロバー」と名付けられた3本のバーがソールに配置され、歩行や走り込みの際に関節が正しい動きをするように誘導する。そうすることで、足裏が着地したときの衝撃を、加速の”推進力”に変換することができる。体が固い使用者が、履いた瞬間に前屈ができるようになり、衝撃を受けることも少なくない。
ビモロシューズを履いての歩行や、軽いランニングを行なうことでも、脚の関節と筋肉の緊張を解消することが可能となり、「最小の初動負荷カムマシン」とも呼べるような一品に仕上がっている。発売後は、様々な競技の選手たちが練習やウォーミングアップで着用するなど、大きな反響を呼ぶ商品となった。
このビモロシューズの機能性を野球へと還元した「ビモロスパイク」という野球用のスパイクシューズも存在する。2015年、マーリンズへと移籍したイチローが公式戦で使用し、「イチローの足元を支える秘密兵器」として各メディアで紹介されたスパイクだ。
ソールに3本のビモロバーが搭載されている点はシューズと共通で、そのバーを中心に計13本の金具が配置されている。他社のスパイクとの大きな違いは、アーチ(土踏まず)の部分に金具が配置されていることと、親指部分の金具を最小限にしている点だ。この理由を小山氏が語る。
「親指は基本的に”ブレーキ”の役割を果たすものです。その親指に金具をたくさん付けてしまうと、体重移動や回転動作の妨げになってしまいます。ピッチャーが足を上げる際に、『親指、拇指球(ぼしきゅう)で立つ』のが正解と言われることが多くありますが、実際に親指に体重を乗せてしまうと、(投球時の体の開きを誘発する)”足首の折れ”に繋がってしまいます」
考え抜かれた金具の配置で、
「骨盤が立った」状態を無理なく作り出し、投打のパフォーマンス向上に繋げる。ビモロバーが生み出す推進力で走塁のスピードアップ、守備範囲の拡大も見込める。そんなビモロスパイクが初めて公の場に登場したのが、2013年。長年、オフのトレーニングでワールドウィングを訪れていた山本昌氏(元中日)が試合で使用したのだ。当時を小山氏が振り返る。
「それまでにも『野球用スパイクを作ろう』という構想がありましたし、ビモロシューズを愛用してくれていた各選手や現場からも要望は挙がっていました。けれども、製作が難航してしまって(苦笑)。何とかしなくちゃなあ、と思っていたときに昌くんが故障(2011年春季キャンプ中)。ここで『早くシーズンで投げられるようにしなければ』と開発のペースを上げて、完成にこぎ着けたのがビモロスパイクでした」

「ビモロバー」を中心に配置された計13本の金具 photo by Inoue Kota
2011年の春季キャンプで、山本氏は右足首を脱臼。腱固定手術を受けたが、当時45歳のベテラン左腕の故障は「再起不能」と言われた。積み上げてきた連続登板、勝ち星などの記録は一度途絶えることになったが、初動負荷トレーニングを含めた懸命なリハビリと調整を経て、2012年には球団最多となる通算212勝を挙げた。2012年オフからビモロスパイクを着用し、脚の心配がまったくなくなった。そして、2015年まで現役を続けた。
こうして誕生したビモロスパイクだったが、一般販売を開始し、多くのユーザーに流通するまでの過程も一筋縄ではなかったという。
「これまでは多くの選手の足にスパイクがフィットするのではなく、選手がスパイクに”合わせている”。この現状を打ち破るためには、サイズを細分化して金型を用意する必要があるんですが、こちらが求めるサイズ展開、クオリティでスパイクを製造してくれる職人や工場に出会うまでが大変でした。しかも、製作費は莫大。幸いに腕のいい靴職人さんに巡り合うことができて、数は限られますが、一般向けにも製造できるようになりました」
2014年から一般流通を開始し、小山氏がトレーニング指導を担当する関係校を中心に販売を行なった。現在は白×紺、白×赤のカラータイプも販売されているが、当時は「高校球児の使用を考慮して」黒一色のみの展開としていた。こうして、少数ながらも販売が開始されたことが、イチローとビモロスパイクを繋げる”きっかけ”となる。
