イギリス・ロンドンで開催されている「ウィンブルドン」(6月27日〜7月10日)の男子シングルス2回戦。 センターコートで、ロジャー・フェデラー(スイス)と対戦するという一生に一度の経験をするために、あなたならいくらを喜んで…
イギリス・ロンドンで開催されている「ウィンブルドン」(6月27日〜7月10日)の男子シングルス2回戦。
センターコートで、ロジャー・フェデラー(スイス)と対戦するという一生に一度の経験をするために、あなたならいくらを喜んで払うだろうか? ウィンブルドンのグリーン・グラスに続くトンネルから現れ、あなたのために総立ちで拍手喝采を送る、1万5000人の観客たちの声を枯らした叫びを聞くために… いや、おそらく中でも最高なのは、14本のラリーの末、あなたが放った回転のかかったロブが、テニス史上もっとも偉大な選手のひとりと見なされた男の頭上を超えてコート内に落ちたあと、客席を見上げると、そこに両親や兄弟姉妹、親戚やガールフレンドが席から飛び上がって喜ぶ姿を見ることだろう。 両親と同居し、中央イングランドでテニスのインストラクターとして働く25歳のマーカス・ウィリス(イギリス)は、これらすべてをこの水曜日に体験し、それには1ペニーもかからなかった。
実際は、ウィリスはキャリア最大の支払い小切手を勝ち取った(およそ700万円)。試合結果は世界ランク772位の男が、どうしたわけか、誰よりも多くの週をナンバーワンで過ごしてきた男に対して、皆が想像するような結果----ウィンブルドン2回戦で、フェデラーが6-0 6-3 6-4で勝利する----に行きついたとしても。 「ボールをバウンドさせながら、2度見上げたんだ。ロジャー・フェデラーの姿を見た。『これは以前に見たことのない光景だ』と思ったよ」とウィリス。「非現実的だった。なんとかそれに慣れてプレーしなければならなかった」。 ウィリスは、グランドスラムで17度優勝した偉人と対戦する権利を、まったくあり得そうもない、映画のシナリオのような数週間の中で手にした。彼は、ランキングの低いイギリス人選手のための国内プレーオフ大会で3試合に勝って、ウィンブルドン予選のワイルドカード(主催者推薦)を手に入れた。そして、ウィンブルドン予選でさらに3試合に勝って本戦入りを決め、月曜日に行われた本戦1回戦で初めてツアーレベルの試合を戦って、勝利を収めたのである。彼は強いサービスを持ち、スライスをうまく使いこなす左利きの選手だ。 「すべてが信じられないようなことであり、夢のようで、不鮮明だ」とウィリスは言った。「僕はほんの数日の間に(ごく普通の日常から、世界最高峰の舞台へと移り)両極端の出来事を経験した」。 1時間のレッスンに40ドルほどを取る、ごく普通のテニスコーチであるウィリスは、一夜のうちにセンセーションとなった。
BBCのインタビューを受けた彼のガールフレンドは、このハリウッド映画を思わせるエピソードの中で、プロツアーを回る選手になるという自分の夢をあきらめるな、とウィリスを説得した人物だ。
通常は概して落ち着いた雰囲気の会場だが、この日は雨によって閉じられた屋根の下、騒がしい声援が反響した。彼の賑やかなサポーターたちのグループ、彼の家族らもまた、TVカメラを大いに惹きつけた。 「数日前にも言ったが、これは美しい物語だ」とフェデラー。「彼は間違いなくこのあと、この経験を最大限に活用したキャリアを持てるんじゃないかな」。 フェデラーがこれまでのキャリアで稼いだ賞金は1億ドル弱といったところで、この額には広告や商品契約などの収入は含まれていない。一方のウィリスは約350ドルでウィンブルドンに出場し、ここまでのキャリアで稼いだ賞金総額は10万ドル程度。言うまでもなく商品契約などない。
水曜日の試合でウィリスが着ていた白いシャツは、彼が1年ほど前に買ったものだが、フェデラーのスポンサーがつくった、フェデラーのためのモデルで、左の袖には「RF」のイニシャルが刻まれていた。 雨のため、多くの選手がまだ1回戦を終えることができていなかった水曜日に、世界3位のフェデラーと1位のジョコビッチは3回戦に勝ち進み、ウィリスは様々に頭を巡らせながら、最大の笑みを浮かべながら手を振ってコートから去っていった。 彼がにんまりと喜んだ理由はほかにもある。 フェデラーさえが拍手を送り、後に彼がクスクス笑いながら、「僕はロジャー・フェデラーをロブで抜いたって言えるよね」と自慢した、第3ゲームのあのショット。時速182kmのサービスエースを奪ったとき、彼は両手を突き上げてそのポイントを喜んだ。30分が過ぎて、第2セットに入ったあと、フォアハンドのウィナーがついにウィリスに1ゲームをもたらしたときは、観客席は大騒ぎとなった。 もちろん多くのケースで、ことは彼に有利に進まなかった。5万ポンドの小切手を手に大会をあとにしたウィリスは、非常に印象的なショットを放ちはしたものの、フェデラーがそれを、例えば目で追ってもいない肩越しのハイボレーなど、よりいっそう見事なショットで切り返すのを目にすることになった。ウィリスの地元の対戦相手たちは、フェデラーがやるようにラケットを巧みに扱いはしないだろう、と想像する。 「ボールが少し短かったり、高く浮いたりしたら、それでもう一貫の終わりだった」とウィリスは振り返った。しかしウィリスのほうも、フェデラーに何らかの印象を残したようである。 フェデラーは試合後にこう言っている。「プレーしながら、こう考えていたんだ。これは間違いなく僕の記憶に残る試合のひとつだろう、って」。 フェデラーにとってさえそうなのだから、ウィリスが世界でもっとも有名なテニスコートの上で、フェデラーとともに過ごした1時間25分についてどう感じたか想像してみてほしい。 すべてが終わったあと、ごく普通の人々に愛された、ごく普通の男は、「これは僕のいつもの水曜日ではなかった」と言った。「そして次の水曜日は、今日とはかなり違っているだろうね」。(C)AP