西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(14)【指揮官】西武・森祇晶 後編(前編…

西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(14)

【指揮官】西武・森祇晶 後編

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初戦を任せる投手と、第2戦を任せる投手の役割

――日本シリーズにおける短期決戦の戦い方というのはありますか?

森 監督によっては「第1戦重視」だとか、「いや、2戦を重視する」とか言いますよね。もちろん、両方勝つに越したことはないけど、僕の場合は心理的に2戦目を取ったほうが気が楽でした。なぜかというと、2戦目から3戦目にかけては、いわゆる移動日があるわけです。敗戦を引きずって敵地に乗り込むか、勝って気持ちよく敵地に乗り込むかというのでは、まったく気持ちが違うから。


「名将対決」が注目された1992年、1993年の日本シリーズ photo by Kyodo News

――1992年も、1993年も第2戦の先発は郭泰源投手でした。今おっしゃった考え方で言えば、当時は郭投手に、万全の信頼を置いていたということですか?

森 うちの先発投手陣で言ったら、郭泰源が一番回復力がない。でも、2戦に投げれば第6戦に中5日で投げられるわけですから。第2戦は何としてでも勝ちに行く。そこでエースを投入した。回復には時間がかかるけど、その年のナインの信頼を得ている投手を起用したわけです。

――初戦の先発と第2戦の先発投手とでは、求められる役割に違いがあるのですか?

森 初戦というのは、チームのエース格であること。なおかつ、回復力が早い投手であることが求められます。そして、こんなことを言ったらアレだけど、たとえ打たれたとしても性格的にショックが少なく、引きずらないピッチャーが向いていますよ。1992年は渡辺久信、1993年は工藤公康。いずれも、決して引きずらない性格ですから。

――1992年日本シリーズは、石井丈裕投手が獅子奮迅の活躍を見せてシリーズMVPに輝きました。この年は第3戦、そして第7戦で先発して、ともに完投勝利を挙げています。

森 彼は非常に馬力のあるピッチャーだし、短期決戦においても回復力のある投手ですから。それにやっぱり、気持ちが強い。第7戦でも完投させたのは、第6戦までのリリーフ陣の疲労を考慮したこともあるけど、初戦からずっと試合を続けていってある程度になると、相手からすれば継投してくれたほうが助かる場合もあるからね。僕だって、「早く岡林(洋一)を代えてくれんかな」と思っていたけど、彼も最後まで投げ続けた。だから、結果的に第7戦は延長10回まで戦ったのに、石井も、岡林も完投したというわけです。

野村監督の「口撃」を受け流すのも戦術のひとつ

――あらためて、スワローズ・野村克也監督について伺います。シリーズ前には、野村さんから「西武はスパイ行為をしている」などの「口撃」もありました。この点はどのように受け止めていたのですか?

森 あの人は、そういうところがすごいよね(笑)。でも、僕は野村さんの挑発には一切、乗らなかった。乗ったら負けよ。それもまた野村さんの戦術のひとつなのかもしれないけど、何も語らないのも戦術だから。僕が挑発に乗ってペラペラしゃべったら、マスコミが喜ぶだけではなく、まさに野村さんの狙い通りになってしまう。だから、こっちとしては黙して語らずで、ケンカをしない策を選んだんです。



「野村ヤクルト」との戦いを振り返る森氏 photo by Hasegawa Shoichi

――現役時代から、森さんと野村さんは親交があったと言いますね。お互いの手の内を知り尽くしているという感じなのでしょうか?

森 現役時代に、何度か野村さんから貴重な情報を得たことはあったけど、それはあくまでもヒントだったわけです。ただ、お互いにキャッチャー出身だったので、結果から逆算して物事を考える発想法は一緒だったと思います。これまで言ってきたように、ひとりの選手を途中出場させるとき、相手がどう出てくるかを読む。「たぶん、こう出てくるだろうから、こういう手を打とう」と、こちらは考える。当然、相手もこちらの手を考えている。絶えずお互いに、二の矢、三の矢を用意しているんです。

――1992年第7戦、7回表1アウト二塁の場面で森監督は左打者である鈴木健選手を代打起用。「当然、岡林を交代させて、左投手が出てくるだろうと思った」と、当時のインタビューでおっしゃっていましたね。

森 そう。でも、野村監督は、この場面で岡林を代えなかった。それで、「岡林と心中する覚悟なのか」と野村監督の心理を推し量る。そういうことの繰り返しでした。

――心理を推し量った結果、じっと我慢して「動かない」という選択もあるわけですね。

森 このシリーズでは辛抱ということを学んだよね。腹をくくれるか、くくれないか。そして、腹をくくったのならば「お前に任せた。これでダメならしょうがないじゃないか」という気になれるんだよね。あのときはさすがに、コーチ陣は誰も「ピッチャーを代えましょう」とは言わなかったよ。相手は「石井を代えてほしい」と思っていて、もしもこちらが代えてしまったら、それこそ、野村監督の術中にハマってしまうわけだから。

お互いの腹の読み合い、「不動」を策としたシリーズ

――1993年はデストラーデ選手がメジャー復帰により退団。さらに、ライオンズの編成部門を担っていた根本陸夫氏がダイエーに転出。いろいろと変化がありましたが、前年と比べると心境の変化はありましたか?

森 それは当然ありますよ。メンバーが違うんだから。この年の敗因は先発投手のデキがすべてだった気がしますね。先発投手が打ち込まれたら、それをひっくり返すような力が当時の西武打線にはなかったですから。

――1992年と1993年で、合計14試合戦いました。もっとも印象に残っているシーンは?

森 監督としたら、やっぱり1992年の第7戦、投手の我慢比べですね。相手は「(石井)丈裕を早く代えてほしい」と思っていて、僕は岡林(洋一)を早く代えてほしかった。でも、結局はこの2人が、ともに完投する。それがお互いの読み合いですよ。そういうことを意識して戦った日本シリーズは、この2年間だけだったから。

――この2年間の戦いを経て、決着は着いたと考えていいのか、それとも両者互角だったと見るべきなのか、どのようにお考えですか?

森 うーん、どうだろうね。勝負というのは互角の力であれば、本当に時の運ですからね。例えば、相手がミスをするかしないか、ということもあるし、監督の打つ手が後手後手に回ってしまえばチャンスを逃してしまうものだし……。かと言って、先手を取ればいいかというと、それによって相手の術中にハマってしまうこともあるわけだし……。短期決戦で難しいのは、シリーズの間の1週間なり、10日なりの調子の見極めですよ。調子の悪い選手を切るか、それとも使い続けるか。それもまた監督の判断だから。

――相手となったスワローズの印象に変化はありますか?

森 1992年と比べると、1993年は格段に野村監督の野球が選手たちに浸透していると感じました。前年までなら、バットを振り回していた池山(隆寛)が、明らかに外野を狙って、しかもライトに犠牲フライを打った場面がありました(1993年第4戦)。あのときはライトに強い風が吹いていた。ヤクルトの選手たちも1年で大きく変わっていました。

――改めて、この2年間を総括していただけますか?

森 野村監督と五分に戦うためには動かないこと。下手に動けば相手の術中に見事にハマってしまうから。とにかく「辛抱」ということを学んだ日本シリーズだったと思うし、みなさんが言うように「史上最高の日本シリーズ」だと言っても、何も差支えのない日本シリーズだったと、僕自身もそう思いますね。監督同士の「不動」を策とする、無言の戦いが繰り広げられたシリーズでした。