偽らざる思いが脳裏を駆け巡った。ガンバ大阪の強化部を介して、リオデジャネイロ五輪へ臨む日本代表のオーバーエイジ候補に入っ…

偽らざる思いが脳裏を駆け巡った。ガンバ大阪の強化部を介して、リオデジャネイロ五輪へ臨む日本代表のオーバーエイジ候補に入ったことを日本サッカー協会から告げられたとき、藤春廣輝の心に浮かんだ二文字は「喜び」ではなく「不安」だった。

「一人でボランチやセンターバック、右サイドバックもできるという選手がおったんで、最初に話をいただいたときは『左サイドバックしかできひんけど、大丈夫かな』と思ったんですよ」

一人で3つのポジションを務められる選手として、塩谷司(サンフレッチェ広島)が同じオーバーエイジ枠として候補に挙げられていた。23歳以下の選手では、キャプテンの遠藤航(浦和レッズ)も守備のオールラウンダーとして3つのポジションでプレーできる。

翻って、生粋のレフティーである自分はどうなのか。東海大仰星高校と大阪体育大学時代を含めて、左サイドバックでプレーした経験しか記憶のなかには見当たらない。

五輪代表メンバーはわずか18人。ワールドカップをはじめとする国際大会より5人も少ない分、一人で複数のポジションを務められる、いわゆる「ユーティリティー性」が重宝される。

果たして、7月1日に正式に発表されたリオデジャネイロ戦士の顔ぶれを見渡してみると、サイドバックの亀川諒史(アビスパ福岡)、室屋成(FC東京)はともに左右両方でプレーできる。

そのなかで、塩谷、興梠慎三(浦和レッズ)とともに、23歳以下の年齢制限にとらわれないオーバーエイジ枠で招集された自身の存在意義を、あらためて自問してみる。

メンバーのなかで、レフティーは藤春だけだった。DF山中亮輔(柏レイソル)は右太ももの負傷が癒えずに涙を飲み、サンフレッチェから出場機会を求めてアルビレックス新潟へ期限付き移籍した攻撃的MFの野津田岳人は、残念ながらトップフォームを取り戻せなかった。

◆レフティーが左サイドバックにいるメリット

一説によると、日本人の人口に占める左利きの割合は約12%とされている。サッカーに置き換えれば、11人当たりで1.32人。1チームにつき、ピッチのうえに一人しかいない計算になる。

歴代の日本代表を紐解いても、炎の左サイドバックと呼ばれた都並敏史、日本代表が初めてワールドカップの舞台に立ったときの相馬直樹、現在も第一線で活躍する長友佑都(インテル・ミラノ)はすべて右利きの左サイドバックだ。

それだけ希少価値のあるレフティーが左サイドバックのポジションでプレーすると、右利きの選手と比べて2つの点でメリットが生じる。それは「キックの質」と「相手との距離」だ。

味方からのパスに走り込んだ左サイドバックが、ゴール前へクロスをあげるシーンを想像してほしい。プロのレベルならば、もちろん右利きの選手でも左足の技術を極限まで磨き上げる。しかし、ダイレクトでしか蹴れないタイミングのときはどうなるか。

相手ゴール前に走り込む味方にピンポイントで、かつ高低や強弱などの変化をつけたクロスをあげるには、利き足でなければどうしても高難度を伴う。トラップしてからでも、相手キーパーから逃げるようにカーブをかけられるなど、レフティーならではのアドバンテージをもち合わせることもできる。

何よりもサイドバックには守備力が求められる。今度は左タッチライン際でボールをもったシーンを思い浮かべてほしい。レフティーは自分の利き足、つまりライン際にボールを置く。必然的に自分の体の横幅分だけ相手との距離が生まれ、ボールを奪われにくくなる。

《次ページ 「不安」が「期待」へ》

リオデジャネイロ五輪に臨む18人に正式に選出されたことを藤春が知らされたのは、鹿島アントラーズとのセカンドステージ開幕戦に備えて敵地へ移動し、宿泊先のホテルに着いた直後だった。あれこれ浮かんでは消えていた「不安」は、自分自身への「期待」へと変わっていた。

