9月26日、ヤクルト戦。9回、最後の打者・山田哲人を空振り三振に取った瞬間、広島の會澤翼はウイニングボールをがっち…
9月26日、ヤクルト戦。9回、最後の打者・山田哲人を空振り三振に取った瞬間、広島の會澤翼はウイニングボールをがっちり掴み、天高く右拳を突き上げた。被っていたマスクを放り投げると、3年連続胴上げ投手の中崎翔太のもとに駆け寄り、強く、強く抱きしめた。

選手会長としてチームを牽引し、リーグ3連覇に貢献した會澤翼
大役を務め上げた1年だった。正捕手の座を守り、攻撃面でも得点源となる働き。そして選手会長として、チームをまとめる役割を担った。
「春先に自覚と責任を持ってやりましょうと。ひとりひとりが責任を持ってやってくれたので、僕はあまりやることはなく、みんなが自覚を持ってやってくれた」
チームメートに感謝した。選手会長の役割は重かった。チームは2連覇中。自身としてもまだ正捕手として確固たる地位を築けていたわけじゃない。それでも、男気あふれる性格ゆえに、首を横には振れなかった。小窪哲也前選手会長の推薦。そして新井貴浩、石原慶幸という選手会長経験のある両ベテランのあと押しを受け、断ることなどできなかった。
新井は引退会見で広島を「家族」と表現した。會澤も同じように捉えているかもしれない。
25年ぶりの優勝を果たした2016年10月、過去最多となる主力18人が参加した湯布院リハビリキャンプ。滞在最後の夕食時に「全員で風呂入ろう」と提案したのは會澤だった。選手だけでなく、同行していたスタッフが肩を寄せながら露天風呂に浸かった。結束が強まった、いい夜だった。
「うちの一番いいところはチーム一丸。いいチームができるように、いい広島東洋カープができるように、取り組んでいきたい。身が引き締まる思いです」
選手会長として、広島らしさが失われないように、伸ばしていくと心に誓った。
今季は序盤からコンディションが思うように上がらなかったが、それでも正捕手であり続けた。不安定な投手陣をもり立て、持ち味だった打力でも存在感を示した。広島の捕手としてシーズン最多となる14本塁打を記録。打率も規定未到達ながら3割超を残す。勝負強さを併せ持つ打力は、下位打線にいながら相手球団の脅威となった。
磨きがかかった打撃で相手にプレッシャーをかける代償として、広島捕手初の2ケタ死球も受けてきた。それでも會澤は逃げなかった。「なめられちゃいけない」と、死球の次打席でも踏み込んでいく。死球後の打席の打率は5割(打席なし3、四球2、死球1、8打数4安打1本塁打2打点)。勝ち気な性格を証明してみせた。
5月1日の巨人戦では山口俊から、2打席連続死球に思わず激高した。近年では珍しく両軍がグラウンドに入り乱れるシーンが見られた。珍しく感情を露わにしたのには、伏線があった。
會澤がまだ一軍定着を狙う立場にいた2012年8月2日。当時DeNAの山口俊から左目下部付近に死球を受け、救急車がグラウンド内に乗り込む異例の事態となった。鼻骨骨折と診断され、その後一軍復帰を果たせぬままシーズンを終えた。
手術を受けた際に、鼓膜まで響いた鼻骨を正す、あの「ボキッボキッ」という音は今でも「耳に残る」という。
男3兄弟の末っ子で、両親からはかわいがられ、自由に育てられた。ただ「男としてプライドを持ちなさい」とだけ言われてきた。教育係は年が離れた2人の兄。徹底的に礼儀作法をたたき込まれた。両親の教えと、厳しい2人の兄の下、男気ある筋を通す男に成長した。
今年、選手会長就任とともに、やや長めだった髪を刈り上げ、伸ばしていたあごひげも剃った。「あまり意識はしていないけど、一応ね。30(歳)にもなったし」と笑って、多くを語ろうとはしない。ただ、模範とならなければいけない使命感が自然とそうさせたのだろう。
やんちゃだった学生時代から、強気な性格だった。プロでもそれは変わらない。ベテラン選手から一目置かれ、若い選手の兄貴分。チームの中心選手である”タナキクマル(田中広輔、菊池涼介、丸佳浩”にも、厳しい言葉をかけることができる存在。
とくに今季の広島は、打高投低の色が濃くなっただけに、捕手の會澤が選手会長として投打の間に立っていたことが幸いした。
“打高投低”のチームでは野手の発言力が高まり、投手の立場が弱くなることが往々にしてある。投手と野手の軋轢や摩擦はマイナスにしか働かない。低迷期をさまよっていた広島がそうだった。
わずかな歪みが取り返しのつかないことになりかねない。それを肌で感じている新井や石原の両ベテランと食事をともにしながら、広島の伝統やチームとしての在り方などを継承してきた。だからこそ、選手会長就任時にも「一体感」を掲げ、シーズン中も大切にしてきた。
リーグ3連覇達成までのターニングポイントはいくつかあるだろうが、會澤の選手会長就任もそのひとつだったと言える。
正捕手として、打者として、選手会長としてグラウンドに立ち続けた。体を張ってボールを止め、全身はあざだらけ。チームの模範としてだけでなく、何より「結果を残さないといけない」と胸に刻んでいた。
自身初の胴上げ捕手となり、報われた気がした。いや、まだ終わっていない。
「2年連続で悔しい思いをしているので、気持ちを引き締めてやっていきたい」
優勝の瞬間も、涙はない。グラウンドで見せる力強い視線は、34年ぶり日本一に向いている。