元イタリア代表FWアルベルト・ジラルディーノ(36歳)が現役を引退する。 ジラルディーノは世界有数のゴールゲッター…

 元イタリア代表FWアルベルト・ジラルディーノ(36歳)が現役を引退する。

 ジラルディーノは世界有数のゴールゲッターだった。パルマ、ミラン、フィオレンティーナ、ジェノアなど、セリエAの有力クラブで活躍。セリエA通算188得点は歴代9位で、アレッサンドロ・デルピエロ、ジュゼッペ・シニョーリと並ぶ。GKの鼻先で合わせるシュート感覚は格別で、浮いたボールの軌道をいち早くつかみ、ヘディングやボレーで叩くのを得意とした。

 ジラルディーノはイタリア代表としても一時代を築いている。2006年ドイツW杯ではアメリカ戦でゴールを決めるなど、イタリアの世界制覇に大きく貢献。2010年南アフリカW杯のメンバーにも選ばれている。2013年コンフェデレーションズカップでは、マリオ・バロテッリとエースの座を争った。

 また、2004年アテネ五輪にはイタリアU―23代表として出場。グループリーグ第2戦で日本と対戦し、2ゴールを挙げて日本の決勝トーナメント進出の夢を打ち砕いている。



アテネ五輪の日本戦で今野泰幸と競り合うアルベルト・ジラルディーノ

 2015-16シーズンには30代半ばだったにもかかわらず、パレルモのエースとして2桁得点を記録。しかし昨シーズンはセリエBスペツィアでのプレーを余儀なくされ、今シーズンは無所属の状態だった。セリエCのクラブからはオファーがあったようだが、スパイクを脱ぐ決断を下した。

 ジラルディーノとは、どんな点取り屋だったのだろうか?

「アルベルトは、あまり感情を表に出さない子でした」
 
 イタリア・ピエモンテ州の町ビエッラにジラルディーノの生家を訪ねたとき、父であるジャンカルロ・ジラルディーノは、抑揚を抑えた口調で語っていた。

「ピエモンテ州の男は、たしかに冷淡で慎重なところはあるのです。でも、アルベルトの落ち着きぶりは、大人である私も舌を巻くほどでした。少しも手がかからない子供で、いたずらをしたことも思い出せないですし、叱ったこともないですね。あまり喜怒哀楽を見せないので、笑っている写真を探すのが大変だったんですよ」

 父はそう言って、自宅に飾ってあった写真立ての位置を直した。祈りを捧げながら、微笑むというよりはにかむジラルディーノの姿があった。

 冷静沈着。それはジラルディーノの異能だったのだろう。
 
 ゴール前でたいがいの選手は感情が乱れるものだ。「これを決めれば、ヒーローになれる!」「これを外したら道はない……」。いずれにしても、気持ちを制御するのは難しい。しかし、ジラルディーノは感情を抑制することによって、冷徹にゴールを撃ち抜くことができた。ストライカーとして、天性の資質に恵まれていたと言えるだろう。

 とはいえ、なにも「氷のように冷たい男」というわけではなかった。

 12歳の頃、ジラルディーノはコッサテーゼという地方の小さなクラブに所属している。現地を訪ねたが、ひなびた施設だった。寂れた照明灯、芝生と雑草が混じったピッチ、うらぶれたクラブハウス。スタジアムのコンクリートはところどころ表面がはがれ落ち、昔も今も変わらないという。

 ジラルディーノ少年は、そこで異彩を放っていた。

「ボールを追うときの目がよかったです。いつもは本当におとなしかったのですけどね。ピッチではとても情熱的。うまい子はたくさんいますが、彼はもっとうまくなりたい、と思っていたんでしょうね」

 当時、ジラルディーノを400万リラ(当時のレートで約25万円)でビエッレーゼに引き抜いたスカウトはそんな話を明かしていた。冷静さの中に情熱を見出したのだろう。

 ジラルディーノは、胸の内で情熱をたぎらせるタイプだった。ストライカーはエゴイストと言われるが、彼の場合はキャプテンとして仲間を気遣い、チームをひとつにまとめることができた。監督と対話し、ひとつひとつの問題に向き合うような少年だった。

「実力もあったが、なにも言わないのに、仲間たちがついていってしまうようなオーラがあった」

 当時のチームメイトは証言していた。
 
 ジラルディーノのキャリアは順風満帆だったわけではない。実はユベントスのユース入団テストに2度挑戦しているが、いずれも落第してしまった。父がユベンティーノで、彼も1997年、欧州王者になった試合に目を輝かせていた。挫折感に苛まれたに違いない。

 この時期、ジラルディーノは自分自身と向き合うようになって、さらに老成したという。世界的プレーヤーの多くが、10代で大きな挫折を乗り越えている。感情の揺れを経て、彼も大人のプレーヤーに成長した。

 若くして成熟したジラルディーノは、17歳のときにピアチェンツァでトップデビューを果たして以来、毎年ゴールを決め続けた。ときに監督の構想から外れることはあったが、ゴールを叩き込み、自らの道を切り開いてきた。セリエAという、FWにとっては(ディフェンシブな戦術を採用するため)もっとも過酷なリーグで、(カップ戦を含めて)200得点以上を記録。代表や中国超級リーグ(2014年)でのゴールなどを含めると、生涯で300点近くになる。

 そのパーソナリティーは、ゴールゲッターとしてかけがえのないものだった。同世代の元イタリア代表、フランコ・セミオーリはジラルディーノの引退について、こう声明を出している。

「君とプレーできたのは光栄だったよ。偉大な選手であり、偉大な人間とチームメイトになれたんだから」

 引退後、ジラルディーノは指導者に転身する予定だという。

 冷静沈着。それは指導者としての長所にもなりそうだ。