自転車トラック・梶原悠未が、地元・埼玉県和光市の松本武洋市長を表敬訪問、アジア大会・同競技の女子オムニアムで金メダル、女子団体追抜きで銅メダルを獲得した事を報告した。

 「オムニアム」は、1日に4つのトラック種目を争い合計得点で順位を争う種目。


 梶原は最終種目のポイントレースの最終周回に入った時点で、ポイント差が開いていて逆転される可能性が無い選手達を先行させ、集団の中で2位の台湾の選手をピッタリマーク。

 最後は台湾の選手をゴールライン間際でまくり、4着でゴールラインを通過。最後のゴールラインを2位の台湾人選手に譲ってもポイント差で優勝が確定していたが、「最後も獲っちゃえ!」と自転車選手としての本能が出た事を明かした。

 テレビ等の映像ニュース等で、ゴール手前から追い上げて、最後にハンドルをやや投げ出すような僅差でゴール通過したシーンが繰り返し放送され、反響が大きかったと言う。

「凄いドラマチックな勝ち方をしたような印象があるようですが…、既に優勝は確定していたので(笑)」とイタズラっぽく舌を出して笑った。

 その「劇的勝利」は、今回のアジア大会で日本勢に50個目となる金メダルでもあった。

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2020年東京五輪 金メダル本命


 昨シーズンの自転車トラック・ワールドカップの同種目では、4戦中2戦で金メダルを獲得。東京五輪・金メダルの本命と言っても過言ではない。

 松本市長に東京五輪への意気込み、目標を聞かれると、

「オムニアムでの金メダル獲得です。(金メダル争いの)ライバルとなるヨーロッパの選手たちは身体が大きく、パワーもある。だけど、自分のこの小さな身体からパワーを出して、戦術、技術を磨いて立ち向かって行きたい。」

と力強く答えた。

 松本市長によると、梶原悠未の東京五輪出場が決まると、和光市で生まれ育った選手としては初の快挙だと言う。

 現在、筑波大学3年生の梶原。学業との両立、卒業後は大学院へ進学し、研究を続けながら、競技と両立したいと言う。

 1年の中で4カ月は海外遠征と言う梶原の唯一の楽しみは「練習終わった後に甘いモノを食べる事」だと笑う。

 9月6日からは全日本選手権に向けて伊豆で合宿、今後のワールドカップシーズンに向けて調整をして行く。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

梶原 悠未(かじはら ゆうみ)

1997年4月10日生まれ、埼玉県和光市出身。
中学まで水泳で全国大会に出るなど活躍したが、中学3年で初めて全国大会を逃す。その悔しさから、高校では異なる競技を始めようと考えていたところ、自転車競技部に誘われ競技開始。
自転車競技を始めて3年足らずでアジアのジュニア王者に輝いた。
筑波大学進学後、ジュニアからエリート部門へステップアップ後もトラック中長距離部門、ロードレース等で数々のタイトルを獲得。昨冬のトラックワールドカップのシーズンでは、4戦中2戦で金メダルを獲得。