【連載】道具作りで球児を支える男たち 湯もみ型付け(1)イソガイスポーツ 守備がうまい選手が使い込んだグラブはいい&…
【連載】道具作りで球児を支える男たち 湯もみ型付け(1)イソガイスポーツ
守備がうまい選手が使い込んだグラブはいい”型”をしている――。
古くから野球界に伝わる言葉のひとつだ。新品のグラブは固く、すぐに使用することは難しい。そこで、グラブを手で揉んだり、オイルを塗ることで少しずつ自分の手に馴染ませる。この”馴らし”の過程のなかで、使用者の手に合った関節(曲がりグセ)がグラブに記憶されていき、各々のグラブの”型”が完成されていく。
捕球技術に長けたプレーヤーが使用するグラブは、各関節が柔軟に機能し、様々な位置で捕球が可能なグラブになっていることが多い。このことから生まれた定説が冒頭で紹介した言葉だ。
グラブを揉み込み、ある程度開閉できるようになったらキャッチボール。十分キャッチボールで使える硬さになったらノックを受ける・・・・・・といったように、グラブに型を付ける作業は非常に長い時間を要する。しかし、この「型付け」にかかる時間を大幅に短縮し、すぐにでもグラウンドで使用できる”即戦力”のグラブへと変貌させる、「湯もみ型付け」という技術が存在する。
その名の通り、新品のグラブをお湯に浸し、型を付けていく方法だ。全体に水分を行き渡らせた後、使用者の手に合わせてグラブに関節を付けたり、捕球する面を木槌で叩いたりすることでボールが収まる”ポケット”を作り上げる。
高温のお湯に通すことで革の繊維質が緩むため、通常よりも短期間で型を付けることができ、柔軟性を与えることが可能となる。さらに、オイルを塗り重ねるよりも、グラブの重量増加を抑えられるメリットもある。
この画期的な手法を編み出したのが、野球メーカー「久保田スラッガー」に勤務する江頭重利(えがしら・しげとし)氏だ。自身に野球経験はないものの、それ故に生まれる柔軟な発想で「革に水分は大敵」という定説を覆し、湯もみ型付けを誕生させた。
そんな江頭氏が在籍する「久保田スラッガー福岡支店」に足を運び、型付けの技術を学ぼうとする者も少なくない。今回は、湯もみ型付けの”総本山”である福岡で湯もみ型付けを学び、極めようと取り組む4人の男たちに迫った。
「福岡で江頭師匠から研修を受けたのは、もう20年も前になりますねえ」
愛知県碧南市にある野球用品専門店「イソガイスポーツ」店長の磯貝善之(よしゆき)は、当時を懐かしそうな表情で振り返る。
「久保田スラッガー福岡支店の近くにある公園で、師匠が型を付けたグラブでキャッチボールをして、捕球から送球に繋がる理論を教えていただいたり、色々なことを学ばせてもらいました。なかでも印象深いのが、師匠からもらったふたつの言葉ですね」

「イソガイスポーツ」店長の磯貝善之氏
その言葉とは、「商売を営む以上、”儲ける”ことから目を背けてはいけない」、「いかなるときも手を抜かない」のふたつだった。
「『儲』という字は『信じられる者』と書く。その言葉通り『人から信頼される、この人に任せたら大丈夫と思ってもらえるような人間になりなさい』というお話をいただきました。加えて、商売である以上は利益を出さなければ存続することが難しい。せっかくお客さんからの信頼を得ても、店が潰れてしまってはその思いに応えることができません。信頼を得て、それに応えるために店を続けていく。これがひとつ目の言葉です。
もうひとつが、どのグラブ、どの作業に対しても絶対に手を抜かないこと。日々型付けをしている私たちにとっては数多くあるグラブの内のひとつだけれども、購入したお客さんにとっては唯一無二のグラブ。それを絶対に忘れるな、というのがふたつ目。研修を終えて長くなりますが、このふたつの言葉を忘れたことは一度たりともありません」
イソガイスポーツの2代目にあたる磯貝。先代にあたる父親は、幅広いスポーツに対応する総合スポーツ店として経営していたが、自身が継ぐタイミングで野球専門店へと舵を切った。当時の碧南市で盛んだった少年野球の選手たちにグラブを販売するなかで、ある気づきを得る。
「少年野球の選手がすぐに使えるように、オイルで柔らかく加工したグラブを販売したんです。当時は”型付け”自体もよくわかっていなかったので、ただ柔らかくしただけだったんですが、すこぶる好評だった。そのときに『イソガイスポーツが生き残る術はこれだ!』と直感したんです」
