ロシアW杯、スペイン代表は失意の中で戦いの幕を閉じている。グループリーグは1勝2分けで勝ち抜くが、内容は低調。ラウ…

 ロシアW杯、スペイン代表は失意の中で戦いの幕を閉じている。グループリーグは1勝2分けで勝ち抜くが、内容は低調。ラウンド16では開催国ロシアを相手に攻めきれず、PK戦の末、敗れ去った。

 大会開幕直前の監督交代でチームは揺れていた。就任後2年間、無敗を続けていたジュレン・ロペテギが、(大会後の代表監督契約を破棄して)レアル・マドリード監督就任を発表。怒髪天を衝いたスペインサッカー連盟が、開幕2日前に解任を決定した。後任には技術委員長だったフェルナンド・イエロが就いたが、急場しのぎで勝ち上がれるはずもなかった。

 W杯後、バルセロナで三冠を達成したルイス・エンリケが代表監督に就任している。

 そのエンリケ・スペインは「UEFAネーションズリーグ」で連勝スタートを切った。W杯ベスト4のイングランドを敵地で1-2と撃破。続いてW杯準優勝のクロアチアを6-0と大破する。



UEFAネーションズリーグでイングランドに敗れたスペインのセルヒオ・ラモス

 10月15日に行なわれたイングランド戦は、守備が脆くも崩れ、前半で3失点。セルヒオ・ラモス(レアル・マドリード)の不安定さは目を覆うばかりだった。しかし、チアゴ(バイエルン)、ダニ・セバージョス(レアル・マドリード)らは段違いのスキルを誇り、後半に2点を返すなど、終始、攻め続けた。

「試合の主導権を握り続ける。バルサ時代とコンセプトは似ているね」

 17歳のときからバルサBでエンリケの指導を受けてきた元バルセロナのDFマルク・バルトラ(ベティス)が語ったように、そのサッカーは能動的な戦い方が土台となっている。ボールを持って崩し切る。攻め勝つスタイルだ。

 着目すべきは、ロシアW杯メンバーから外れるなど、これまでくすぶっていた選手たちが躍動している点だろう。たとえばFWのパコ・アルカセルは、バルサでくすぶっていたが、ドルトムント移籍後の活躍を再評価されて招集され、新体制で3得点を挙げている。

「チーム内は活性化し、とてもいい雰囲気だ。監督は選手に信頼を伝え、モチベーションを上げてくれる」

 やはりロシアW杯後に抜擢されたスソ(ミラン)が現状を語る。

 エンリケは人材を広く求め、その力を引き出しつつある。代表歴の乏しい若手のホニー・カストロ(ウォルバー・ハンプトン)、ホセ・ルイス・ガヤ(バレンシア)、ロドリ(アトレティコ・マドリード)、セバージョスを重用する一方、代表から離れていたベテラン、ラウール・アルビオル(ナポリ)を呼び戻した。年齢や経歴に分け隔てなく、旬の選手を選び、競争力を高めている。

 悪くない滑り出しのスペインだが、危うさもはらんでいる。今年10月、敵地で1-4と快勝したウェールズ戦直前に、「パネンカ」というサッカー専門誌に掲載されたインタビューが話題になった。

「スペインを代表する責務を感じなかった。むしろ、そのことに対する拒否感があったし、嫌悪感すら覚えた」

 2005年に代表合宿に呼ばれたものの”辞退”した、オレゲル・プレサスが当時の胸中を暴露したのだ。

 オレゲルはバルセロナのレギュラーとして、センターバックでカルレス・プジョルとコンビを組み、欧州を制覇し、スペイン王者にもなった。必然的にスペイン代表に選ばれたが、結局はプレーしていない。当時、代表を率いていたルイス・アラゴネス監督と面談を行ない、ストレートに思いをぶつけた結果だ。

「スペイン代表にいることに、居心地の悪さを感じた」とオレゲルは明かしている。

「代表には興味が湧かない。EURO(欧州選手権)もワールドカップも試合を観ないよ。こうした発言をすることで、かつては自分がアイコンのように扱われることがあったし、一方で憎まれることもあった。でも考えはずっと同じだし、何を言っているかも承知しているつもりだ」

 スペインは複合民族国家である。たとえばバルセロナを州都にするカタルーニャには、独自の文化、言語があり、フランコ独裁政権時代には迫害、弾圧された歴史がある。現在も、カタルーニャは独立に向けて運動を続けており、カルラス・プッチダモンのような指導者も現れた。独自に国民投票を行なって独立の賛同を得るなど、スペイン政府とは対立関係にある。

 サッカーのスペイン代表もこうした政治の影響を受ける。そもそもバルサの存在意義のひとつは、スペインに対する反逆だった。スペイン代表の一員になることは、今も矛盾をはらむ。カタルーニャ人ジェラール・ピケ(バルセロナ)が、国内での代表戦でブーイングを浴び続けたのは異常な事態だろう。

 その分断こそ、かつては「スペインが勝てない理由」に挙げられてきた。選手の信望が厚かったルイス・アラゴネス監督がチームを結束させ、EURO2008で優勝したことで、成功の扉を開いたが、根っこの部分は変わっていない。

 カタルーニャだけでない。ビルバオやサンセバスチャンのあるバスクでも、独立運動は続けられてきた。FIFA未公認ながら、バスク代表は活動を続ける。10月にはスペイン代表と並行してベネズエラ代表と一戦を交えたが、ここでも一悶着あった。スペイン代表の招集をケガを理由に回避していたバスク人イニゴ・マルティネス(アスレチック・ビルバオ)が、バスク代表の招集には応じ、先発出場したのである。

 スペイン国内では、代表チームの地位が高いとは言えない。分断を象徴する「クラブ至上主義」(各地域代表という意味合い)が蔓延し、なかでもレアル・マドリード、バルセロナの存在は突出している。ロペテギが代表監督を放り出し、レアル・マドリードの監督に飛びついた理由もそこにある。

 ルイス・エンリケが順調に船出したのは間違いない。さまざまな力を結集することができれば、人材は豊富だ。

 しかし、スペインは常に危うさを抱えている。