「こうやって選ばれたからには、そこのポジション(左サイドバック)だけに集中してできるので。本当にスペシャリストと呼ばれるくらいの感じでいきたいですね」

アマチュア時代はほぼ無名の存在だった。大阪体育大学では、2年次の2008年と4年次の2010年に関西学生リーグ2部でのプレーを余儀なくされた。最後の年にアシスト王とベストイレブンを獲得した藤春はJリーガーを夢見て、2つのJ2クラブの練習に参加していた。

しかし、2010年9月5日に、予期せぬターニングポイントが訪れる。関西代表として臨んだ天皇杯2回戦。ガンバに2‐6で大敗した大阪体育大のなかで異彩を放った藤春の存在感を、ガンバの強化部が高く評価。ほどなくしてオファーが届いた。

「自分としても、より高いレベルでプレーしたかったので」

◆50m5秒8の韋駄天、無尽蔵のスタミナ

選手層が厚いことを承知のうえでガンバへ加入した藤春は、ルーキーイヤーの終盤にはレギュラーの座をゲット。2年目の2012シーズンには開幕から全34試合、計3060分で先発フル出場を果たした。

「何よりも攻撃参加ですね。守備面を評価してくれる人もいますが、自分の売りはやはり攻めの部分です」

こう公言してはばからない藤春のストロングポイントは、50mを5秒8で駆け上がる韋駄天ぶりと、左足から放たれる多彩なキック。そして、176cm、60kgのやや華奢な体に搭載された無尽蔵のスタミナだ。

ガンバがJ2へ降格した2013シーズン。チームに残留した藤春は、長丁場となる全42試合、計3780分にフィールドプレーヤーとしてただ一人、先発フル出場を果たして1年でのJ1復帰に貢献している。

2年連続のフルタイム出場は、けがと無縁の頑丈な体とスタミナが絶妙なハーモニーを奏でた証でもある。そして、昨年11月28日のJリーグチャンピオンシップでは「伝説」の担い手にもなっている。

《次ページ 埼玉スタジアムで行われた浦和レッズとの準決勝》

敵地・埼玉スタジアムで行われた浦和レッズとの準決勝。1‐1のまま延長戦に入ってもお互いにまったく譲らず、PK戦突入の気配も漂ってきた後半13分だった。

DF丹羽大輝のバックパスが高く浮き、ガンバのGK東口順昭の頭上を超えていく。ベンチで戦況を見つめていた長谷川健太監督ですら「あっ、やっちゃった」とオウンゴールを覚悟した次の瞬間だった。

ジャンプ一番、必死に伸ばした右足のつま先をかすめ、かすかにコースを変えたボールは左ポストに命中。九死に一生を得た東口はこぼれ球をDFオ・ジェソクへつなぎ、乾坤一擲のカウンターを発動させる。

MF遠藤保仁からゴール中央のFWパトリックを介したボールが、右サイドに開いたMF米倉恒貴へわたる。その間に逆サイドをトップスピードで駆け上がってきたのが藤春だった。

まもなく120分間を戦い終えようというのに、距離にして約60mを一気に駆け上がれる走力。衰えを知らない強靭な足腰は、正確無比なシュートをも生み出す。

米倉からの山なりのクロスに、利き足とは逆の右足でダイレクトボレーを一閃させる。ガンバの勝利と決勝進出を告げる一撃が、鮮やかにゴール右隅へと吸い込まれていった。

◆A代表に上り詰める

サイドバックに必要な武器をすべて備える藤春を、日本代表を率いるバヒド・ハリルホジッチ監督もすぐに見初める。初陣となった昨年3月のチュニジア代表との国際親善試合。初めてA代表に招集された藤春は先発に名前を連ね、2‐0の勝利を告げる試合終了のホイッスルもピッチのうえで聞いた。

以来、サッカー人生の設計図に、2018年にロシアの地で開催されるワールドカップが描かれた。そして、夢へ向かっていく途中で、リオデジャネイロでひと足早く世界へ挑む機会を得た。