グラブへの加工方法を模索するなかで、湯もみ型付けの存在を知る。今でこそ広く知られるようになった湯もみ型付けだが、「革に水分は大敵」というのが当時の通説。しかしながら、磯貝の幼少期の記憶がその抵抗を取り払ったという。
「祖父の代は元々靴屋でした。祖父が革靴のソールを水につけて縫っていたのを、幼少期に見たことがあったんです。その記憶があったので、『世間でいわれているほど、水は大敵ではないんじゃないか』、『理に適った方法なのでは』と思いました」
そして、久保田スラッガー福岡支店での研修を経て、同社の製品の取り扱いも開始。そこから現在に至るまで、久保田スラッガー社のものをはじめ、数多くのメーカーのグラブに湯もみ型付けを施す日々を送っている。
「磯貝流型付」と銘打った4種類の型付けを、顧客からの要望、グラブの特性に合わせて施工する。一番要望の多いのが、「カツオ型」と呼ばれる、親指部分と小指部分の対立運動で捕球する型だ。ネーミングの由来と捕球理論を、こう解説する。
「実家を継ぐ前に、三重県の『スズカスポーツ』で修行をさせてもらったんです。スタッフ最年少だったこともあって、私の名古屋弁をイジられていて(笑)。名古屋訛りで『磯貝』というと『イソノギャー』と聞こえる。イソノといえばカツオ、ということであだ名がカツオになった。そこから名づけました。
江頭師匠の提唱していた型は『捕球してから素早く送球に移る』ことを追求したもので、打球を捕るというよりも、グラブに”当てて”勢いを殺し、素早く送球する側の手に持ち替える。理に適ったものですが、野球歴の浅いプレーヤーには扱い切れない型だとも感じていたんです。理想は『ボールを当てたら、勝手に閉じる』グラブ。手の平に乗せた新聞紙の上にボールを落とすと、ボールの勢いと重みでクシャクシャっと丸まる。この原理をグラブで表現することを目指して完成した型です」
初心者、上級者関係なく扱えることを目指した型だけあり、「内野手、外野手関係なく、一番要望が多い」と多くのユーザーに受け入れられている。
磯貝が施工したグラブを愛用していた選手のなかには、”大出世”を果たした者もいる。蒲郡高(愛知)時代の千賀滉大(ソフトバンク)だ。
「千賀投手は高校時代のお客さんで、当時は久保田スラッガーのグラブをここでオーダーしてくれました。ウチは型付け希望のお客さんの手型を紙に書いてもらうんですけど、彼の手型は家宝ですね(笑)。でも、彼がここまでのピッチャーになるとは思ってなかった。結構大人しい子で、ドラフトにかかったときもビックリしましたよ」

高校時代に磯貝が施工したグラブを愛用していた千賀
歴代の顧客の手型が綴じられたファイルを広げながら、当時の思い出を振り返る。現在は使用するメーカーも変わった千賀だが、その契約メーカーから発売された『千賀モデル』を見て、あることに気がついた。
「カタログに載っている彼のグラブを見たら、土手紐が抜いてあったんです。投球時にグラブを握り潰すピッチャーだと、硬さを残すために抜かないことが多いんですが、高校時代の彼は内野手用をベースにしたグラブで、土手紐も抜いて使っていました。彼の使っている最新の実物を見たわけではないんですけど、内野手用に近い大きさであることも変わっていませんし、『高校時代の型が今でも息づいているのかな』とうれしくなりましたね」
先代から店を引き継ぎ、数多くのグラブに型付けを施してきた磯貝。しかしながら、現状後継者が不在だという。
「『ゆくゆくは息子に……』と考えていたんですが、息子なりの夢を見つけて、別の職業に就きました。イソガイスポーツは私の代で終わってしまいますが、心血を注いで生み出した『磯貝流型付』を何とか残せないかな、と最近考えています。毎年地元の中学生の職場体験を受け入れていて、ひとり『この手先の器用さは素晴らしい!』と感じた少年がいた。『本気で型付けに取り組まないか』とスカウトしましたが、ものの見事にフラれました(笑)。
もし『本気でやりたい』という方がいらっしゃったら、全てを包み隠さず教えますよ」
そう語る磯貝の傍らには、全国各地から集まったグラブたちが並べられていた。「磯貝流型付を施してほしい」と送られてきたものだ。その数の多さは、彼が積み上げてきた”信頼”の大きさを物語っていた。