インドネシア・ジャカルタ。野球の世界ではあまり聞くことのない地名だが、この夏、ここで4年に一度のアジア大会が開催さ…
インドネシア・ジャカルタ。野球の世界ではあまり聞くことのない地名だが、この夏、ここで4年に一度のアジア大会が開催され、野球は10カ国が参加した。
今回も金メダルなら兵役免除とあって、韓国はオールプロの布陣で臨み、大方の予想どおり、優勝を飾った。その韓国のライバルと目されていた日本は社会人野球の選抜チーム、台湾は社会人のトップ選手にプロの若手を加えたチームで挑んでいた。

1980年から6シーズン日本ハムでプレーしたトミー・クルーズ氏
台湾は、1次リーグにあたるラウンド2(ラウンド1はタイ、ラオス、スリランカの3カ国による予選)の初戦で、韓国相手に金星を挙げ、決勝リーグにあたるスーパーラウンド初戦でも中国を下し、決勝進出をかけて日本戦に臨んだ。
この試合、台湾は日本に負けたとしても3点差以内なら得失点差で決勝進出が決まるという優位な立場にあった。とにかく得点を挙げれば、事実上、勝利を手にすることができると、試合前から台湾ナインは気合い十分だった。
試合前のスタンド横のブルペンで、褐色の肌をした筋骨隆々の男が、ティーバッティングをする若い選手相手にボールを上げていた。
「バットをインサイドから出して、ボールの内側を叩くんだ! そう、バットを下から出すな! ヒジを締めて上から出せ!」
その教えは、今から40年近く前、自身が日本で受けてきたものに相違なかった。
台湾のロースター表のコーチ欄には、シリーロ・クルーズ・ディランと記入されている。彼の本名だ。ラテンアメリカ出身の選手は、アメリカでは英語名を自らつけることが多い。彼もアメリカでは「トミー」と名乗ったが、メジャーでは2打席しか立つことができず、新天地を日本に求めた。
トミー・クルーズの名で、日本ハムで6シーズンプレー。打率3割以上を4度マークするなど、チームの主軸として活躍。現役時代をまっとうし、NPB通算打率.310を残した。
引退後は故郷のプエルトリコに戻り、地元ウインターリーグのコーチを長らく務めていた。指導経験を買われ、シアトル・マリナーズのマイナーで指導したこともある。
故郷のアローヨという町では、メジャーで2000本安打を記録した兄のホセ、巨人でもプレーした弟のヘクターとともに”クルーズ3兄弟”として英雄視されている。
そのアローヨにある彼の豪邸を訪れたのは、もう10年ほど前のことだ。1階には吹き抜けのホールがあり、そこには日本での思い出の品々がところ狭しと展示されていた。
そんな彼も60歳を超えた頃には、ウインターリーグのメンバー表に名前を見なくなり、余生をあの御殿で過ごしているものだと思っていた。
そんな彼についてのニュースを目にしたのは2年前のことだった。台湾プロ野球の名門・中信ブラザーズの打撃コーチに就任したとの報道があった。会いに行こうかと思いつつも時間だけが過ぎてしまったが、今回アジア大会の取材でジャカルタに来ると、偶然、彼の名前を目にしたのだった。
「しばらく見なかったな。今日はスカウトかい? 台湾にはいい選手がいっぱいいるよ」
久しぶりに握った手は、今でもバットを振り込んでいるのだろう、相変わらずゴツゴツしていた。10年前に会った時もトレーニングを欠かさないと言っていたが、現役当時よりもずいぶん恰幅はよくなっているものの、67歳になった今も体を動かしているのはわかる。
台湾に来て3年目。今シーズンは富邦ガーディアンズのコーチとして開幕を迎えたが、前期シーズン限りでナショナルチームに転籍となった。
そして今回、台湾代表のコーチとしてジャカルタに来ていたのだ。「熱帯の気候はプエルトリコと似ていいだろう」と話を向けると、首を横に振り、こう返してきた。
「いやいや、プエルトリコの方がよほどいいよ。オレはあの島が大好きなんだ」
