夏の甲子園100回大会は、大阪桐蔭が史上初となる2度目の春夏連覇を達成し、幕を閉じた。その大阪桐蔭に惜しくも決勝で敗れたが、金足農の戦いぶりは見事だった。なかでも、金足農のエース・吉田輝星(こうせい)の奮闘は、驚きとともに尊敬の念を抱いた。

 秋田県大会では全5試合をひとりで投げ抜き、甲子園でも決勝戦の5回に降板するまでたったひとりで金足農のマウンドを守ってきたのだ。



夏の甲子園で6試合すべてに先発し、881球を投げた金足農の吉田輝星

 球速は、最速150キロにまで達し、スライダー、チェンジアップ、スプリット、カーブ……と、自己申告で「8種類」という変化球の精度も、高校生のレベルをはるかに超えていた。

 なによりすばらしいのがボールの質だ。高めの球がホップして見える投手は毎年何人か現れるが、吉田のように低めに”生命力”を帯びた快速球を投げられる高校球児はそういるものではない。私の記憶では、吉田以前となると駒大苫小牧の田中将大(現・ヤンキース)しか思い出せない。

 また、投げるだけではない。けん制、フィールディング……ピッチャーに必要な要素を、吉田はすべて兼ね備えていた。ある試合で、投手と一塁の間に絶妙なバントを決めた打者が、吉田の素早いフィールディングで二塁封殺され、一塁ベース上で「信じられない……」といった表情を浮かべていた。そういうことをやってのけるのが、吉田という投手なのだ。

 これほど甲子園のマウンドで存在感を漂わせながら投げ通したエースは、これまでにいただろうか。吉田が甲子園で投じた881球は、多くの人の記憶に深く刻まれることだろう。

 ただ、これからの吉田に不安がないわけではない。

 2015年夏の甲子園で、仙台育英のエースとして6試合すべてに登板(うち完投が5試合)した佐藤世那(現・オリックス)が、こんな話をしてくれたことがある。

「甲子園のマウンドって、不思議なところなんですよ。いくら投げても全然疲れとか感じないんですよ」

 その夏、佐藤は680球を投げた。吉田の881球ほどではないにしても、準々決勝以降の3試合をすべて完投したのだから、まさに”鉄腕”の称号にふさわしい投手だった。

「僕の場合は、すべて全力投球でした。よく、相手バッターによってはセーブして……とか言うじゃないですか。でも、甲子園のマウンドでそんなことできないですよ。ただ、こっちがびっくりするほど、パワーが出てくるんです。もっと投げたい、まだまだ投げられる。楽しくてしょうがなかったですね」

 ランナーズハイという言葉がある。マラソンやジョギングを行なうと、次第に苦しさが増してくるものだが、それを我慢して走り続けていると、ある地点からそれが消え、逆に気持ちよくなってくる状況がそれだ。

 甲子園での佐藤世那の状況は、まさにランナーズハイならぬ”甲子園ハイ”だったのかもしれない。当然、吉田もあの過酷な状況のなかで、あれだけのピッチングをしたのだ。気持ちの部分で乗り切れても、体は知らず知らずのうちに悲鳴を上げていたに違いない。

 故郷に帰り、家族、友だちの顔を見た途端、これまでの緊張感が一気に解け、急に疲れが襲ってくるという話をこれまで何度となく耳にしてきた。

 甲子園から帰った翌日、高熱を出し、そのまま1週間入院したという選手がいた。甲子園のマウンドで躍動していた投手が、負けた翌日、朝食の時に箸が持てなくなったこともあった。

 いずれにしても、大会期間中と終わった後の”落差”は、傍で見る者の想像をはるかに超えているのだろう。

 吉田も、甲子園のマウンドでの消耗は計り知れないものがあったに違いない。その一方で、かけがえのない貴重な”経験”もしたはずだ。それを財産とし、投手としてさらなる技量を伸ばしてほしいと切に願う。そのためにも、まずは休息だ。

 甲子園が終わり、まもなくしてU-18アジア選手権が開催される。その高校日本代表メンバーに吉田も選ばれた。豪華なメンバーをバックに、マウンドに立つ喜びは想像に難くない。しかし、くれぐれも無理だけはしないでほしい。休むことも、成長である。