先述の通り、2015年のシーズンから、イチローはビモロスパイクを公式戦で使用している。毎オフには鳥取に足を運び、小山氏の指導の下で初動負荷トレーニングに励み、自宅や球場にも自費で購入したマシンを設置し、愛用している。こうした小山氏、初動負荷理論との深い繋がりから、ビモロスパイクの使用に至った……。こう捉えられがちだが、小山氏が「イチローくんがビモロスパイクを使うなんて思いもしなかった」と振り返るように、実状は少々異なる。
「2014年からビモロスパイクの販売を開始しましたが、数もそう多くなかったので、馴染みのある学校や、オフにトレーニングに来ていて、『黒でもかまわないので、練習で使いたい』というプロ選手を中心に使ってもらっていました。イチローくんには長年契約しているスパイクのメーカーもありましたし、特にビモロスパイクの話をしたことはなかったんです。でも、そんなときに彼から『ビモロスパイク、いいですね』と電話があって。『何で知ってるの?』と驚きました」
毎年シーズンオフには、神戸で自主トレを行なうイチロー。その練習パートナーとして携わる藤本博史氏(元オリックス)がビモロスパイクを自費で購入し、練習で着用していたのだ。長年の練習相手が見せる、例年とは違う動きに「藤本、いつもと動きが違うね」と興味を示した。
藤本氏から借りたビモロスパイクを着用し、ダッシュを行なうと「急にどこかから追い風が吹いた」と形容するほどの推進力に驚きを隠せなかったという。続けて、来シーズンを見据えて用意していた各社のサンプルに順次履き替えてのフリー打撃を行なったが、外野で打球を処理した藤本氏が明確に判別できるほど、ビモロスパイク着用時の打球は鋭く、高く舞い上がった。
「藤本くんから借りたビモロスパイクを使った後に、私に連絡をくれた。藤本くんが自主的に購入していたことにも驚いただけでなく、イチローくんは基本的に他の選手から道具を借りることはありませんので、二重の意味でびっくりしましたね」
この一件がきっかけとなり、「公式戦でビモロスパイクを使いたい」と打診を受ける。そこから、急ピッチでイチロー専用の金型の作成をスタートさせた。専用スパイクが完成したのは、2015年1月29日に行なわれた、マーリンズ入団会見の数日前。完成までの練習は、市販品のソールに手を加えた特殊なものを使用していた。このエピソードからも”急転直下”の契約だったことが覗える。
イチローの使用による影響は絶大だった。先述の通り、「イチローの足元を支える秘密兵器」として各方面に認知され、各球界で見かけることが珍しくなくなった。プロ球界では、岩瀬仁紀、山井大介(中日)、鳥谷敬(阪神)、内川聖一、上林誠知(ソフトバンク)、山口俊(巨人)らが今シーズンの公式戦で着用している。メーカー契約の関係で公式戦では使用できないが、「練習だけでも使いたい」と話す選手も多くいるという。
100回大会を迎えた夏の甲子園でも、ビモロスパイクを着用し、試合後は専用のスパイクケースに「甲子園の土」を詰め込む球児の姿があった。また、各チーム全体のカラーオーダーもあるが「選手がビモロスパイクを自由に使えるように」とチームスパイクの統一カラーを、販売中の「白×紺」に変更した強豪大学も存在する。
「パフォーマンスアップのために、是が非でも使いたい」。多くの選手に支持され、球界で広まり続けているビモロスパイクについて、小山氏は笑顔で言う。
「昔から『広める』という言葉は、あまり好きではないんです。『いい物は自然と広まっていく』。こう信じています。スパイクは、走攻守全てのプレーに関わる唯一の野球道具。そのスパイクが『道具を越えた”武器”と呼べる存在になってほしい』と製作したのが、ビモロスパイクです。ビモロスパイクと出会い、ひとりでも多くの選手がいいパフォーマンスを試合で見せてくれることはもちろん、故障のない野球人生を送ってくれたら最高ですね」
■小山裕史(こやま・やすし)
博士(人間科学)(早稲田大学)
高崎健康福祉大学 保健医療学部理学療法学科 教授
鳥取大学客員教授(医学部)歴任
1994年に初動負荷理論を発表。動作改善、故障改善などで多くのプロスポーツ選手、オリンピック選手の指導に従事。