彼の故郷、プエルトリコは言わずと知れた野球強豪国のひとつだ。世界最高峰の大会、WBCでは2大会連続で決勝にコマを進めている。自前のプロリーグもあり、最近では松坂大輔(現・中日)がプエルトリコのウインターリーグでプレーしたことで、その存在を知っている人も多いだろう。
ちなみにこのリーグは、中南米のウインターリーグの決勝シリーズ、カリビアンシリーズも2連覇している。
しかし、カリビアンシリーズやWBCで好成績を残しているにもかかわらず、プエルトリコの野球が全盛を迎えているとは言い難い。WBCに出場した選手のほとんどはメジャーリーガーで、プエルトリコで生活することはほとんどなく、ウインターリーグでプレーすることもない。
年々リーグのレベルは低下し、かつての6球団制から5球団制となり、レギュラーシーズンとチャンピオンシップを合わせても3週間ほどで終わるなど、ミニリーグになってしまった。
それもこれも、プエルトリコが国ではなく、自治領とは名ばかりのアメリカ合衆国の辺境であることに起因する。
アメリカのパスポートを持つこの島の住人の多くは、衰退するサトウキビ産業とカジノぐらいしか仕事のない島に見切りをつけ、アメリカ本土に出稼ぎに出る。そして移住先でコミュニティーをつくり、生活にめどが立つと、両親を呼び寄せる。
野球選手だってそうだ。本土で成功を収めるとフロリダに豪邸を建て、もはやプエルトリコには戻ってこない。
そんななか、クルーズ家は出世頭の長男・ホセと、日本で成功を収めたトミーは豪邸を建てて故郷に錦を飾ったが、三男のヘクターはホセのように余生を送るのに十分な貯えがあるわけでもなく、トミーのように野球の仕事に就けるわけでもなく、現在はシカゴで郵便配達員をしている。また、ホセの息子でメジャー204本塁打を放ったホセJrは、ご多分にもれずフロリダで過ごしている。
トミーも長らく母国リーグのコーチ職についていない。その理由を尋ねると、現在プエルトリコが抱える問題と無関係ではなかった。トミーは言う。
「もうあの島は危なくて仕方ないんだ。ナイターのあと、車で帰宅するなんて、物騒でできないよ」
トミーの自宅のある町、アローヨにプロチームはない。四国の半分程度という小さい島のプロリーグでは、スタッフは日帰りが原則だ。幸い、アメリカ合衆国自治領ということもあって道路網は発達しているので、プロチームのある町からアローヨまでは1時間半もあれば帰ることができる。だが、空洞化が進み貧困が蔓延するこの島では、もはや夜のドライブは危険な行為になってきているようだ。
そのトミーも、今はアローヨには住んでいない。現在の生活の拠点は本土のペンシルバニアに置いていて、そこにニューヨーク生まれのプエルトリカンの妻を住まわしている。アローヨの豪邸は、もはやクリスマスと正月を過ごす別荘になっているという。
かつて日本でプレーしている時も、マイナーでコーチをしている時も愛妻と一緒だったが、その妻をペンシルバニアに置いてきているのは、そろそろ余生をのんびり過ごすことを考えているのかもしれない。
しかし、そのはつらつとしたコーチングを見る限り、トミーの出稼ぎ生活はまだしばらく続きそうだ。現在、トミーは台湾代表のトップチームだけでなく、幅広く各年代の代表チームを指導している。
「そうだ、今年日本にも行ったんだ。ジュニア世代の試合でね」
そう言うトミーに、最近、日本の球団が”レジェンド”を呼んで、盛んにイベントを行なっていることを伝えた。彼のよきライバルだった阪急ブレーブス(現・オリックスバファローズ)のスラッガー、ブーマー・ウェルズも数年前に大阪に来たと言うと、彼は「なんてことだ!」と声を上げた。
「ファイターズは一体どうしちゃっているんだ? オレはファイターズのレジェンドだろ(笑)。GMをやっているシマダ(島田利正氏のことで、実際は前球団代表)は何をやっているんだ?」
そう言いながらも、「日本でコーチもしたいなぁ」と語るトミー。とはいえ、ファイターズも彼が現役コーチとして世界中を飛び回っているうちは、簡単には呼べないだろうが……。