Tリーグ岡山リベッツへの参入を明らかにした吉田雅己。「誰よりもYouTubeで卓球動画を見ます」と研究熱心なこの男、卓球界ではこんなあだ名で呼ばれている。「侍(サムライ)」と。北海道に生まれ、青森山田に進み、インドで花開いた男の軌跡を5回連…

Tリーグ岡山リベッツへの参入を明らかにした吉田雅己。「誰よりもYouTubeで卓球動画を見ます」と研究熱心なこの男、卓球界ではこんなあだ名で呼ばれている。「侍(サムライ)」と。北海道に生まれ、青森山田に進み、インドで花開いた男の軌跡を5回連載で追う。(第1回目が9月3日に公開予定。以降、順次公開予定です)

このページの目次

1 第1回: “サムライ”卓球Tリーグへ挑む ケガに悩まされる(9月3日公開予定)2 第2回:日本人初のインドリーグへ 優勝、MVP獲得の裏側(9月4日公開予定)3 第3回:なぜ「勝ちきれない卓球選手」なのか 巨人・丹羽孝希の登場(9月5日公開予定)4 第4回:丹羽のいぬ間に卓球全中・インターハイ制覇、消えないモヤモヤ(9月5日公開予定)5 第5回:新技はハラキリ!? 卓球必殺技を特別公開(9月6日公開予定)

第1回: “サムライ”卓球Tリーグへ挑む ケガに悩まされる(9月3日公開予定)

「実は、昔の僕はニセ侍だったのかもしれません」。そうはにかむ吉田。「侍」の進化はいつ始まったのか。時は2018年1月に遡る。

「今年は、すごい僕の中でいい時期だった。もう思い切っていこう」。腹を括った。

Tリーガーとしてプロ転向を決めた後、吉田が選んだのは意外な道だった。インドリーグである。



第2回:日本人初のインドリーグへ 優勝、MVP獲得の裏側(9月4日公開予定)

吉田がプロ転向後、最初に選んだ戦場は「インド」。2017年に開幕したてのプロリーグで、何しろ日本人の挑戦は吉田が初だ。実は日本の卓球とはルールも違うのだ、当初は苦戦したと明かす。

「インドは人もカネも企業も集まっている。現地ではすごい盛り上がりだった」

インドでは優勝とMVPという輝かしい成績を叩き出した吉田。

「ただ…」と言葉に詰まる。その後、吉田から意外な言葉が飛び出した。「僕は実は勝ちきれない選手だったんです」。



第3回:なぜ「勝ちきれない卓球選手」なのか 巨人・丹羽孝希の登場(9月5日公開予定)

自身の幼少期について「自宅の“中”に卓球台があるんじゃなくて、自宅の“横”に特設の卓球場があるんです」と振り返る。

卓球少年だった吉田の前に天才・丹羽孝希という壁が立ちはだかる。「僕は他の選手みたいに幼少期から1番っていう経験がほとんどない。常に上がいたんで、その選手に追いつくために卓球に打ち込んでこれた。彼らがいたから強くなれたのは間違いない」

そして名門、青森山田へと吉田は進んだ。

卓球部に入部した吉田は偉大な先輩、水谷隼と出会う。「もう勝つのが当たり前っていうくらいの部活で。水谷さんは高校2年生ながら全日本を制した年でもあったので。かたや僕たちはちょっと前までランドセルを背負っていた少年(笑)」



第4回:丹羽のいぬ間に卓球全中・インターハイ制覇、消えないモヤモヤ(9月5日公開予定)

吉田の肌に合ったのが青森山田を貫く「実力主義」の風土だ。

インターハイで優勝しても煮え切らない思いは消えなかった。「そりゃ全国1位は嬉しいですけど、その時”アイツ”は世界に行っていますからね」

「俺っていつも中途半端な試合をしている。ここで変わらないと」

そして卓球の神様は微笑む。吉田、勝負の時…。



第5回:新技はハラキリ!? 卓球必殺技を特別公開(9月6日公開予定)

「やっぱり勝てないっていうのは、絶対、理由はある。一方で強い選手って、必ずどこか長けてる部分がある。僕は、“絶対、負けない”っていう部分はなかった」

「突き抜けられないことが勝ちきれなさにつながっているのかもしれない」

そして“侍”が身につけた武器とは…?

「ハラキリってのはどう?」

まさかの新技を明かす。



文:武田鼎(ラリーズ編集部)
写真:伊藤圭