「世界大会というのは、自分のサッカー人生のなかで初めてなので。もちろん日本のメダル獲得のために全力でプレーしたいし、選ばれなかった選手たちの分まで、本当に100%の力を出してプレーしないといけない。この機会にどれだけ自分がやれるかというのを肌で感じて、それを生かしながらロシアの地へ行きたいと思っています」

オーバーエイジ枠の一人に内定したことが、日本サッカー協会から発表されたのが6月14日。以来、チームの内外からさまざまなアドバイスをもらった。2004年のアテネ五輪に出場したMF今野泰幸からは、こんな言葉をかけられた。

「先輩のオーラみたいなものを出すとよくないよ」

山本昌邦監督に率いられた五輪代表には、GK曽ヶ端準(鹿島アントラーズ)とMF小野伸二(当時フェイエノールト)がオーバーエイジとして招集されたが、日本は1勝2敗でグループリーグ敗退を喫した。

いわゆる「黄金世代」の小野と、アテネ世代のなかの最年長となるDF田中マルクス闘莉王(当時浦和レッズ)やMF阿部勇樹(当時ジェフ市原)たちは、学年でいえば2つしか違わない。

それでも、周囲から「谷間」と揶揄されていたアテネ世代にとてって、日韓共催ワールドカップでベスト16進出に貢献するなど、日本代表として輝かしいキャリアを築きあげていた小野は雲の上の存在に等しかった。

「今野さんも経験から言ってくれたと思うんですけど、アテネのときはオーラがすごすぎて『その人たちは絶対』という雰囲気があって、サッカーそのものも変わったらしいので。そのへんは、逆に僕たちが合わせるくらいの感じでいければいいかなと。壁を作ったら絶対にアカンと思いますし、そうなればチームの雰囲気が悪くなってしまう。年下の選手たちが遠慮しないように、それこそタメでもいいよと、むしろなめられるくらいの感じで、同期感覚で仲良くしゃべっていければいいかなと」

死闘に次ぐ死闘を経て、23歳以下のアジア王者の肩書とともにリオデジャネイロ五輪切符を獲得した今年1月のU‐23アジア選手権。芳しくなかった下馬評を覆したU‐23日本代表には、揺るぎないベースが生まれている。

塩谷、興梠、そして藤春。A代表に名前を連ねた経験と実力をもち、それでいて黒子に徹することができる性格の3人をオーバーエイジで選んだ手倉森誠監督の意図を探っていくと、おのずと次の2点に到達する。

23歳以下の選手たちだけでは埋めきれない部分を補う。同時にナイジェリア、コロンビア、スウェーデンという強敵と同組となったグループBを勝ち抜き、メダル獲得を目指すうえで不可欠なチームの和を乱すことなく、競争を促していくことでギリギリまでチーム力を高める。

《次ページ 日本時間8月5日未明のナイジェリアとの初戦》

チームメイトとの初顔合わせは今月19日。日本時間8月5日未明のナイジェリアとの初戦へ。時間が限られているなかでスムーズにチームへ溶け込んでいくうえで、ガンバからともに選出された19歳、MF井手口陽介の存在が大きいと藤春は笑う。

「アイツ(井手口)はかなりオレのことをなめくさってくるので。そのへんで助かるかな。そうされても、オレは怒らないので」

五輪代表で最年少となる可愛い後輩をダシに使い、いじられキャラを浸透させていく。一刻も早くチームに馴染み、もっているすべてを日本のために注ぎたいという藤春の熱い想いが伝わってくる。

「オレ自身はあまり声を出して盛り上げていくタイプではないですけど、そこはしっかりとプレーで見せながら、年下の選手たち引っ張っていけるくらいの感じになれれば。左利きの選手が他にいないので、もし言われればセットプレーでも蹴るかもしれない。直接フリーキックを決められるくらいにまで、練習しておきたいですね」

大学時代にはまったボーリングは、いまや300近いスコアを普通に弾き出す腕前にな達した。ボールやシューズ、グローブなども自前でそろえるほど夢中になっている趣味に藤春がゆっくりと興じられるのは、リオデジャネイロでの一世一代での戦いを終えて、帰国してからになりそうだ。

藤春廣輝(c)Getty Images

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